生と性(改稿版)
恵美が服を脱ぐと、尚樹はすぐに勃起させる。相変わらずペニスは包茎だった。
「さあ、尚樹さん、今日も楽しい時間を過ごしましょ」
「楽しい、楽しい」
尚樹は笑って、ベッドに横になった。その尚樹のペニスにコンドームを被せるとローションを垂らした。そしておもむろに跨る。尚樹は手を乳房へと伸ばしてくる。
「ああ……」
恵美が腰を落とした。尚樹が「うひひひひ」と笑った。
その笑顔が見られる限り、この仕事を続けていこうと決心を新たにする恵美だった。
恵美は腰を振る。膣の中で反り返った尚樹のペニスは、いいように弄ばれていた。子宮口に尚樹のペニスが当たる。
「ああっ、尚樹さん、いいっ!」
女の核を刺激された恵美は喘いだ。
「うほーっ!」
その奇声と共に、尚樹が射精をしたことを恵美は悟った。
恵美は球磨川沿いを散歩していた。近くの中学生が桜並木の土手をランニングしていた。そのはつらつとした姿は、恵美の目にも思わず微笑をもたらす。
今日も治水事務所の公用車が停まっていた。河川敷に隆の姿が確認できた。今日は年配の職員は来ていないようだ。
恵美は土手に腰を下ろし、何か作業をしている隆の姿をぼんやりと眺めた。
隆がふと恵美の方を見た。すぐに恵美と気付き、手を振る。恵美も手を振った。すると、隆は恵美の方へやってきた。
「この前は、ありがとう」
「どういたしまして。それより、瀬谷君と美佐子、入籍したんだって?」
「ああ、先日、帰帆市役所に行ってきたよ。式を挙げるのはまだ先なんだけど、結婚式には高田さんにも来てもらいたいな」
恵美はにっこりと笑った。隆も笑っている。その笑顔は幸せの絶頂にあるといった感じだ。
「夜の生活も、上手くいっているのね」
「ああ、ローションを買ってきたよ。ちょっとアダルトショップに入るのは抵抗があったけどね」
隆が苦笑した。人目を気にしながらコソコソとアダルトショップに入る隆を想像すると、恵美はまた笑ってしまった。
「今なら通販もあるわよ。私もローションとコンドームは通販でまとめて買っているの」
「そうだったんだ。でも、俺と美佐子はしばらく夜の生活はお預けなんだ」
「どうして?」
「美佐子が懐妊したんだよ」
「えーっ、本当?」
隆が嬉しそうに笑った。
「やったね、おめでとう」
「ありがとう」
隆は頭を掻きながら、照れている。
「美佐子も車椅子のママになるのね。きっと、瀬谷君と美佐子の子どもなら、優しくていい子に育つと思うわ」
「ふふふ、そうかな?」
「きっと、そうよ」
そこへ中年の職員が遅れてやってきた。
「こら、ノロケ男、仕事サボるなよ」
「いけね」
隆は舌をチロッと出し、「またね」と恵美に手を振った。恵美も「またね」と手を振る。恵美は川の方へ向かっていく二人を優しい目で見送った。
恵美は腰を上げることなく、ぼんやりと川の方を眺めている。恵美の心の中に章太郎の死と美佐子の懐妊が複雑に同居していた。一つの命が終わり、一つの命が誕生する。そこに恵美は関わっていた。
恵美は生命の不思議について考えていた。
(尚樹さんも、昭雄さんも、新城さんも、栄三郎さんもみんな何らかの障害を抱えながらも、必死に生きている……)
そこに恵美の「性介助」があり、彼らは生命を謳歌することができているのだ。
恵美の中に尚樹の笑顔が浮んだ。先ほど、繋がった時に見せた笑顔だ。母親は「滅多に笑わない子」と尚樹のことを言っていたことを思い出す。だとしたら、尚樹の笑顔は人間が人間としてあるための笑顔のように恵美には思えるのである。恵美は「性介助」が崇高な仕事だと思う。決して臭いものに蓋をせず、真っ向から人の生き様に向かい合う仕事のように思えるのだ。
川上からは、少しばかり温かい風が吹いていた。それが恵美のうなじをくすぐる。
(いい気分……)
恵美は髪を掻き揚げた。そして、ゆっくりと腰を上げると、春とも夏とも言えない風を全身に受けながら土手沿いの桜並木を歩いていった。
臼井から連絡が入ったのはその翌週の月曜日だった。臼井は今日は非番だと言う。
「先日話した筋ジストロフィーの人の件なんですが……、実は『性介助』はいらないって断られましてね」
「そう、それじゃ仕方ないわね」
恵美は落胆することもなく、そう言いながら身支度を整えていた。丁度、今はリップを塗っている。
「待ってください。その人も本心は性欲の捌け口を求めているんです。僕は知っているんです。一人ではマスターベーションも出来ずにいつも苦しんでいる彼の姿を!」
臼井は熱く語った。
筋ジストロフィーは難病の一つで、遺伝により筋肉が次第にその機能を失い、動かなくなる病気である。やがては心不全や呼吸不全により死亡に至る。有名なデュシェンヌ型の場合で平均寿命は二十歳前後と言われている。そのような病気があることは恵美も知っていた。実際に学生時代のボランティアで筋ジストロフィーの患者と接したこともある。
「なるほどね。筋ジストロフィーで症状の進行が見られれば、マスターベーションも出来ないわね。で、その人は何故、『性介助』を拒むの?」
「その……、言いにくい話なんですが……、そのー、何と言うか……」
臼井が言葉を濁す。
「はっきり言って頂戴。でなきゃ、適切な支援が出来ないでしょ?」
「ええ、その……、商売女とは寝たくないと……。自分には好きな人がいて、恋愛のないセックスはしたくないと言うんです」
恵美はまだ見ぬその人の意思の塊をぶつけられたような気がした。今までの客は自ら望んで恵美を求めてきたり、紹介にせよ、恵美に欲求の捌け口をぶつけてきたりしてきた。その筋ジストロフィーの患者は随分と純真なのだと恵美は思った。
「なるほどね……。じゃあ、セックスをしなきゃいいんじゃない。私はフェラチオだっていいのよ」
すると、臼井は「うーん」と唸ってしまった。
「取り敢えず、その人の名前と連絡先くらい教えてよ。私に出来ることがあるかもしれないし……」
「はあ、名前は内田豊と言います。連絡先は……」
恵美が手帳に豊の名前と連絡先の電話番号を書き込む。
「いいわ。じゃあ臼井さんも説得を続けて頂戴。必要があれば私が豊さんのところに連絡しても構わなくてよ」
「ありがとうございます。僕も出来る限りの説得はしてみます」
臼井はやや力の篭った声で、そう答えた。
その日、恵美も日中はフリーだった。予約の客は入っていない。恵美は二カ瀬町に住む横田栄三郎に餞別を渡しに行く予定だったのだ。恵美は故郷に帰る栄三郎に特急運賃くらいの餞別を包んでいた。
二カ瀬駅に着き、国道を渡って坂を上る。今日は辻角に主婦の群れは見当たらなかった。
栄三郎のアパートは海を見下ろす高台にある。栄三郎の家の前に立つと、ドアをノックした。しかし、返事がない。それどころか、栄三郎の部屋からは異臭が漂ってくるではないか。不審に思った恵美はドアノブを捻った。
「あっ!」
思わず、恵美は驚愕の声を漏らした。奥の六畳間で、栄三郎は吐血して仰向けに倒れていたのである。恵美はそーっと近づいてみる。
「栄三郎さん……」