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相思花~王の涙~ 【後編】

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 絹張りの燈籠は薄紅だ。願い事を書き付けた燈籠は今も灯りを点して輝いている。ソナはその灯りが絶えることない二人の想いのような気がした。
 ハンがソナに言った。
「以前も話したように、本来の燈籠祭は願い事を書いた燈籠を池に流すらしい。我らも今宵はそれでやってみよう」
 ハンのひと言で決まり、最初はハン、次にソナが池に燈籠を流した。二つの燈籠は寄り添い合うように肩を並べゆらゆらと池面を漂い流れてゆく。暗い水面を灯りが照らし、その灯りを映して池面が煌めく光景は夢のようだ。
 ソナはハンと視線を交わし、微笑み合った。
「折角だ。そなたたちもやると良い」
 王の命で、その場に控えていた内官や尚宮、女官たちまで加わり、それぞれが願い事を書いた燈籠を思い思いに池へと流した。最初は二つだけだった燈籠がいつしか数え切れないほどになり、池はいっそうまばゆい輝きに彩られる。
 その美しい眺めに魅入りながら、ハンが呟いた。
「この燈籠祭が亡き人の供養の意味があるという話を憶えているか?」
「はい」
 ソナが頷くと、ハンも頷いた。
「言い伝えでは、この燈籠一つ一つが亡くなった人の魂なんだそうだ。この灯りを頼りにあの世から大切な人の魂が還ってきて、焔となって燈籠に宿るといわれている」
 ソナが瞳をきらめかせた。
「では、殿下。町でお話し下さった殿下の曾祖父(ひいおじい)さまだという直宗さまと和嬪さまの魂ももしかしたら、今、ここに還ってきているのでしょうか?」
 ハンが笑った。
「そうだな、ソナよ。私は正直、そなたに出逢うまで、曾祖父さまの気持ちが理解できなかった。王たる者がたった一人の女に溺れるのは見苦しいことだと思っていた。だが、ソナに出逢ってから、曾祖父さまのかつての恋心がまるで自分のことのように理解できた。たとえ女の色香に溺れた好色な王だと後世に誹られようと、恋は誰にも止められない。曾祖父さまも和嬪さまも運命の相手に巡り会えて、お幸せだったのだろう」
 ソナが小首を傾げた。
「不幸なお亡くなり方をされた和嬪さまがお幸せだったと?」
 ハンが頷いた。
「人の一生は長いか短いか、そんなことではかれぬ。曾祖父さまも和嬪さまも互いの生命を燃やし尽くすほどの烈しい恋に落ち、そんな相手に出逢えたこと自体が奇蹟であり、幸せであったのだよ。ソナは今、幸せか?」
 その問いに、ソナは迷いなく、きっぱりと応えた。
「はい、殿下にお逢いできて、ソナは幸せです」
 ハンは満足げに笑った。
「ならば、きっと直宗さまも和嬪さまも幸せだったに違いない。私もそなたという女に出逢えて、こんなにも幸せなのだから」
 向こうで歓声が聞こえてきた。若い女官たちが自分たちの燈籠を指して何か笑い合っている。それを遠目に見やり、ハンが呟いた。
「今夜は私とソナだけの燈籠祭だ。初めて一緒に見た燈籠祭、今宵の私だけの燈籠祭、私にとって、どちらも生涯忘れられない夜となった。ソナ、これから先、どこでこの燈籠祭を見かけたとしても、私を思い出してくれ」
 そのしまいの科白に、ソナはハッとした。
「殿下、何故、そんな哀しいことをおっしゃるのですか? それでは、まるで私と殿下が離れ離れになってしまうかのようです」
 ソナの眼に涙が溢れた。これは空涙などではなく、本物だった。
「そういえば、殿下は町の燈籠祭では私とずっと一緒にいられるようにと書いて下さったのに、今夜は私の幸せを祈っていると書かれていました。私はもう、殿下のお側にはいられないのですか? 私が国王さまを誑かす妖婦だから、宮殿を追い出されるのですか―」
