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私の読む「源氏物語」

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 このような帝の行為も非難の対象になって列席者達はそれぞれ口に出して言われるのであるが、二の宮が成長するに連れてますます顔立ちや正確知性が世にない較べられないほど立派になっていくので、今まで何かと批判めいたことを言っていた人たちの声は次第に小さくなってゆきそのうちに影を潜めてしまった。学者、優れた技を持つ者、こぞって二の宮を
「このような立派な気品と知力を兼ね備えた子供が、この世にお生まれになるとは信じられない」
 と世にまれな二の宮の出現に驚いていた。


 春に催された二ノ宮の御袴着の儀式のその夏になって、皇子誕生で御息所と呼ばれるようになった桐壺の更衣は、なんとなく体がだるく力がないように感じるようになった。少し暇を頂いて里で養生したいと帝に願い出るが、年中共に過ごしている帝には更衣の身体の変化が分からなかった。離れるのが嫌で帝は許すようなことはなく、毎日傍らに侍らせて、夜は共に臥していた。
 更に更衣が願い出ると、
「ここでゆっくりと体を休めるとそのうちに回復するよ」
 と言うだけで許しを出そうとはしない。
 そのようなことがあって五六日たった夜に、帝は横に臥す更衣に体を求められた。いつもは快く応じてくれる更衣が今夜はなぜか拒み、急に起きあがって口を床紙で覆って大量に血を吐いた。驚いた帝はすぐに更衣を局に下がらせたが、彼女と二ノ宮の世話をするために宮中に上がっていた更衣の母親が目通りを願って帝の前に現れ、涙を流して娘の宿下がりを願うのであった。
 病の者は宮中に置かないというのが決まりである。死という穢れから宮中を守るためである。ということでいくら帝とはいえこの規則を破るわけにはいかない。しかも宮中から下がる更衣を見送ることも出来ない。帝は気がかりで更衣の体調以外のことは考えられない。ただ更衣に逢いたい病状を把握したいとそればかりである。ぱっと照り輝いた中に誘い込むような可愛らしい更衣の笑顔がげっそりとやせてしまい、ふくよかだった頬も骨が透けて見えるような状態である。物を言うことも難しいほどに衰弱して横たわっている更衣、規則を破ってまで会いに来た帝に懸命に言葉をかけようとする更衣のいたいけない姿に、帝は後先考えずに涙ながら彼女の手を取って抱き上げて耳元で大きな声で元気ずけようと約束事をなさる。しかし更衣にはその帝の約束事にうなずくだけで声に出してお応えする力がない、ぐったりとして帝の腕の中でただ抱かれているだけである、帝と目さえ合わすことが出来ない。帝は混乱していた。とにかく車を用意するように命じたが更衣の退出はお許しにならない。車は親王大臣が使用することが出来る輦車が特別に帝の命令で用意された。
 また帝は更衣のもとに来て、
「死ぬ時は共にと何回も約束をしたではないか、今お前は私をここに置いていく、そんな非情なことが出来るのか、二人の誓いはどうなる」
 更衣は帝の悲痛な叫びに少し顔を上げて帝を見つめ、これがおそらく今生の別れとなると息絶え絶えに

 限りとて別るる道の悲しきに
  いかまほしきは命なりけり)
(人の命は限りあるものです、今私は帝と別れようとしていますが出来ることなら生き長らえたいと思っています。)
「私はこのように思っています……」
 後は息が続かずまだ何か言いたい様子であったが、何も言えなくなってしまった。様子をじっと見ていた帝はまだ未練がある様子に里から迎えに来た者達が、
「今日から始めようと大僧都をお迎えしております、早速今宵から護摩焚きがありますので」
 と早く車の出発をと急かされるので、帝はどうしようもなく車の退出をお許しになった。

 更衣が宮中から退出した後、帝の胸にぽっかりと穴があき、またぐうっと締め付けられたり、一睡もせずに夜を明かしたり、生活の乱れを元に戻すことが出来ない。勅使を頻繁に更衣の里に送る、出した使いが帰らないのに次を出すというぐあいである。最初の勅使が帰ってきて、
「御息所は夜中過ぎにお亡くなりになりました」
 青ざめた顔で報告した。聞いていた帝の周りの者は一挙に涙を流して悲しんだ。聞いた帝はものも言わずにすぐに奥に入ってしまわれた。
 宮殿に残っていた二ノ宮は周りの大人達が一斉に泣き叫び、父である帝も涙を流しておられるのは、一体何が起こったのか子供心には少し感じるものがあるのだが良くは分からない、普通に別れることでも悲しいことであるのだが、死に別れというのはどう表現して好いのか困ってしまう。帝は二ノ宮を傍に止めておきたいのであるが母親が亡くなってしまったのでは里に送らなければならない、二ノ宮は悲しむ父に別れを告げて里に連れて行かれた。
 

 亡き更衣の葬儀が定め通りに執り行われた。夕刻に更衣の亡骸は火葬の地である愛宕へ送られるために行列が組まれた。その中の女房の車に
「私も娘と共に煙となってあの世に登りたい」 
 と泣き叫んで転がり込むように女房の車に更衣の母御が飛び乗った。通例では娘の火葬に母親は同道しないのであるが、火葬場の前で催されている式場について、母はどのような心境であったであろうか、
「むなしくなったこの娘の亡骸を見れば見るほど生きているように思うが、そんなことを思っていてもしょせんはどうにもならないことである、灰になっていく娘をじっと見守ってやって死んだのだと心にけじめを付けよう」  と言いながらも狂ったように泣き叫ぶので女房達はそれをなだめ押さえるのに一苦労した。気丈なことを言っていても最愛の娘を失った痛手は深刻なものであると女房たちの心の内に深く残った。
 葬儀の席に内裏から帝の代理が母御のもとに帝の悔やみの言葉を告げに参上して、あわせて三位の位の叙位が亡き更衣に贈られた。
 勅使が贈位の宣命を読まれる、その文面には帝がついに更衣を女御に出来なかったことへの悔しさがにじみ出ていた。
 
 この帝の亡き更衣への処置を面白くないと思っている殿上人や女房達が多くいた。だが平位の人達は、亡き更衣が美しい人であり、性格もおとなしい穏やかな、人あたりのいい心豊かな人であると、思っていた。帝が女房達があきれるほどに更衣を寵愛し、それが周りの女達の妬みの基になったか、今になって思うとあの女は人柄も優しく情けの厚い人であった。帝に仕える女房達は亡き更衣を偲んでいた。亡くなった後での亡き人を偲ぶのはこんなことであるのが世間一般のことである。


    第二章

 最愛の更衣が死去してから何と言うこともなく日数だけが坦々と進んでいく。帝は忌日毎に使者を更衣の里に送って弔いをなさる。帝は日が経つほどに悲しみが深くなって、あの日以来の夜伽は全て断りになる、ただ部屋で涙を流して亡き更衣を偲ばれて過ごす。それを見ている傍に仕える女官も帝と共に悲しんでいる。
「あの女が亡くなった後までも、帝を悩まし続けるとは何という業の深い女であろうか」
作品名:私の読む「源氏物語」 作家名:陽高慈雨