小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

相思花~王の涙~ 【後編】

INDEX|20ページ/22ページ|

次のページ前のページ
 

 その日から、ソナは無為に日々を過ごした。シン尚宮に勧められるままに食事をし、刺繍をし、眠ったけれど、寝ても覚めても考えるのはハンのことだけだった。
 しかし、四日目くらいからはハンのいない生活にも何とか耐えられるようになった。それは他ならぬシン尚宮がこまめに伝えてくれるハンの近況のお陰だった。
 この度の視察は行きと帰りの行程も含めて十日だという。既にハンが都を発って五日は過ぎたから、あと少し我慢すればまた逢える。そう思った頃には、視察先から手紙が早馬で届いた。
―どうしている? そなたが何をしているか、そればかり考えている。一刻も早くそなたに逢いたい、腕に抱きたい。心は逸るが、もう少し辛抱しなければならないようだ。
 そなたも私が帰るまで良い子でいるのだぞ。
                 ハン

 ハンらしい直截な愛情表現が達筆で記されていた。ソナはその書状を胸に抱いて泣いた。
「相変わらず殿下は私を子ども扱いなさるのですね」
 滴り落ちた涙の雫で大切な手紙の字が滲んでしまい、ソナは?どうしよう?と、また泣くことになった。
 王の留守から八日め、その日はハンが視察先を発ち都へと帰還する旅に出るはずだ。ソナはその朝もこのところの日課となったように彼が出てからの日数を数え、逢える日までの残りの日数を確かめた。
 そこにシン尚宮がお茶の支度を運んできた。大妃から定期的に届けられる懐妊に効果があるという妙薬である。
 小卓をソナの前に置いたシン尚宮が微笑んで言う。
「淑媛さま、殿下はもう視察地を出立された頃でしょうか?」
「そうね。何事もなくて、本当に良かった」
 ソナもはしゃいだ声で応じた。大妃との関係はさしたる進展もないが、特に険悪というわけでもない。大妃は元々、ハンの側室たちとあまり関わり合いになるのは避けていたし、ソナへの待遇も古参の三人の側室たちと平等だ。
 薬湯とはいえ、果実の芳醇な味がして美味しいので、ソナは朝と午後、お茶の時間にこれを服用していた。
 ソナが薬湯を飲み終えたその時、扉の向こうから狼狽えた声が響いた。
「シン尚宮さま、緊急の使者が参っております」
 シン尚宮の顔色が少し動いた。
「何でございましょう」
 立ち上がり、外に出ていった。ひそひそと囁き交わす声が時折、高くなる。ソナはハッとした。間違いない。何かあったのだ。
 居ても立ってもいられず外に出ようとした時、シン尚宮が戻ってきた。
「淑媛さま、一大事にございます。お気を確かにお持ち下さいませ」
 それだけてはや、ソナは事態ほぼを理解した。王の身に変事が起きたのだ!
「構わぬ、何があったの、話して」
 シン尚宮が沈痛な表情で応えた。
「国王殿下が視察先で崩御されたとただ今、早馬が到着したとのことです」
「まさか」
 ソナの唇が小刻みに震えた。そんな馬鹿なと思う。ハンの身に何かあったのだとは予測したけれど、まさか死という最悪の事態になるとは考えてもみなかった。
 ソナは震える声で言った。
「どうして、出立前はあんなにもお元気だったのに。喘息の発作が起きたというの―?」
 出立前の夜はあれほど情熱的にソナを求め幾度も抱いた。そんな男がわずか七日後に儚くなるなんて、誰が信じられるだろう?
 シン尚宮もまた身体を震わせながら言った。
「早馬の連絡にて詳細はいまだ不明とのことにございますが、何でも百合の花を見つけて摘もうとしたところ、崖から落ちられたと」
「―!!」
 ソナは息を呑んだ。
「殿下が百合の花を―」
 ハンの笑顔がソナの脳裡に甦った。
―いつか腕一杯の百合の花をそなたに贈ろう。そなたが私の息子を生んだその日、私の妻と息子に。
 ソナは狂ったように殿舎を飛び出した。
「淑媛さま、どこに行かれるのですか!」
 シン尚宮が慌てて止めるのに、ソナは必死の形相で言い募った。
「殿下が亡くなられるはずがない。そんな話は嘘だ、私はこれから殿下に逢いにいく」
 そう、きっと大殿の執務室に行けば、ハンに逢える。私の大好きなあの男が笑顔で出迎えてくれるはずだ。
―よく来たな、ソナ。
 幻の声を聞いた刹那、ソナの意識はスウと底なしの闇に飲み込まれた。

 イ・ハンこと永宗の葬儀が行われたのは、その死後数ヶ月後のことだ。後継者たる世子も定まっておらず、視察先での突然の崩御に国中は深い憂愁に包まれた。
 ただちに、永宗の叔父の息子である恭徳君が即位し、新王に立てられた。
 永宗には異母姉妹は数人いたものの、兄弟は一人もいなかったのだ。
 そして。
 永宗の葬儀が行われたその日、亡き王が熱愛していたシン淑媛が宮殿からかき消すようにいなくなった。

 夢の終わり

 背後で宮殿の門が軋みながら閉まった。ソナはその場で両手を組み眼の高さに掲げ、座って拝礼した。更に立ち上がり深々と頭を垂れる。既にここにソナの恋い慕った王はいない。だが、愛する彼女だけの王と過ごした数々の想い出は今も消えずに宮殿のあちこちに残っている。
 ハンが無言の帰城を果たしたのは、国王崩御の使者が早馬で到着するより遅れること二日であった。
 輿に安置されて運び込まれた王の亡骸の側には何故か一輪の白百合が添えられていた。大殿に納められた亡骸に大妃初め、四人の側室たち、王族がまず次々に対面した。
 むろん、皆、白い喪服姿である。ソナも白い喪服に帽子を纏い、許されて対面した。大妃の配慮でソナだけは三人の側室たちとは別に一人で別れを惜しむことができた。
 ハンの枕辺に少し萎れた百合の花を認めて言葉を失った。亡骸にずっと付き添っている内官のヤン・スンはハンの腹心であった。
 ヤン内官も白一色の喪服を纏っている。彼が進み出て、軽く一礼した。
―シン淑媛さま、こちらを殿下が淑媛さまへお渡しするようにと。
 ヤン内官は純白の百合を尊いものでも捧げ持つかのようにソナに差し出した。
―ヤン内官、これは。
 物問いたげに見つめたソナに、視察中もずっとハンに付き従っていたヤン内官は潤んだ眼で教えてくれた。
―いよいよ明日の朝には視察地を発って都に帰るという日の昼下がりでした。殿下が百合の花を見つけたと意気揚々と私に話されるのです。この季節に百合の花などあるはずがない、錯覚でしょうと申し上げたのですが、殿下はどうでも間違いないと私を振り切って行かれました。どうやら、切り立った崖の側面に咲いていたようで、無理をして手を伸ばして摘み取ろうとなさって―。均衡を崩して落下してしまわれたのです。私どもも愕いて急いで崖下に廻り、殿下をお救い申し上げました。そのときにはまだ意識がおありだったので、我々もまさか亡くなられるとまでは思わず、その時、殿下が確かに私に?ソナにこの花を渡してやってくれ?と言われました。事実上、それが殿下のご遺言になりました。ほどなく殿下は意識を失われてしまい、同じ日の夜半に息を引き取られました。同行の御医も手を尽くしましたが、頭を強く打たれていたとのことで、甲斐もなく―。
 私がお側についていながら、このような仕儀になり、申し訳ございませんでした。
 ヤン内官は男泣きに泣いていた。