 国王の寵愛を受けて中殿の座を夢見ない者はいないだろう。ソナも王妃になりたいという気持ちは依然としてある。だが、それ以前に、ハンのことを大好きだった。
 心の奥底を覗けば、ハンがこの国の王であっても、その日暮らしの民であっても、彼を好きになっていただろうと思う。もしかしたら、ソナのなりたいのはハンの?妻?であって、?王妃?という名前だけの器ではないのかもしれないと、最近はふっと思うようになっていた。 
「ああ、泣かないでくれ。そなたを歓ばせようと内官たちに無理を言って実現させた趣向なのに、泣いては駄目だ」
 ハンが狼狽え、ソナを抱きしめた。
「燈籠祭の夜も申したではないか。そなたが私から離れぬ限り、けして私はそなたを離したりはせぬと約束したぞ。だが、これだけは忘れないでくれ、私はいつでも、どこからでも、そなたの幸せだけを祈っている」
 ソナが余計に泣きじゃくった。
「また、そのようなことをおっしゃるのですね。そんな言い方はいやです。ずっと傍に居ると、私の傍に居て下さると今ここで、お約束して下さい」
「判った、判った。私はずっとソナの傍に居るから。ゆえに、もう泣くな」
 この後、国王はなかなか泣き止まぬ寵姫を宥めるのに必死だった。その姿を見れば、また領議政は?妖婦に誑かされた王?と渋面になるだろうが、その夜は国王やシン淑媛に対して忠誠を誓う者ばかりで固めていたのが幸いした。
 秋も日毎に深まっている。夜風はかなり冷たい。つい先頃までは草むらですだいていた虫の音もあまり聞こえなくなった。ハンがふいに小さなくしゃみをして、ソナは我に返った。
「殿下、明日からもう十一月です。夜は冷えますから、お身体に毒ですわ」
 その言葉を潮に、一同は静々とまた宮殿へと戻った。国王はその夜、帰り際まで名残惜しげにまだ燈籠の灯りで輝く池を振り返っては眺めていた。
 
 その翌日から、王は微熱を出して寝込んだ。ソナはすぐにでも看病に駆けつけたかったけれど、本来、それは正妻たる王妃の役目である。また、一介の側室が大殿の王の寝所に我が物顔で居座ることはできない。それこそ、朝廷の大臣たちから何と言われるか知れたものではなかった。
 ハンにはまだ王妃がいないため、代わりに大殿尚宮や内官がつきっきりで看病していると聞いた。
 考えれば、二人だけの?燈籠祭?を見せてくれた夜、ハンはいつもならソナを抱くのに、その夜に限って
―疲れたから、今宵は礼儀正しく一人で寝るよ。
 と、笑いながら大殿に帰っていった。
 思えば、既に昨夜から体調を崩していたのだろう。
 何故、もう少しハンの健康に気を付けていなかったのかとソナは悔やまれた。秋の冷たい夜風に何時間も晒されて、余計に体調を崩すことになったのかもしれない。もっと早くに切り上げて大殿に戻るように勧めていれば―。
 そう思うとハンに逢いたくて堪らず、何度も大殿の方に脚を向けかけては思いとどまった。そんなことの繰り返しだった。
 御医が日に何度も出入りしているとか、病状は悪化の一途を辿っているとか、ソナにとっては気が気ではない噂ばかりが先走っていた中、情報通のシム尚宮が二日目にやっと有益な情報を得て知らせてくれた。
「淑媛さま、殿下は無事ご快方に向かわれ、明日の朝からはまた御前会議も開かれるそうです」
「良かった!」
 ソナの瞳から大粒の涙が流れた。ハンに逢えない日々は何も手つかず、日がな刺繍ばかりしていたソナだが、実際には集中などできるはずもなく、何度も針で指を突いてしまう始末だった。
 ソナは知らせてくれたシム尚宮に泣き笑いの表情で言った。