生と性(改稿版)
その二日後、恵美は栄三郎の葬儀に立ち会っていた。午前中に栄三郎を荼毘に付し、午後にはすぐ無縁仏への納骨する予定である。葬儀屋の他に立ち会ったのは町の福祉課の浅岡という職員と、福祉事務所の平井、そして恵美だけである。
葬儀屋は棺に納められた栄太郎の遺体を運んできた。献花や焼香などない。荼毘に付すだけのごく質素な葬儀であった。
恵美は棺の中を覗き、栄太郎と最後の別れを惜しむ。ドライアイスに周りを囲まれた栄太郎は目こそ閉じられていたが、口は開いたままだった。
「今まで栄太郎さんはどこにいたんですか?」
恵美は葬儀屋に尋ねた。
「ああ、うちで保管していましたよ。こういうケースではまずご自宅で葬儀をするのは無理ですからね。ドライアイスで周りを固めてうちで保管するんです。これからの季節、使うドライアイスの量も半端じゃなくてね。この方の場合、既に腐敗が進んでいたから、通常の二倍はドライアイスを使いましたよ」
「よく、こういうケースはあるんですか?」
「うちは警察からの依頼が多いですからね。中には完全に腐敗が進んでいて、原型を留めていないご遺体も多いですよ。孤独死は不審死扱いですからね。必ず警察が介入します。そして、引き取り手のないご遺体は今回のように役所の世話になることになりますね。いや、今回は骨壷を付けましたがね、持立市なんかの場合はジュースの空き箱にご遺骨を入れていくんですよ」
「ジュースの空き箱……。そのご遺骨はどう処理されるんですか?」
「さあ、よくはわかりませんが、大方、無縁仏にガサッと放り込むんでしょうな。持立市の場合は常念寺という市と所縁のある寺院があるんで、そこの無縁仏に納められるんだと思いますよ」
恵美は複雑な思いで棺を見つめた。重々しい音を立てて火葬場の釜が開かれた。
「それでは出棺です」
一同が黙祷を捧げた。人の死は映画や小説の中では綺麗に描かれることが多い。だが、現実に葬儀屋が言うような死のドラマもあるのだ。恵美はそのことを心の中で深く噛み締めていた。
栄三郎を荼毘に付している間、恵美たちは火葬場の二階にある待合室で待機していた。
平井が言う。
「いやー、今回は検案で済んでよかった。行政解剖となると大変ですからね」
「解剖になるとどうなるんですか?」
恵美には検案と解剖の違いもわからなかった。
「検案はいわゆる検死ですよ。そこで死因が特定できないと、事件性があると判断された場合は司法解剖に、事件性がないと判断された場合は行政解剖に回されるんです。司法解剖は警察側で解剖の費用を全額出すことになっているんですが、行政解剖の場合は遺族負担になるんです。身寄りのない方の場合、行政解剖の費用を巡って、いつも警察と福祉事務所でトラブルになるんですわ。何しろ、こちらはお金を出す根拠がないですからねぇ。まあ、警察に泣いて貰うより他にないんですけど……」
「そうなんですか……」
恵美はまた人の死に対するイメージが変わった。警察も葬儀屋も役所も大変なのはわかるが、人の死とはもう少し厳かなものであると思っていたからである。しかし、実際にはただの「ゴミ」のように扱われる遺体も多いのだろうと推測した。そう思うと、何ともやりきれなくなる恵美であった。
火葬は四十五分くらいで終了した。平井と浅岡が箸で遺骨を摘み、骨壷に入れる。恵美は葬儀屋と遺骨を箸で摘んだ。
「これが栄三郎さん……」
恵美は頭蓋骨の一部に当たる骨をまじまじと見つめた。白ではない薄茶色の遺骨を。
残りの遺骨は葬儀屋が器用に刷毛を使って集め、骨壷に収めた。
「骨壷は誰にお渡しすればよろしいでしょうか?」
葬儀屋が困惑したような表情で一同を見回す。
「私でよければ……」
恵美が骨壷を受け取った。恵美は骨壷を宝物でも抱えるように、大事に抱きしめた。
火葬場の係の者が埋葬許可書を持って現れた。
「これは納骨まで大事に保管しておいてください。これがないと、埋葬できませんので……」
無縁仏にも埋葬許可書が必要なのか疑問に思う恵美であった。
午後になって四十九日を待つこともなく、栄三郎の遺骨は無縁仏に埋葬されることになった。その無縁仏は栄三郎のアパートからも程近い、海が見渡せる高台にあった。この無縁仏は寺院に属するのではなく、二カ瀬町が管轄をしているのだという。二カ瀬町には潮流の関係で海岸に流れ着く遺体も年に数体は揚がるそうで、町で無縁仏を管轄しているのだ。それに、旧国鉄のトンネル工事では全国から人足が集められ、落盤事故などで亡くなった身元のわからない人足も奉られているのだとか。
無縁仏は苔むした石碑だった。その下に小さな石が横たわっており、福祉課の浅岡と福祉事務所の平井がその石を重そうにどけた。すると人一人がやっと入れるくらいの穴がそこにぽっかりと開いていた。作業服姿の浅岡がその穴に潜る。そして、平井から栄三郎の骨壷を受け取った。
「新入りです。よろしく」
浅岡が潜った穴から、そんな声が聞こえた。浅岡が納骨を済ませ、穴から這い上がってきた時には、その背中に数匹の大きな蚯蚓(みみず)が這っていた。浅岡と平井で石を元に戻したところで町に所縁のある住職がスクーターでやってきて、手短に読経を済ませた。その間、恵美はもちろん、平井も浅岡も頭を垂れた。
住職は読経を済ませると、スクーターに乗ってそそくさと引き揚げていった。
「栄三郎さんはこれで浮ばれたのかしら?」
恵美は胸につかえるものを残したようで、そう尋ねざるを得なかった。
「さあね。そんなこと気にしてちゃ、この仕事は出来ませんよ」
平井がそう言って退けた。恵美は人の死の尊厳について考えていた。だが、身寄りのない者の現実はどうだ。福祉関係者二人と恵美だけしか葬儀から納骨までに立ち会わず、誰も墓参りに訪れぬ古ぼけた無縁仏に栄三郎は埋葬された。
「それにしても福祉事務所と町役場ってどう違うんですか?」
「二カ瀬町は笹熊郡に位置するから、郡部は県の福祉事務所が管轄するんです。市の場合は市で福祉事務所を持っていますけどね。町の場合、生活保護の財政負担が出来ないんですわ。予算の規模が小さいからね。まあ、それでも我々と協力しながらやっているんです」
浅岡が丁寧に説明してくれた。
「こういうケースって沢山あるんですか?」
「結構多いよ。生活保護を受けていると、それなりに親族に迷惑を掛けている人も多いからね。遺骨の引き取りも拒否されるんだ。町では海岸によく手だけとか、足だけの遺体も揚がるんだ。この周りには磯場も多いからね。後は魚の餌になっちまうんだろうな。そんな手足もここに入っているよ。大きな声じゃ言えないけど、この町の切り立った磯場は自殺の名所なんだよ」
浅岡は神妙な顔をしながら言った。恵美は思った。自分だけでも今後、栄三郎の墓参りをしようと。おそらく自分が墓参りをしなければ、栄三郎の生きていた証は、海から吹きつける風に晒されながら、風化してこの世から消え去ってしまうように恵美には思えた。
その時、海からの風は強く吹きつけていた。
臼井から連絡が入ったのは、その翌日の夕方だった。
「どう、豊さんの説得はできまして?」