慟哭の箱 3
桜を起こし、妹は帰っていった。明日は仕事があり、桜も保育園に預けるという。不安そうな梢を安心させ、清瀬は自室に戻った。旭は深い眠りについているようだったので、起こすのはためらわれた。
デスクについて、野上から借りてきた資料や本を読みふける。
解離性同一性障害。DID.
この苦しみは自分の苦しみじゃない、誰かの苦しみだ、そう思うことで心を守る。その「誰か」が人格を持ってしまう。そうすると心は、次々と自身を守るための役割を生み出す。苦しみを背負うもの、痛みを背負うもの。患者は、この場面にはこの人格を、と心にコントロールされ、その交代を己自身で制御することはできない。
(なんということだろう…)
清瀬は、知らない世界の扉が次々と開いていく感覚に戦慄する。世界の治療例や、実在した多重人格の症例は、まるで映画の中のできごとだ。詐病だと疑いたくなるような、精巧で緻密な心の働き具合に、背筋が寒くなる。
私という他人。
私自身には見えず、認識できない誰かが、身体の中に住み着いている…。
資料に没頭していた清瀬は、背後から近づいてくる気配に気づけなかった。その影は足音を忍ばせ、静かに近づいてくる。
「ケ・イ・ジ・サン」
「っ!!」
どさりと両肩に重み。誰かが背後から抱きついてきた。
「!」
まずい、ととっさに読んでいた本を伏せたのは、旭には見せてはいけないという根拠のない直観からだった。