慟哭の箱 1
泥濘
身動きが取れない。四肢が泥に沈んで、もがけばもがくほど身体の自由が奪われる。
逃げなくちゃいけないのに。はやく抜け出さなければ。
そう思えば思うほど、身体は沈む。
ああ、逃げられない。
あれが。あの怖いものが。もうすぐそこまで迫っている――
「はっ!」
風船が弾けるようにして意識が戻った。夢を見ていたようだ。永く、恐ろしい夢を。
「気がついたかい」
声をかけられそちらを見ると、傍らに男が座っていた。見たこともない男だった。
「・・・だ」
誰、と問いかけようとして身体がこわばった。ここはどこだ?知らない部屋のベッドの上。見たこともない白い服・・・たぶん病院着。右手のひらに包帯が巻かれていて、ずきずきと痛む。
「あ、あの、俺は、なんで・・・」
頭が混乱している。ここは、病院?どうして?何があった?自身の記憶が連続していない。わけがわからない。怖い。身体が震える。
「落ち着いて。名前が言える?」
パニックになる頭に、男の静かな声が響いてくる。まるで動じていない、すべてを見透かしているかのような声。くたびれたスーツを着ている。痩せていて、背が高い。お兄さんというには年を経ており、かといっておじさんというには早い気もする。こちらを見据えてくるその瞳には何の感情もなくて、だが穏やかな海のようなその柔和な目元に少しばかり安堵した。
「名前・・・俺は、須賀旭。すが、あさひ」
「須賀くんだね。俺は清瀬というんだ」
清瀬さん、と繰り返す。口にして繰り返すことで、どうにか平静を取り戻そうとする。