慟哭の箱 2
「ほんとにあの刑事のジジイ・・・!」
野上が綺麗な眉を吊り上げて、刑事らが出て行った扉を蹴飛ばしている。
「須賀くん大丈夫?」
「俺は、はい」
「捜査捜査って・・・わたしの仕事なめてんのかな。治療優先っていってんだろーがよ」
ぶつぶつ言いながら、診察室の隅で、ポットからカップに湯をそそいでいる。診察時間はとうに過ぎている。彼女も家に帰ってのんびりできる時間だろうに、自分のためにそれができないのだと思うと、旭は申し訳なかった。
「はい。あったかいの飲んで。落ち着くから」
「ありがとうございます」
しかし彼女は、勤務時間が過ぎていることを怒っているわけでも、ここにいる煮え切らない旭に腹をたてているわけでもない。刑事の振る舞いに腹をたてているのだった。長い髪をひとつに結わえた彼女は、おせじ抜きで美人だ。そしてそれ以上に仕事熱心で、患者のことを思ってくれる医師なのだと、旭はこの病院にきていろんな人に聞いた。
「もうすぐあの清瀬さんとかいうのが来てくれるからね」
「はい・・・」
清瀬もまた、仕事を終えたその足でこちらに向かってくれているという。申し訳ない、だけどそれ以上に旭には有難かった。
(あ・・・おいしい)
温かな紅茶はおいしくて、疲れた身体にしみわたっていく。葬儀が終わっても緊張感に包まれている身体はちっとも休まらない。温かなお茶の温度は、そんな疲労や緊張感をゆっくりと溶かしてくれるようだった。
「疲れたでしょう。今夜はもう帰ってもいいんだよ?カウンセリングなら明日以降でも」
「はい・・・そう思ったんですけど」
カップに目を落として、くちびるをかみ締める。
「どうしても、聞いてもらいたいことが・・・」
「そういうことなら、こっちはかまわないけどね」
さっぱりとそう言って、野上はにかっと笑った。その表情にほっとしたとき、診察室の扉がノックされた。
「遅いよ刑事さん」
「すみません」
そう言って彼は苦笑いを浮かべる。
「・・・清瀬さん、」
「五日ぶりだね」
現れたのは清瀬だった。スーツが少し濡れているのは、雨に降られたからだろう。棒切れみたいに、ひょろひょろで、背が高い。だけど威圧感はぜんぜんない。だらしなく結んだネクタイからも、濡れた前髪の下にある穏やかな目からも、他者をおびえさせる要素が見えてこない。少なくとも旭にとってはそうだ。
「おかえり、疲れただろ」
「すみません、お仕事のあとに」
「気にしなくていいよ」
笑ってくれるのが嬉しかった。緊張感が緩んで、帰ってきたのだと思える。
このひとは優しい。旭の周りに、こんな大人はいなかった。両親を筆頭に。