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相思花~王の涙~ 【後編】

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「そなたがここまで固いとは思ってもなかったぞ」
 ソナは涙ぐんだ瞳でハンを見た。
「私が夜毎、後宮の寝所で殿下を誑かしている妖婦だからですか? だから、こんな場所で私を―。旦那さまはきっと私をいつでも好きなようにできる取るに足りないものだと軽んじられているのですね。殿下、私は娼婦でないのですよ? お戯れはほどほどになさって下さい」
 ハンが真面目な顔で言った。
「今日のそなたは泣いてばかりだな。私は別にそなたを妓生と同じだとは思っているわけではない。そなたはまだどこか無垢なところがあるゆえ、知らぬかもしれないが、男というのは、こういう場所もたまには好むものなのだよ。惚れた女をいつもと違う場所で抱いてみたいと思っただけなのだが、そなたが泣くほど嫌なのであれば、諦めるとしよう」
 ハンのあからさまに落胆した顔を見ていると、今度はソナが弱くなる番だった。
「本当に私を妓生と同じだとは思っていらっしゃらないのですね?」
 ソナが目尻の涙を指先でぬぐう仕種に、ハンが笑った。
「例えば、そなたは知らぬだろう。そういう涙を拭う何気ない動き一つさえ、そなたがどれだけ色っぽく私の心を燃え立たせるのかを。私はその度に、身の内で荒れ狂い燃え盛る焔を抑えるのに精一杯なんだ。そなたの無垢で儚げな風情と男を無意識に誘う迸るような色香、私はその相反する二つの顔にいつも翻弄されている」
 ソナが眼を伏せた。長い睫が影を落とすその愁いを含んだ美貌から、ハンは眼が離せない。やがてゆっくりと瞳が開き、ハンを見上げた。
「旦那さまがお望みであれば、私はそれがなんであれ、従います。大切なのは心ですから」
 ソナは微笑み、ハンに頷いた。
「参りましょう。あなたさまがお望みであれば、私はどこへでも参ります」
 その漆黒の双眸にはもう微塵も迷いも揺らぎも、涙さえもなく、かえって思いつきで言い出したハンの方が女の真剣さに息を呑んだほどだった。

 ソナがハンに伴われて入ったのは、眼に付いたすぐ先の妓房だった。大見世というほどではないが、そこそこ金を持つ客が通いそうな中規模どころの見世である。二人を出迎えたいささか年増の妓生はハンに露骨すぎる色目をくれたものの、彼が見向きもしなかったので、渋々奥へ引っ込んだ。
 入れ替わりに出てきたのは、見世の女将らしい三十代後半の女だ。無愛想な女将は見るからに上流貴族の若夫婦と認めた途端、滑稽なほど態度を変えた。愛想良くハンに向かい、
「うちの見世の売れっ妓を連れて参りましょうか?」
 と、訊ねた。だが、ハンは素っ気なく断った。
「いや、女は要らない。どこか空いている部屋を貸してくれ」
 そのひと言で、女将はすべてを察したらしい。長身のハンの後ろに隠れるソナを無遠慮に眺め、したり顔で頷いた。
「両班の旦那さま方の中には、時折、変わった趣向をお好みになる人もいますからねえ。それにしても、奥さまのお綺麗なこと、うちの妓にもそんな美人はいませんよ。男っていうのは、そんな風に何も知らぬ生娘のようでいて、その癖、色香のある女を好みますから」
 その言葉に、ハンが憮然とした。
「無礼な、我が妻と妓生を一緒にするでない」
 女将が蒼くなった。
「申し訳ございませんね。あんまりお綺麗な奥さまなもので」
 女将はまだ未練がましくソナをちらちらと見ている。ハンがいなければ、この見世で働かないかと勧誘したかったのだろう。ソナが一人でこんなところに来たら、有無を言わさずそのまま妓生にされてしまいそうな雰囲気である。
