慟哭の箱 5
「しゃべってる…いや、だ。帰、る…」
「男のひとはなんて?」
「いやだ、帰る、聞きたくない!見たくない嫌だ!」
声を荒げた旭が激しく首を振る。まずい。
「帰して!帰して帰して帰してッ!」
「わかった、帰ろう。わたしが五秒数えて手を叩いたら、きみは診察室に戻るよ。いいね?」
ゆっくり数を数え、手を叩く。旭は力を失うようにソファに身を沈めて動かなくなった。
「…須賀くん?」
旭が目を開ける。涙でぬれた目が、こちらを向く。催眠がとけた。戻ってきた。
「ごめんね、無理させた。もう大丈夫だからね」
「野上先生…」
かすれた声で彼は野上を呼ぶ。そして両手で顔を覆い、絞り出すように言った。
「先生、だめだ…思い出そうとすると、誰かが、俺の中で悲鳴をあげて泣くんだ。見たくないって、嫌だって。ずっとずっと泣いてるんだ…ごめんなさい、俺、先生ごめんなさい。せっかく、記憶を…ごめんなさい…」
激しく泣きながら、彼は謝罪の言葉を繰り返す。野上は胸を突かれる思いだった。帰りたいとこぼした彼の言葉を無視して、自分の都合で進みすぎてしまった。
「須賀くんは悪くない。ごめんね、怖い思いをさせたね」
半身を起こした旭を抱き留める。肩をすくませてむせび泣く旭。
「もう大丈夫。いいんだよ、怖かったね。いいんだよ…」
通夜の夜。旭は誰かと対峙した。心を激しく揺さぶられるほどの恐怖を伴う誰かと。
両親の通夜だから、親戚か、仕事先の者か。
「…清瀬さん」
嗚咽の隙間にこぼれてくるのは、催眠中も彼が何度も呼んだ名前だった。無力な子どもが、親を呼ぶような声色だった。
(ああ、クッソ癪だけど清瀬さん)
旭の背中をさすりながら、野上はあの刑事を思う。
(早く、帰ってきてあげて…)
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