慟哭の箱 3
つまり、と清瀬が後を引き継ぐ。
「あの子の中に他人がいて、須賀くんのあずかり知らぬ間に彼と入れ替わっている、そういうことですか?」
そんな感じ、と野上は結ぶ。清瀬は再び考え込み、黙ってしまった。
野上とて、この圧倒的に少ない症例の患者を診たことはない。しかし、旭はこの障害を抱えている可能性がある。そして日常生活に支障が出始めているということは、重篤である証拠だった。
「…まるで映画の中の話みたいだ」
長い沈黙のあとで清瀬は呟いた。そう、本当にそうだ。現実離れしている。
「先生は、心が持ち主を守るためにとる措置だとおっしゃった。つまり彼の多重人格は、彼の心が彼を守るために引き起こしたということですよね?」
「ええ」
「あの子は、記憶や心を封じなければ生きられないような経験をしたということになる」
「そう。そしてそれは、両親の死以前から彼が抱えていた問題だったと思われる。これまで潜在化していたけれど、両親の死をきっかけに顕在化してきたんでしょうね」
あの事件の記憶がないのは、おそらく他人格が経験していたためだろう。
「俺はたぶん、そのうちの何人かと接触しています」
「接触?」
「須賀くんを守っている恐ろしく冷たい男と……幼い子どもです」
詳しく話を聞き、ますます確信が深くなる。
「治療をすることになりますか?」
「難しいと思う。わたしもまだ…戸惑っているの。慎重にいかないとだめ。このことは当局には伏せておいてね。須賀くんにも」
「わかりました。今後俺は、どうすればいいですか?」
治療を始める前に、様々な段階を踏まねばならない。
「交代人格の存在を確認しましょう。誰がいて、どのような役割を持っているのか。須賀くんの心の在り方を知らなくては。それから、彼の成育歴を調べましょう」
「成育歴?」
「解離性同一性障害…DIDの患者のほとんどが、幼少時に身近な大人との関係を破綻させている。あの子は孤児で、須賀夫妻とは養子関係だったと聞いた。そのあたりを知りたいの」
「…わかりました」
やっとコーヒーに口をつけ、清瀬は短く息を吐く。あまりにも重い話だと思う。だけど清瀬の目は、先ほどと変わらずしっかりと前を見据えている。
「刑事さんは、どうしてあの子にそこまで?事件解決のためだけとは、思えない」
「…さあ、どうしてかなんてわかりません。ただ、放っておけないんです」
そういって笑う清瀬。妙に寂しそうな笑顔だった。