「今は時間も時間ですし、室なら空いています。どこでも、お好きな室をお使い下さいまし」
 女将に案内されて落ち着いたのは二階の廊下を進んだ最奥の室だった。ここなら人気も気にしなくて良いだろうということで、ハンが同意したのだ。
 昼下がりのこととて、妓房全体がひっそりと静まっていて、人の声すらしない。しばらくして女将自らが小卓に乗った酒肴を運んできて、部屋は静けさを取り戻した。
 宮殿では毎夜、ハンと夜を過ごしているはずなのに、昼日中から妓房で二人きりになると、どうも落ち着かない。
 ソナは気まずさにやり切れず、沈黙に押し潰されそうだ。これでは、ハンの顔を見ていられない。
「あっ、あの」
 言いかけて、ハンとまともに視線が合い、真っ赤になってうつむいた。
「どうした?」
 いつものように優しい声音で問いかけてくるハンは、まっく普段と変わらない。何だか自分一人だけがそわそわとしているようで、恥ずかしい。ソナは相変わらず落ち着かない気分のまま思いついたことを口にした。
「ご、ご酒をおつぎします」
「うん」
 ハンは頷き、小卓の盃を手にした。ソナは酒器を手にして、ハンの盃を満たす。酒器を捧げ持つ手がみっともなく震えて、盃に当たってカチカチと音を立ててしまった。
―いやだ、私ってば。恥ずかしい。小娘でもあるまいに。
 ソナは唇を噛んだ。頬がますます熱くなる。
 どうも、いつもと勝手が違う。まるでハンと初めての夜を迎えるみたいに緊張する。
 身も世もない心地のソナを見て、ハンがクスリと笑った。盃を干すと、小卓を脇に押しやり、ソナの側にやって来た。
「ソナ、何でそんなに恥ずかしがるんだ?」
 やはり、聡いハンには見抜かれていたようである。ソナは生娘のように恥じらう自分が信じられず、また、それをハンに知られていると思うと、余計に居たたまれなくなった。
 もちろん、宮殿で過ごす数々の夜と違い、この恥じらいは見せかけのものではない。
 うつむいたまま、消え入るような声で告げた。
「昼間から恥ずかしいです」 
 これまでハンがどれだけ情熱的にソナを求めても、それは所詮、夜のことにすぎなかった。だが、今は陽も高い昼間で、しかも場所が場所だ。娼婦たちが客と淫らな刻を過ごす妓楼だということが余計にソナの気持ちを余裕のないものにしていた。
 ハンがクスクスと笑いながら言う。
「相変わらず、そなたは恥ずかしがりやだな。まっ、そこが可愛い」
 ハンに引き寄せられ、ソナは顔も上げられないまま、その胸板に身を預ける。
「他の女たちとはそこが違う。大概の女は私の気を惹くことしか考えぬが」
 ハンの声が耳朶を掠め、その場所から妖しい疼きが漣のように身体中に拡散してゆく。いつものように、これから始まるであろう甘いひとときへの期待に、ソナの心も身体も露を帯びた花のようにしっとりと濡れる。
 ゾクゾクとした期待感に高揚し、早くも下半身が潤んでくる己れの身体のあまりの浅ましさがソナは怖ろしい。何も知らぬ未通の身体をひらき、これほど淫らな身体に作り替えたのは他ならぬハンなのだ。
 なのに、彼の前で、さんざん男を知り尽くした自分が処女のように恥じらっているのも滑稽なように思えるが、何故か、いつもと違う時間と場所で抱かれることが、いつになくソナを不安にさせていた。
 想いに耽っている間に、ハンの指は手慣れた様子でソナのチョゴリの前紐を解いていた。まだ残暑が厳しい時季のことゆえ、下着は着ていない。上衣を脱げば、胸に布を巻いただけだ。
 何を思ったか、ハンは手を胸から放し、いきなりチマを捲り上げた。
「―っ」