生と性(改稿版)
「私はいつも『性介助』をする時はコンドームの着用を義務付けているの。それをあの男は生でやらせろって言って、無理矢理挿入しようとしたから突き飛ばしただけよ。あの男はね、言わば私をレイプしようとしたのよ。被害届を出すのはこっちだわ。それにあの男の根性は捻じ曲がっているの。何が何でも自分の要求を押し通そうとするのよ」
「うーん、どっちの言っていることが本当なんだ……?」
瀬田刑事は頭を抱えた。
「だが、あんたのやっていることは売春防止法違反であることは確かですな」
脇にいた刑事がボソッと呟いた。
「刑事さんたち、横田栄三郎さんの死亡の第一発見者になった時から、私に目を付けていたんじゃなくて?」
瀬田ともう一人の刑事が顔を見合わせた。その顔は「バレていたか」と言っているようだった。
「いいこと、私がやっているのは売春じゃなくて、『性介助』なの。もっと崇高な仕事よ。世間が障害者の性の問題に直視することがないから、私が先駆的な取り組みをしているだけじゃない」
「この問題はナイーブな問題だと思うよ。でも、今はあんたを家へ帰せないな」
瀬田刑事が深刻そうな顔つきをして腕組みをした。その晩、恵美は警察で過ごすことになった。
翌朝の帰帆警察署の前は騒がしかった。拡声器や昇り旗を持った障害者たちが押しかけたのである。昨日のうちに新城哲夫は釈放されていた。彼と臼井が連携を取って、恵美の顧客に連絡を取り、集めたのである。その中には哲夫や臼井はもちろんのこと、内田豊の姿もあった。尚樹や昭雄も母親に連れられ、立っていた。隆と美佐子の姿も見ることができる。その人数は総勢で三十名を越えていただろうか。
「恵美さんを釈放しろーっ!」
シュプレヒコールは帰帆警察署を圧倒するような声で響いた。
それは取調べを受けていた恵美の耳にも届いた。それが恵美には嬉しかった。
(私を必要としている人たちは、まだまだいる。ここで『性介助』の仕事を辞めるわけにはいかない!)
だが、恵美と警察の主張は真っ向から対立している。恵美は自分の仕事を「性介助」だと言うが、警察は「売春」という線を譲らない。しかしながら、恵美には最後の秘策があった。
「刑事さん、ブラックバスっていう魚、知ってる?」
「ああ、他の魚を食い荒らすって言うんで最近問題になっている……」
「私が学生時代に付き合った男性が釣り好きでね。よく一緒に行ってブラックバスを釣ったの。ブラックバスは意外と他の魚を食べないのよ。主食はアメリカザリガニやカエルなどがほとんどね。小魚の減少は葦原を護岸開発したり、水質が劣化したりしたことの方が原因として挙げられると私は思っているの。それでも国をはじめ、今ではブラックバスの駆除に躍起になっている」
「何故、今そんな話を?」
「私もブラックバスみたいな女だなって……」
「は?」
「持て囃す時はチヤホヤして、必要がなくなったらバッサリ。そして、最後にはすべて弱者に責任を押し付ける。おたくの署長、身体障害者手帳の1級を持っているでしょう。確か心臓にペースメーカーを入れているはずよ」
恵美はしたり顔で瀬田刑事の顔を覗き込んだ。
「どうしてそんなことを知っているんだ? ま、まさか署長があんたに……!」
瀬田刑事の顔が青くなった。同席している刑事は「おい、いい加減なことを言うんじゃない!」と恵美を恫喝する。
「署長さん、ご結婚されたらしいじゃない。最近流行の婚活でもしていたのかしらね。それ以来、すっかりご無沙汰よ。ところでメモとペンを貸してくださらないかしら?」
同席した刑事がメモ用紙とペンを恵美に渡す。恵美が何か書き始めた。恵美はスラスラと書くと、メモ用紙を瀬田刑事に渡した。
「刑事さんがどうしても売春だと言うならば、これを署長に渡して……」
青ざめた瀬田刑事の手が震えている。
「こんなもの署長に渡せるわけないだろう……」
その紙には「早坂帰帆警察署長殿 金一万円確かに領収いたしました。但し、売春代として。高田恵美」と書かれていたのである。
「じゃあ、署長室に連れて行って頂戴……」
「おい、いい加減なこと言うな!」
同席した刑事が机をバンと叩いた。だが、恵美は動じない。
「警察って何でも疑ってかかるのね。署長さんね、ちょっとマゾ入っているのよ。私の足を舐めて喜んでいたわ。何せ相手が警察署長だから、こっそり録画したの。私の家の家宅捜索をしたら出てくるんじゃないかしら。その時のDVD……」
瀬田刑事と同席した刑事が顔を見合わせた。その顔は青ざめている。
「ちょっと待っていてくれ……」
瀬田刑事が席を外した。警察署の外では「恵美さんを返せーっ!」という罵声が響いていた。
ものの五分も経たないうちに、瀬田刑事は息を切らして戻ってきた。
「釈放だ……。帰っていいぞ」
「ほら見なさい……」
瀬田刑事は悔しそうに唇を噛み締めていた。同席した刑事は視線をはぐらかす。
「ちっ、婦人相談所で更生させようと思ったのに……」
瀬田刑事が苦し紛れに、本音を恵美の背中に吐き棄てた。
帰帆警察署から恵美が外に出ると、顧客たちが「わーっ!」と歓声を上げた。恵美はにこやかに笑顔を振りまいた。
「ありがとう。みんな、こんな私のために……」
「いやいや、恵美ちゃんは俺たちの女神様だからな」
哲夫が白い歯を見せて笑った。
「お咎めなしで釈放だろう?」
「うん、まあね……」
「やったーっ!」
一同が万歳をする。そんな彼らを見て、恵美は照れくさそうに笑った。
「でも、どうしてこれだけの私のお客さんを集められたの? お客さん同士のネットワークでも密かにあったの?」
「悪いけど、これを使わせてもらったよ」
哲夫が恵美の携帯電話を翳した。ここで恵美は哲夫のベッドサイドに携帯電話を置き忘れていたことを思い出した。
「勝手に中を見て御免。気に障ったら謝るよ」
哲夫が恵美の顔を覗き込んだ。だが、恵美は首を横に振る。
「ううん、ありがとう。嬉しかったわ。みんなの声、取調室の中までビンビン響いていたわよ。それで私も勇気をもらったの……。今までみんなを支援してきているつもりが、今度は支援される側になっちゃった」
この時、恵美の頭の中には「相互支援」という言葉が浮んでいた。確かに恵美は「性介助」を通じ、客たちを支援してきた。だが、こうして支援してもらい、お互いの結束が固められていくものだと実感したのである。
(私はこの人たちに支えられている……)
そんなことを思う恵美であった。
「今回の一件は川島昇一が元凶らしいな」
ボソッと内田豊が呟いた。恵美は苦笑しながら頷いた。どうやら豊も昇一のことを知っているらしい。
「あいつ先日、ボランティアの女子大生に手を出して妊娠させたんだよ。きっとあんたから示談金でもふんだくる算段をしていたんじゃないかな。そしてそれを堕胎の費用に回す。あいつならやりかねない筋書きだ」
「そうなの? 私に無視されてボランティアに手を出したのね」
「あいつは粘着質だから気を付けた方がいい。今後もトラブルに巻き込まれる可能性があるよ」