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私の読む「源氏物語」

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 このような更衣に対する攻撃が続いたため彼女は体調を崩してしまい里の母の元へ帰ることが多くなった。それを帝は可哀想な女よとお呼び返しになり傍を離さずに寵愛される。周りの者達がただ一人の女を大事にされては万事がうまく進まなくなります、と注意をするのだがそんなことを聞くような帝ではなく、後の世にまで女狂いの名を残すような溺愛であった。
 清涼殿に登壇する公卿たちも、他人の目もはばからず二人の睦み合う姿から目を逸らして、
「とても見てはおれないほどのご寵愛のことよ、かの唐国でもかってこのような太守が一人の女を溺愛されたあまり、国が乱れ滅びた故事がありました」
 と噂が広まって世間の人たちも取り上げて、面白くない、苦々しい、情けないことである、という評判がたち、唐国で有名になった玄宗の妃であった楊貴妃とも大差がない女よ、と言う者が現れるようになった。そんな風評が耳に入いってくる、更衣も居心地悪く感じているが、帝の暖かい庇護に甘えて御所勤めを続けて帝の傍から離れなかった。
 更衣の父は大納言であったがすでに亡くなり、妻である母親が由緒ある家柄の出であり、教養のある人であった。更衣自身も父母から充分女としての教育を受け誰にも劣らない知識と、書画、楽曲の素養があった。両親が揃い、資産もある裕福な家の女に劣るようなことはない、どんな儀式、行事にも精通していたのである。しかし、頼みとする後見人がないということは、行事に出席するにも自分、そして供の者達まで全ての衣装を揃えるだけでも大変な物いりで、どうしても他の女御更衣達に後れを取ってしまうことになった。 

 いろいろな方法で、帝を取り巻く女御更衣達から軽蔑され、妬まれながらも二人の仲は続いている。前世からの深い仲であったのではと思われるほど親密さが増していた。
 当然のことに、女は妊娠する。帝にはすでに一の宮がおられる、が溺愛する女の腹に我が種が宿った、とそれは大変な歓びであった。やがて月がたち更衣の里から玉のような男の子が生まれたという知らせがあった。  
 里にいる更衣とわが子に早く会いたいと帝は日に何度も使者を送り子供を連れて早く参内せよとせかされる。やがて更衣が子供を連れて参内する。自分のほうから飛び出さんばかりに帝は我が子と対面する。じっと我が子を眺めていた帝は、この子は世にも珍しい聡明な顔立ちである、よくぞこのような子を産んでくれた、前にも増して更衣、そして嬰児に愛情を注がれるようになり、母親ともども一生側に置いて慈しみ続けようと決心した。
 
 一の宮の生母である弘徽殿の女御は右大臣家の娘であった。このとき一の宮は三歳になっていた。この宮が将来春宮と成られると望んでいる人が多いし、後見人の良さからこの一の宮が皇太子になられるであろうと誰でもが思っていた。しかしここに生まれた二の宮の美しさ、気品の良さはとうてい一の宮はおよばないという声を帝は聞かれ、一時は二の宮を東宮にと考えたのであるが、今はこのまま子供を更衣の里に帰すことなく内裏の中で傍らに置いて育てようと考えていた。生まれた子供は母親の里で育てるという一般の常識を破ることになった。
 美作の更衣は宮を出産された後は部屋を「桐壺」に与えられそこで子供と起居するようになった。それでみんなは彼女を「桐壺の更衣」と呼ぶようになった。
 桐壺の更衣はその身分からとうてい帝の傍に上がって世話をするような女房ではなかったが、帝の彼女に対する関心が高く、またその出身が上流界でないにもかかわらず上流人の雰囲気があり、帝がそんな彼女を気に入られて片時も傍から離すようなことをしない。音楽の演奏会、そのほかの宮中での催し物がある時は一番先にお呼びになり傍らに座らせておられる。また夜伽などは、夜遅くまで二人の交わりが続いたのか起床の時になっても起きてこられないことも度重なる。更衣はそのまま帝の傍を離れずに次の日のお勤めに入る。そんな行動から男好きの下品な女だとこそこそと囁かれているようであったが、子供を授かってからは二人とも行動を少し慎まれるようになった。
 こんな帝の更衣を可愛がりようを一の宮の母弘徽殿の女御は、
「ひょっとすると帝は一の宮を差し置いてあの二の宮を春宮にと考えている」
 と疑った。
 弘徽殿の女御は急いで参内して帝に、
「一の宮を早く春宮に宣旨下さいませ」
 と強く訴えられた。
 帝はこの女御との間に一の宮をはじめとして皇女があり、弘徽殿の女御の訴えを無理に退けることは出来なかった。
 桐壺の更衣は、帝から手厚い庇護を受けているのではあるが、相も変わらず女御や同僚更衣達からの妬み誹りは激しい。桐壺の更衣はそう気性の激しい女でないので、帝からこんなに寵愛を受けなければ同僚達からの妬みや嫌がらせをぶっつけられることもないであろうに、と気持ちを内に内にと隠らせてしまう。
 更衣に与えられた部屋である「桐壺」は帝の御座所から離れたところであった。帝のお呼びがあるとどうしても同僚、先輩達の部屋の前を通り過ぎなければならない、数日に一回ほどのことであれば、誰も問題にするようなことはなかったのであるが、毎日、それも日に数回の呼び出しがある度に、お召しもなく暇をかこっている女御、更衣達は、次第に怨嗟の気持ちが高ぶってきている、その前を帝の前に参上する更衣の姿は暇な女達の神経を益々逆なでしていった。
 「桐壷」とは中庭に桐が植えられていたのでみんなはそう呼んでいたのであるが、正しくは淑景舎といわれ、帝の御殿である清涼殿からは最も遠い東北の隅にあった。その遠いところから帝のおられるところまでには、かけはずしのできる板の橋やかけはずしのできる、寝殿造の二つの建物をつなぐ廊下である渡殿があり、呼ばれる回数が多い時には、通り道におかしな仕掛けをしたり、迎えの使者や見送りのお付きの者が戻ろうとすると汚物がまかれ女の裾を汚すようなことをする。またある時は両側が部屋の中廊下を進んでいると、突然両方の入り口に鍵がかけられ進むも引くことも出来ないようにしたり、あらゆる方法を考え出して嫌がらせを更衣に浴びせた。
 帝はそのような女達の更衣に対する恨みの行為を察知して、自分の座所のちかくの後涼殿に局を持っていた更衣を他所に移し、そこへ寵愛する更衣を住まわせることにして更衣に掛かる恨みの行為を避けるようにした。移された更衣の桐壺の更衣に対する恨みは骨にまで沁みたことであろう。


 帝と桐壺の更衣との間に出来た二の宮が三歳になった年に、幼児から少年になった証の儀式である「御袴着」の儀式が催された。
 一の宮の儀式は盛大に行われて終わっていたが、その一の宮の儀式に負けない位に盛大に立派な儀式であった。 帝は宮中の内蔵寮、納殿に収納されている宝物を全て式場に飾り祝いの席を盛大に飾り付けた。
作品名:私の読む「源氏物語」 作家名:陽高慈雨