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相思花~王の涙~ 【後編】

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 が、その緊張を孕んだ沈黙は大妃の笑声によって破られた。何がおかしいのか、大妃はさも愉快げに声を上げて笑っている。
「ホホウ、そうか。そう来たか。ふふ、主上もつくづく面白きおなごを選んだものだ」
 呟き、漸く笑いをおさめた大妃が何故かこのときだけ遠い眼になった。
「さもありなん。私は十五で世子であった先王さまに嫁ぎ世子嬪となり、やがて王妃となった。更に我が生みし子も王となり、老いた私がこの世で果たせておらぬ唯一の夢が主上の御子を、孫の顔を見ることだ。主上の御子を産んでくれるなら、たとえ平民上がりの身分賤しき娘であろうが、嫁と認めてやろう」
 更に大妃はこんなことも言った。
「ま、良いわ。子は授かりものというゆえな。 そなただけに子のできぬ責めを問うわけにはゆくまい」
 その時、ソナはハッとした。今の大妃の科白がハンが語った科白とまったく同じだったからだ。気弱な息子と勝ち気な母、対照的に見える二人がまったく同じ科白を口にしたのはやはり血のなせる業なのか。
 何か滑稽に思えて笑いを抑えていると、呆れたように言われた。
「私は仮にも王の母だ。その私を前に薄笑いを浮かべているとは、たいした女よの。やはり、そなたを皆が主上を誑かした女狐呼ばわりするはずだ」
 あまりにも直截に面と向かって言われ、ソナはショックを受けるどころよりは呆気に取られた。
「王子を生み奉ると広言切って口にしたその言葉、いずれ真となるか、とくと見てやろう。愉しみにしておるぞ。シン尚宮、いや、シン淑媛」
 大妃がそこでまた顎をしゃくると、大妃付きの尚宮が近寄ってくる。
「三人の側室たちに与えているあれを」
 そのひと声で、尚宮は心得た様子で室を出ていき、ほどなくして戻ってきた。更に少しくして、若い女官が小卓に乗せた茶菓子を運んできた。
 小卓の上には空色の布が敷いてあり、湯飲みと器に盛った菓子が載っている。渦巻き模様を描いた眼にも鮮やかな菓子を見つめていると、大妃が笑んだ。
「毒が心配か? 何なら毒味をさせても良いが」
 ソナは慌てて首を振った。ここは躊躇っているときではない。
「いいえ、大妃さま。頂戴致します」
 一礼して、小卓の上の湯飲みを取り、口に含んだ。みずみずしい果物のような酸味が口中にひろがる。
 大妃がしたり顔で言う。
「案ぜずとも良い。私も息子が夢中になっている女をこうも判りやすい方法で毒殺するほど愚かではない。そなたを今ここで殺せば、怒り狂った殿下が駆けつけて、たとえ母だとて容赦せず刃を振りかざすに相違ない」
―ハンが大切にしているお母さん(オモニ)を殺すはずがないわ。
 思った途端、ソナは思わず口にしていた。
「そのようなことはございませぬ。殿下は親想いのお優しく大人しい方ゆえ」
 ややあって、ソナは口を抑えた。
―私ったら、大妃さまに口答えするなんて。
「申し訳ございません、大妃さま」
「主上はお優しいだけの男ではないぞ。あれでなかなかしたたかでいらせられる。大人しげに見えるのはほんの上辺だけよ。我が兄の領相大監(ヨンサンテーガン)なぞ、なかなか意のままにならぬ王だと始終、零しておる」
 愕くべきことに、大妃が晴れやかな笑みを見せた。ソナが初めて見る心からの笑みだった。
「ソナ、そなたはこの後宮で恐らくはのし上がるつもりであろうが、そなたは野心を抱くには純粋すぎる。私は息子の想い人を毒殺するつもりはさらさらないが、後宮には主上の寵愛を一身に集めるそなたを目障りに思い、憎しみを募らせる者もいる。私のところでは心配ないが、今後、他の殿舎で出されたものは迂闊に口にせぬが身のためだ」
 そこで、傍らで沈黙を守っていた尚宮が初めて口を開いた。
「これはご懐妊を促す妙薬にございます。三人のご側室方にも同じものを大妃さまはお届けになっておられます」 
 傍らで大妃が笑った。
「主上のお渡りが絶えて久しい側室たちに贈るよりは、まだ、ご寵愛を受けるそなたに飲ませる方が甲斐があるというものだ、のう、馬(マー)尚宮」
「さようにございます。大妃さま」
 この尚宮は恐らく、そうだと思わずとも長年の経験で諾と言うようにしているのだろう。より強き者には逆らわず従い、流れに乗って進む先へと泳いでゆく。宮仕えとは、そういうものだ。大妃の言うように、我が身はまだまだ後宮という魔物が巣喰う伏魔殿で生き抜くには甘すぎるのかもしれない。
 それからほどなく、ソナは大妃の許を辞した。いつかハンが大妃に関して語った言葉を、ソナは今更ながらに思い出していた。
―気の強い方だが、道理の判らぬ人ではない。そなたという女を見れば、きっと私が気に入ったのも理解して下される。
 大妃が嫁として認めてくれたとは思わない。ましてや、誰に対しても厳しいと評判の大妃に気に入られたと思うほど馬鹿ではないつもりだ。
 現に、大妃は面と向かって、はっきりと嫁とも王族とも認めぬと宣言したのだから。ただ、初めて身近に接したハンの母、羹大妃はけして悪い人には思えなかった。この辺りが大妃に言わせれば?甘すぎる?ということになるのだろうが。
 けれど、たとえ大妃が認めてくれずとも、ハンの側にいる限り、大妃はソナにとって紛れもなく義母であった。甘いと言われようが、ソナがハンの母に対して抱いた印象はけして悪いばかりのものではなかった。

