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生と性(改稿版)

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 だが、栄三郎が動くことはなかった。栄三郎は両目をカッと見開き、口からは万年床に大量の血液を流して息絶えていた。
「ひっ、し、死んでる……!」
恵美の鼻が感じ取った異臭とは、腐敗臭にも似た死臭だったのである。
「そ、そんな、やっと故郷に帰れることになったのに……」
 少し肌寒い夜が続いたからだろうか、部屋には電気ストーブが点いたままになっていた。それが腐敗を促進させたのだ。その死臭は恵美の鼻から脳の中枢にしっかりとこびりついていた。
恵美はすぐさま大家の家へ駆け込んだ。大家がすぐ近くに住んでいることは知っていた。恵美も何回か大家とは顔を合わせたことがある。
「すみません。横田さんが部屋で亡くなっているんです!」
「ええっ、またかい? うちのアパートでは何年かに一度はあるんだよ。まず警察に連絡しなきゃ……。ああ、また葬儀の時、福祉から名義だけ貸せなんて言われるのかしら」
 大家が顔をしかめて懐かしい黒電話のダイヤルを回した。
 駐在が到着したのは、それから五分後くらいだった。
「ああ、またよそ者の一人暮らしか……。あんたが第一発見者?」
 駐在は面倒臭そうに恵美に尋ねた。
「はい。私が来た時には、血を吐いていて、倒れていて……」
「まあ、警察の私が言うのもなんなんですがね。第一発見者というのは面倒なもんですわ。今、帰帆警察の刑事が署の方から来ますから、発見状況をあんたの方から詳しく説明してやってください。まあ、事件性は薄いと思いますがね」
 帰帆警察署から刑事と鑑識が到着したのは、それから十分後くらいだった。すぐさま栄三郎の家にはブルーシートが掛けられ、鑑識が中に入った。
「あんたが第一発見者の高田さんかね?」
 若い刑事が恵美の方を向いて言った。
「困るんだよなぁ。まずは救急車を要請してもらわないと……」
「はあ、でも確実に亡くなっていましたよ」
「それでも、こういう場合はまず救急に連絡すべきなんです」
 若い刑事はピシャリと言って退けた。それは口答えを許さない、いささかきつい口調だった。若い刑事はキャリア組なのだろうか、自分より遥かに年上の刑事を呼び捨てにし、顎で使っていた。その様を見て、恵美は胸糞が悪くなるような嫌悪感を覚えた。
「で、高田さんと横田さんの関係は?」
「ヘルパーです。介護保険ではなくて、個人契約の……」
「ああ、家政婦さんみたいなもんね……。で、発見した時の状況をもう一度、私に詳しく説明してください」

「だから、何度も同じこと言っているでしょう! 私がドアノブを開けたら横田さんが倒れていたのよ!」
 帰帆警察署の一室で恵美は声を荒げた。栄三郎の遺体を発見した当日も、その翌日も恵美は刑事から同じ質問を何度もされ続けているのだ。それは気が遠くなるような時間と労力だった。
「検死の結果はどうだったんですか?」
 逆に恵美が刑事に質問をした。
「ああ、検案ね。結果は肝硬変による食道静脈瘤の破裂とある。まあ、飲み過ぎだね……。今回は発見が早くて良かったね。遅れるとウジムシに食われちゃうからさ。そんな仏さんは見られたもんじゃないよ。ウジムシってね、まず目から食うんだよ。そして腐った内臓を貪る」
 恵美はその話を聞いて、反吐が出そうなくらい嫌悪感を催した。まるで刑事は人の死を面白がるように話したからである。だが、そうした孤独死を何件も処理するとなると、警察も楽ではないだろうし、人の死に対する感覚が麻痺してもおかしくはないだろうと恵美は推測した。
「だったら事件性はないじゃないですか。さっさと私を自由にしてくださいよ」
 刑事は「うーむ」と唸った。
「あんた本当にヘルパーかね?」
 刑事は何度も猜疑心剥き出しの瞳を恵美に向けていた。その度に恵美の心臓は縮み上がるのだった。それを逃すまいとする刑事の視線が嫌だった。
「だから、何度も言っているじゃないですか。個人契約のヘルパーだって……。もうこれ以上は言わせないでください」
「わかった。事情聴取はこのくらいにするか。まあ、家の中が物色された形跡もないし、帰っていいよ」
 その刑事の言葉に恵美はカチンときた。
(嫌だ。この人、私が泥棒だとでも思っていたのかしら?)
 恵美はガタンとパイプ椅子から立ち上がると、刑事に頭も下げることなく、警察署を後にした。

 家に帰った恵美は急遽キャンセルしなければならなかった顧客たちに、お詫びの電話を掛けていた。だが、恵美の置かれた立場に同情してくれる者がほとんどであった。それが、恵美にとって築いてきた信頼関係でもあり、誇りでもあった。
 恵美は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、勢い良くプシュッと空けた。そして、つまみもなしにビールを胃の中に流し込む。恵美の鼻先にはまだ栄三郎の死臭が漂っていた。
 恵美はソファに腰掛け、考える。章太郎は施設という不自由な環境の中で死を迎えた。それに比べ、栄三郎は故郷に帰る直前とは言え、今まで自由を謳歌してきての死であった。どう考えても栄三郎の方が幸せに思えて仕方なかった。
 恵美が物思いに耽っていると、突然、携帯電話が鳴った。それは登録されていない見知らぬ番号だった。
「はい、高田ですけど……」
「すみません。こちら笹熊福祉事務所の平井と申します。警察からそちらをご紹介いただきまして……」
「警察の次は福祉事務所ですか……。で、用件は何かしら?」
 この時の恵美の声は少しやつれていただろうか。
「はい。私は横田栄三郎さんの生活保護の担当をしていたんですが、そのー、葬祭の執行者として名義だけでも貸していただけないかと思いまして」
「あら、栄三郎さんには娘さんがいらっしゃったわよね。確か真由美さんという……」
「ええ、もちろん連絡はしたんですが、葬儀はおろか、遺骨の引き取りまで断られてしまいましたよ」
「ええっ、どうして?」
 恵美の知っている真由美は、栄三郎に同居を勧めたり、衣類や食料を送ってくれたりする優しい娘であり、それは意外な事実だった。
「どうも、親戚中から葬祭の執行と遺骨引取りを反対されたみたいなんです。仕舞には祈祷師や霊媒師まで登場して大揉めになったとか……」
「そ、そんな……」
 恵美は言葉を失った。栄三郎の「故郷に戻っても冷たい仕打ちを受けるかもしれない」という心配は杞憂に終わることはなかったのである。
「葬祭の執行者として名義を貸すのはいいですけど、遺骨はどうなるんですか?」
「ああ、それならば町役場の管轄する無縁仏がありますので、そこに納骨します」
「そうですか……。無縁仏ですか……」
「うちも毎度毎度、民生委員や大家さんに葬祭の執行者をお願いするのが心苦しくってですね。実はここのところ続いたんですよ。それじゃ、高田さんの住所と生年月日を教えていただけますか? あ、印鑑とかは葬儀屋に準備させますので……。葬儀屋も慣れたもので、大抵の氏の三文判は持っているものなんですよ」
 平井なる職員は気の毒そうにそう言った。恵美は「気の毒なのは栄三郎さんだわ」と思いながら、自分の住所と生年月日を平井に教えた。
 電話を切った恵美は、気の抜けた缶ビールを一気に煽った。そして、焼酎のボトルに手を伸ばした。
作品名:生と性(改稿版) 作家名:栗原 峰幸