慟哭の箱 3
朝だ。まずい、化粧も落とさずに眠ってしまったようだ。野上愛子は伸びをする。結局自分の診察室にこもって一夜を明かしてしまった。須賀旭の状態に危険を感じ、文献を読み漁っていたのだ。デスクには積み上げられた書物。その中で眠っていたようだ。
(顔くらいは洗うか)
立ち上がったところで、診察室の扉がノックされる。こんな朝早くに何だろう。診察時間にはまだだいぶ早いというのに。
「清瀬です」
「どうぞ」
扉をあけて清瀬が入ってくる。くたびれたスーツを着て。いつもは眠たそうな二重の瞳が、いまは穏やかさを隠して鋭くこちらを見つめている。
「すみません、こんなに早く」
「構わないよ。須賀くんのことで何かあった?」
どこか切羽詰まった様子の清瀬から、きっと何かあったのだろうと想像する。彼は想像通り、深刻な表情でうなずいた。
「顔を洗ってくるから待ってて」
洗面所へ走る。簡単にメイクを終わらせ、新しい白衣を羽織る。五分ほどでくたびれた徹夜明けの顔とおさらばした野上は、診察室に戻って立ち尽くす清瀬を見る。
彼は野上のデスクに積まれた一冊の本を手にしていた。本を熟読しているのではない。表紙を凝視しているのだった。いつも眠たそうな半目が見開かれている。
「刑事さん?」
「…野上先生、この本って」
清瀬の手にしていた本。
『私という他人』
「須賀くんの話をしよう。座って」
清瀬を座らせ、野上はインスタントコーヒーを二人分淹れる。手元を動かしながら、一晩中考えていたことを清瀬に告げることにした。
「須賀くんは、解離性障害の疑いがあると、わたしは思ってる」
「かいりせい、しょうがい?」