慟哭の箱 4
ベッドに座る旭と対峙した清瀬は、目の前の旭が旭ではない別人だと確信する。これは旭の中の別の人格。詐病や演技ではありえない。刑事である自身の目が肥えていることは自負している。
「おまえは、須賀旭の中の別人格か?」
「人格だって?うーん、自分にはそーゆー感覚はないんだけど…。俺は俺だし。でもたぶん、そういうことだろうね」
「真尋といったか、外交担当っていうのはどういう意味だ?」
ええと、と真尋は腕を組んで顔をしかめた。旭はしない、余裕のある仕草だ。
「俺、一弥みたいに賢くないから、うまく言えないんだけどいい?要はつじつま合わせ役なんだよ。旭は、自分では対応できない事態に陥った時に、俺たちの中のいずれかにバトンタッチしちゃうんだ。無意識に」
「人格をスイッチするということか?」
野上から借りた資料を思い出しながら聞き返す。
「他人から見たらそうかもね。俺たちは、スポットを譲るって呼んでるけど」
『スポットを譲る』
聞けば、彼らは普段薄暗い部屋で椅子に座り、自分の出番が来るのをじっと待っているのだという。そして一弥と呼ばれる人格に「出ろ」と指示されたときのみ、輪になった椅子の中央に座り光を浴びる。そこに座っているときだけ、こうして意識をもって外の世界に出られるのだという。
「続きだけど、旭はほかの誰かにスポットを譲っている間、譲った相手が外で何をしているのかを知らない。その間の記憶がないんだ」
「そう、記憶が連続しないのだと言っていた」
「うんうん。だから、友だちとか、バイト先のひととかとの間に齟齬が生じてしまうんだ。あのときこう言ってたのに、次あったら覚えてないって言ったり。そんなこと繰り返してたら、社会に適応できなくなるでしょ?」
そうだな、と清瀬はうなずく。
「それをうまいことつじつま合わせるのが俺の役目なんだ。旭が大学やバイト先でそれなりに人間関係を作って生きていけるのは、俺がうまいこと立ち回っているからなんだよ」
真尋はそう言うと笑った。
「俺はスポットを譲っていても旭の記憶は持ってるんだよ。だから勤まってる。もっと言えば俺の役目は、旭と他人に悟らせないためなんだよ。旭の中にたくさんの人間がいるってことをね」
たくさんの、人間…。
「…すまん、ちょっと整理させてくれ」
一気に多くの情報を与えられ、処理が追いつかない。清瀬はデスクに一旦座ると、メモをとる。野上にも伝えなくては。それにしても、冷静に真尋と向き合えている自分が不思議だ。自分はおそらく、ものすごいものと対峙している。心、というものが具現化した姿とでもいうのか。
「いーよ、ゆっくりどーぞー。あっコーヒー飲んでもい?」
「ああ。できれば俺のも頼む」
「了解~」
彼が部屋を出ていく音を背後に、清瀬はメモを続ける。己の心情も一緒に交えながら。