 その三日後、承恩尚宮シン・ソナに対し、ついに王命が下った。それはソナを従四品、淑媛に任ずるというものだった。
 王命を告げる提調尚宮がソナの殿舎を訪れ、ソナはその場に端座する。王命を告げる提調尚宮初め、主役のソナ、介添えの尚宮たちも皆、儀式用の衣服に身を包んでいる。
最初はソナが両脇をお付きのシム尚宮ともう一人の尚宮に支えられて拝礼する。それから提調尚宮が読み上げる王命をソナは謹んで聞いた。
 伝達が始まり、最後の一行でシム尚宮がそっと涙をぬぐうのが見えた。シム尚宮はかつてソナに無礼を働いた側室の李淑媛に抗議し、李淑媛に頬を打たれたことがあった。
 側室にもなれないただの尚宮だと李淑媛がソナを侮っての仕打ちに主人思いのシム尚宮は悔し涙を流していたものだ。
「よって、シン・ソナを従四品、淑媛に任ずるものとする」
 提調尚宮の言葉に、ソナは深々と頭を垂れた。 
 与えられた殿舎に戻り、着替えを済ませ居室に落ち着いてから、ソナは鏡を取り出した。ソナの好きな蝶が裏面布に刺繍された手鏡を覗き、眼にも艶やかな紅を人差し指でそっと唇に乗せ、心の中で囁いた。
 いいえ、けして負けはしない。
 甘いなんて、二度と誰にも言わせない。
 この美貌と、若さ。武器になり得るものならば何でも使って、この場所(後宮)でのし上がってやる。
 ソナを側室ですらないと見下した三人の側室たち、更には王の母である大妃さまでさえ。
 いずれ私が王妃の座につけば、私には敵わくなるのだ。
 このままで終わるものか、まず目指すのは正一品、嬪―。
 最下位の淑媛になれた程度で、ありがたがって涙している場合ではない。まずは側室としては最高位の嬪にまでのし上がり、やがてはその上の頂点である中殿の座を目指す!
 ソナは唇が切れるほど強く噛みしめた。
 
 復讐