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生と性(改稿版)

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「やる人がいなければ仕方ないでしょう。結局、大家から文句を言われるのは我々なんです。本当は親族にやってもらうのが一番なんですけどね」
 恵美は福祉事務所や町役場の担いでいる重みに、少し触れたような気がした。浅岡はまた草を刈りだした。
「私も手伝うわ」
 恵美は袖をまくった。浅岡は「いいんですか?」と言いながらも、爽やかな笑顔を恵美に向けた。

 結局、無縁仏の草刈をして、恵美が帰路に着く頃には、とっぷりと陽が暮れていた。宵闇の中を恵美は家路に急いでいた。
 恵美が夜道を歩いていると、後ろから自動車のエンジン音が聞こえた。恵美は直感的に嫌な予感がした。そして、後ろを振り返る。すると、車は一直線に恵美へ向かって突進してきたのである。
「あっ!」
 恵美は咄嗟にかわしたつもりだった。それでも、車のバンパーが恵美の左足をかすり、恵美は転倒してしまった。
 車はそのまま逃げ去った。だが、恵美は見た。その車に貼ってある車椅子マークを。それに、その車は見覚えのある車だったのである。
「大丈夫ですか?」
 恵美に駆け寄ってきたのは、何と瀬田刑事であった。
「ああっ、痛い……!」
「取り敢えず、救急車を要請しましょう。あの車は確実にあなたを狙っていました」
 瀬田刑事は携帯電話を弄った。そして、救急車を要請する。
「刑事さん、まだ私をつけていたのね……」
 恵美は痛む足を押さえながら、恨めしそうに瀬田刑事を見上げた。
「しっかりと車のナンバー見ましたよ」
「川島昇一の車よ。障害者用の改造車……」
 昇一は生活保護を受給していた。生活保護では原則、車の保有は認められていない。しかし、障害者が通院する場合などで保有が認められるケースがある。昇一の場合もそれであった。
 恵美は豊が「あいつは粘着質だから気を付けた方がいい」という言葉を思い返していた。
 遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。

 恵美は幸いにも骨折もしておらず、打撲程度で済んだ。
 瀬田刑事は病院にまで付き合ってくれ、「川島昇一は必ず逮捕します」と息巻いていた。
 その言葉どおり、昇一はその日のうちに逮捕された。しかも容疑は「殺人未遂」である。
 その後の瀬田刑事の話では、昇一は「障害者を逮捕するとは何事だ」と憤っていたという。ただ、刑事にその現場を押さえられていたのでは、言い逃れもできぬ昇一であった。
 その話を聞いて恵美は、「厳罰を望みます」と瀬田刑事に言った。恵美の心中は穏やかではなかった。瀬田刑事も「障害者の中には悪い奴もいるもんですねぇ」と言い、憤っている様子だった。
 恵美はしばらく休業することにした。打撲の傷が痛んだのだ。
 恵美は湿布を変えながら、焼酎のロックを飲んでいた。
「あいたたたた……」
 恵美は思わず、呻き声を漏らした。打撲も軽症だったが、受けた心の傷の方が痛んだ。
(まさか、川島昇一が私を車で轢こうとするとは……。そこまで思い詰めていたのかしら……?)
 恵美は焼酎のロックを煽りながら、釈然としない心の靄(もや)を見つめていた。恵美はどこかで自分が知らず知らずのうちに恨みを買っていないか心配になるのだった。確かに恵美はアンダーグラウンドな仕事をしている。そんな自分が空恐ろしくなったのだった。
「はあ、もう潮時かなぁ……。この仕事……」
 恵美がため息交じりに独り言を呟いた時だった。不意に携帯電話が鳴った。新城哲夫からの電話だった。
「どう、傷の具合は?」
「まだちょっと痛むけどね。傷自体は軽いのよ。ただの打撲だからね。でも、心の傷の方が重症かも……」
 恵美は焼酎を啜った。
「飲んでいるんだね」
「あ、わかった?」
「それにしても、川島昇一はとんでもない奴だな。逆恨みもいいところだ」
 電話口の向こうで哲夫が憤慨しているのが、恵美にもわかった。
「何だか私、怖くなってきちゃったわ」
「でも辞めないだろ、この仕事……」
「今、考えているところよ」
「辞めちゃダメだよ。ポリシーを持って仕事をしていたんだろう。だったら、辞めちゃダメだ。それに、俺たちが困るじゃないか。あ、これ本音ね」
 恵美がクスッと笑った。確かに恵美の仕事は感謝されることが多い。顧客のほとんどは満足してくれていると思っている恵美であった。ただ、昇一のように捻じ曲がった欲求をぶつけてくる者もいる。越えてはいけない一線を越えてくる者もいる。その事実と向き合わないわけにはいかなかった。
「川島が特殊なだけだよ。あそこまでする奴はまずいない。恵美ちゃんは悪くないんだからさ。それに同じ脳性麻痺だっていい奴は沢山いるよ」
 考え込んでいる恵美を察してか、哲夫がそう言って恵美をフォローした。
「そうね……。生ですることを拒まれたからって、車で轢こうとまで思う人はそうそういないわよね。やっぱり彼は捻じ曲がっていると思うの。そして、同じ脳性麻痺の人でまともな人も知っているわ」
「その川島なんだが、今は拘置所にいるらしいじゃないか。拘置所の前に障害者団体が毎日来て、抗議の声を張り上げているらしいよ」
「えっ、何であんな奴のために……」
 恵美は心臓が一瞬ドキンと乱れたのがわかった。
「川島は障害者団体の幹部もしていたじゃないか。だからそれなりの仲間も多いんだと思うよ。『障害者を拘束するな』って毎日騒いでいるらしい。近々、署名活動も始めるらしいよ」
「馬鹿じゃないの。障害者だって罪を犯せば拘留されて当然よ。騒いでいる連中もあいつみたいな奴ばかりなのかしら?」
「さあね……。ただ、障害者の中には世間の常識が通用しない連中もいるってことさ」
「はあ、今回はそれを思い知らされたわ」
 恵美はため息をついて、頭を抱えた。
「まあ、あんまり思い詰めないで……。復帰、待ってるよ」
「うん……。ありがとう……」
 そう言って電話を切った恵美だが、まだ自信があったわけではなかった。
 恵美が考え込んで焼酎を煽っていると、呼び鈴が鳴った。恵美が痛む足を引きずってドアを開けると、瀬田刑事が立っていた。
「刑事さん……」
「その後の傷の具合はいかがですか?」
「まだ、ちょっと痛むわ。それより何の御用? また私を逮捕しに来たの?」
 恵美はややもするとつっけんどんな口調で言った。
「いえ、あなたと川島昇一の関係についてお伺いしたくてね」
「あら、前にもお話しませんでした? 以前、川島昇一は私のお客さんだったのよ」
「そのー、あなたが『性介助』でトラブルになった時の状況を、もう一度詳しくお聞かせ願えますか?」
 恵美の顔が曇った。しかし、仕方ないと思って、瀬田刑事を家へ上げた。玄関先でできる話でもないと思ったからだ。
「別にお酒飲んでいてもいいでしょ? 私のストレス発散はこれとセックスなのよ」
 そう言って、恵美は引き続き焼酎を煽った。
 恵美は昇一とトラブルになった経緯をまた一から話さなければならなかった。瀬田刑事はそれを必死にメモしていた。
「しかし、川島昇一っていう男は自分中心に世界が回っていると思っているようですな」
 瀬田刑事はしかめ面をしながらメモを畳んだ。
作品名:生と性(改稿版) 作家名:栗原 峰幸