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私の読む「源氏物語」

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(この内裏で涙流して秋の月を眺めている、若宮は、あの草深い田舎でどうすごしているのだろうか)
 
 と帝は小声で一人詠っておられた。

 帝は亡き更衣の里に育てられている若宮のことを思い、灯火が尽きるまで起きておられる。右近衛の宿直の侍達が宿直交代を触れ回るので丑刻(午前二時)ということである。あまり起きていては警護の者達の迷惑になるだろうからと部屋に入って床にはいる。とろとろとして夜が明けるが、帝にははっきり朝だという感覚がない、こんな事では自分の職務である政治が全く疎かになってしまった。食事も余り進まない、朝食担当の女官も「お食べ下さいませ、お体に障ります」としつこく勧めるが、少し箸を付けるが、すぐに下げるように言われる。「大床子の御膳」と言う昼食は、殿上人が運んでくる一日のなかで一番大事な正式の食事である。それは帝一人ではなく主な殿上人が揃って食事をするのであるが、その席でも余り召し上がらない。担当の者は、このような帝を見て、こんなに考え込んでしまわれては身体にも障りがあると心配することが続いている。更に上役の上達人は、お互いに、
「困ったことになりましたね」
 と言い合わせては帝の様子を心配そうに眺めている。
 帝は、周りの人たちが、何という有様だと誹謗や中傷をしているのを知っておられても。強いて直そうともせずに以前のままである。それだけ亡き更衣の面影が帝の心深くに彫りつけられているのである。理性を全く失ってしまっていた。
「このままでは政治のことも棄ててしまわれたのでは、これは一大事である。」
 と唐国の事例がまた引き出されて、帝の今の有様を宮の側の男も女も嘆くのであった。


     第三章

 若宮の母、桐壺の更衣が亡くなった翌年、四歳となった若宮は内裏に参内した。このような童がこの世にあるのかと思われるほど清らかにご成長されたと、帝に仕えている人たちは素晴らしく立派に成長されたと思うのであった。 明くる年に一ノ宮を春宮とお決めになった、帝は可愛い二ノ宮を皇太子にしたいと思っておられたのであるが、何分後見人がないことと、やはり世の中の人が順番と思っていることに逆らうわけにはいかない、と自分の考えを少しも外に出さずにいたのであるが、
「帝の思いは二ノ宮の春宮であろうが、そうはいくまい」
 みんなも言うので、一ノ宮の母御、弘徽殿の女御も安心なさった。
 二ノ宮の祖母は娘の更衣が亡くなって以来気持ちの晴れることなく沈みこんで、娘の逝った西方浄土に早く逝きたいとそればかり念じておられたが、ついに亡くなってしまい帝はこれまた悲しまれることになる。二ノ宮も六歳になったのでこの度は母親の死去したときは、まだ幼くて理解できなかったが、祖母の死の悲しみに泣かれた。祖母は孫の若宮に、長年親く暮らしていたのに若宮を後に遺して死に行く悲しみを、繰り返し繰り返しおっしゃるのであった


 若宮は、里の祖母が亡くなってから一年、今では内裏で暮らしている。帝は若宮に読書始めの儀式をされた。元々賢い子供であるので行く末はどんな若者になっていくのか恐ろしいようであった。
「今はもう誰もが憎い子供よなんて思わないことであろう、母御を亡くして可哀想に、私についていらっしゃい」 と帝は弘徽殿にお行きになる時もお連れになって共に御簾の中にお入りになる。この二ノ宮の可愛らしい笑顔は、敵同士であってもついこの子の笑顔で気持ちも穏やかになり強い言葉も言えなくなる。弘徽殿の女御もついに心を和らげて二ノ宮を可愛がられる。帝との間に二人の姫宮が居られるのであるが、二ノ宮の美しさとは較べることさえできない。姫達も二ノ宮の前に現れて、うち解けて遊ばれた。
 帝の他の女御がたも二ノ宮の前に出てきて、まだ六歳というのに優美で立派でいらっしゃるので、とても可愛く思い、一方で気のおける遊び相手だと、うち解けてお相手される。
 二ノ宮は、本格的な学問はもとよりのこと、琴や笛の才能でも宮中の人びとを驚かせた。一つ一つ数えていったら、面倒になってしまうくらい、覚えが早い優れた才能を持っていた。


 若宮が学問を始めた頃、高麗人が渤海国から来日していた。その中に観相の達人が居るということを帝が聞かれ内裏に招きたいと考えられたが、先の宇多天皇が「寛平遺誡」に外国の者と御簾の中で直接対面してはならないと決められたので、七条朱雀にある外国使節の宿泊施設「鴻臚館」に若宮を行かせになって、この観相人と面会さした。
 二の宮ということを伏せて、若宮付きの右大弁の子供だということにして逢わせたところ、この観相見は見るなり驚いて何度も首を傾けて暫く考えをまとめるのに時間をかけ、
「この若は国の親となって、帝王の最高の地位につくという相をお持ちでいらっしゃる、そうなると国に乱れが生じることがある。朝廷の大臣となって、政治を補佐する人としてと見ると、またその相ではないようです。」
 と若宮の観相の結果を伝えた。
 若宮付きの右大弁も大層博学の人であったので、高麗人の観相見と話がはずみ、論議を交わしたが、最後に、高麗人は今日はとても立派な相の人と巡り会えて感激しました、と言ってかの国の珍しい物を若宮にと行って差し出された。こちらも朝廷から沢山の贈り物があったことは言うまでもない。
 このようなことはすぐに広まる。春宮の祖父である弘徽殿の女御の父なんかは、どうすればと二の宮が春宮に改めてなられるのではと心配なさる。
 帝は若宮の観相のことを聞かれたが、帝は高麗人の観相以前に既に日本流の観相を行って考えを決めていたから、二ノ宮を親王とされなかったのであるが、このことは正しかった、と高麗人の観相と一致したことで安堵されていた。
「無品の親王と位をつけても位ある者の後見のない状態でふらふらさせるわけにはいくまい。私もいつまで続くか分からない身だから、臣下として朝廷の補佐役をするのが、将来若宮にとっては頼もしそうに思われる」
 と考えられて、一層厳しく若宮に学問をさせた。
 若宮は、格別聡明なので、臣下とするにはたいそう惜しいけれど、さて親王とおなりになったら、世間の人から皇太子にとなられてはという声が挙がる疑いを持たれるにちがい。そこで占星術の専門家に占わせなさっても、帝の考えていることと同じようなことを申すので、源氏にして上げるのがよいとお決めになった。


 年月がたつにつれて、亡き御息所のことを忘れになるかと思うがそんなことはない。「心を慰めることができようか」と、しかるべき女御更衣が夜伽に呼ばれるが、一つ床になられても手さへ出さずに夜を明かされたり、またお互いに身体を合わせてもそれだけで帝は萎えてしまい最後までには至らない。そんなことで女達の中では、
「せめて亡き更衣に匹敵する程に帝が思われなさる女人が存在すれば・・・・それさえ探すことが出来ない世の中だ」
 女房達がどうすれば帝が満足なさるのかと思いめぐらしていたところに、何代か前の帝の四の宮に、容貌が優れておいでであるという評判が高く、母后がまたとなく大切にしておられる娘が居ることを、帝にお仕えする典侍の一人がそれとなく女官に漏らされた。
作品名:私の読む「源氏物語」 作家名:陽高慈雨