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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 4~5

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「世の中には奇妙な偶然が山ほどある。それが運命なら、俺がお膳だてするまでもない」

 走る車のフロントライトを浴びてピアスが鈍く光る。言葉を失ったままうつむいていると、近寄ってきて耳元で言った。

「おまえの本気の顔を見たいだけだ」

 そう言って初音の耳にくちびるをつけた。体が跳ね上がりそうになったのをこらえ、顔を上げると彼はもう運転席に体をすべりこませていた。

 エンジン音と共にサイドガラスが開き、掌が見えた。口をきつく結んでBMWが走り去っていくのをただ眺めた。
 手の中に残されたチケットがまだ熱を帯びているようだった。

                ***

 翌週の木曜、駅の二番出口に向かった。夕暮れの地下街が人いきれで混みあっている。

 学校帰りの学生、帰宅途中のOL、着飾った老夫婦、寝癖がついたまま走る男性。レストランから漏れ出す食事の香りと、足早に過ぎ去る人々の吐息が混ざり合い、湿気を帯びた空間に充満している。立ち止まっている人はしきりに携帯電話の画面をのぞく。
 誰もが息をつく間もないほど忙しそうにふるまっている。

 歩きながらショーウィンドウのガラスに映る自分の姿を確認する。白のシースルーブラウスはそれなりに品があるし、ロイヤルブルーのクロップトパンツには皺ひとつない。

 幼い頃、母に手を引かれてむかうときはいつも、何重もレースのついたワンピースと黒のエナメル靴を身に着けさせられた。普段は薄化粧の母も口紅を塗り、ゆったりとしたブラウスを羽織っていた。テーブルに置かれたキャンドルが母の横顔を淡く照らし、くちびるは桃色に輝いていた。気だるくたゆたう父のピアノの音色、グラスの重なりあう音、大人たちの穏やかな談笑の声。外界から切り離された静かな大人の世界が『ラウンド・ミッドナイト』には満ちていた。

 約束の十分前だったが晃太郎はもう来ていた。黒シャツの襟を立て、ベージュのコットンパンツをはいていた。手荷物ひとつない身軽さが本番直前のプレイヤーのようだ。

 近づくと晃太郎はヒュウッと口笛を鳴らした。うつむいたまま彼の横をすり抜けて階段を上がった。

 地上に出たところで手を取られた。ふりほどこうとしたが彼はそれを許さなかった。

「そんなつもりできたんじゃないんだけど」
「俺はそんなつもりで誘ったんだけどね」

 晃太郎の笑みにからかいは含まれていないようだった。
 腕の力を抜くと、初音の手をひいて歩き出した。

 地上はじっとりとした熱気に包まれていた。絶え間なくビルから吐き出される人の群れ、エアコンの室外機から吹き出す熱風。居酒屋の店員が大声を張り上げては見知らぬ人たちをつかまえる。林立する雑居ビルの連なりはどこまでも高く空を目指す。

 ビルの頭上から顔を出すラブホテルの看板。日差しを遮ってうねりくるう高速道路。充満する排気ガスのにおいで目眩がおこる。

 アスファルトの段差につまずくと、晃太郎が立ち止まった。
 要たちと演奏しているときよりも静かな瞳が、かえって初音を戸惑わせる。

「……どうしてあなたみたいな人が要のバックバンドをしてるの?」

 つぶやくと彼は不意をつかれた顔をした。

「どうしてって……いま詳しく聞きたい? こんなラーメン屋の室外機の前で」

 話をはぐらかそうとする気配を感じたので、すぐさま言葉を重ねた。

「この前のライブ、あれがドラマーとしての本職なんでしょ?」



 晃太郎からチケットを受け取った翌日、湊人を誘い、ライブハウスに向かった。
 アマチュアバンドが根城にしている小さなライブハウスのようだった。地下の入り口につながる薄暗い階段に無数のライブ告知が貼られていた。

 前座のバンドは聞くに堪えないものだったが、湊人はそれなりに楽しそうだった。高校生の頃、初音がやっていたバンドも同等のレベルだったけれど、あのときは満足していた。自分の手で音楽を生み出す快感を知った頃でもあった。

 休憩をはさんでメインのバンドメンバーが姿を見せた。

 晃太郎がバスドラムを踏み鳴らした途端、暗闇の中に歓声が起こる。
 ヴォーカルの口から聞きなれない曲名が飛び出す。その度に観客たちは決まったアクションを返す。湊人と初音の間に割り込んできたのは、鼓膜がやぶれそうなほど激しい晃太郎のドラムプレイだった。

 スポットライトを浴びる晃太郎の前に大小六枚のシンバルが並ぶ。三つのタムとハイハットにスネアドラム、二つのバスドラムが彼を取り囲む。曲調はパンクロックとメロディアス・ハードコアをあわせ持っているようだった。

 ヴォーカルの歌詞は全く聞き取れず、ギタリストとベーシストはまともに演奏しているのか疑ってしまうほど激しく暴れまわっていた。

 素人くささが抜けない他のプレイヤーと違ってドラムだけが圧倒的に鳴り響く。腕と足が倍に増えたのではと思うほど複雑に音がからみあう。能面のような顔でスティックを操る姿は、延々と壁打ちをしているテニス・プレイヤーのようだった。

 観客たちは腕を上げて飛び跳ね続けていた。

 ライブ終了後、興奮した湊人が晃太郎に声をかけたがったが、熱狂さめやらぬファンたちに遮られて微塵も近寄ることができず、放心状態のままライブハウスを出ることになった。ステージを振り返ると、爽やかな笑顔の晃太郎が手をふっていた。



「こっちに来てから初めて作ったバンドなんだ。もう十年以上前になるな。仲間はみんな家業をついだりサラリーマンやったりで結局アマチュアバンドのままだけど、今でもちょくちょく集まってライブをやってる。ま、俺の原点みたいなもんだね」
「あれだけ叩けるのに、要の曲は退屈じゃないの? テンポは倍以上遅いし、八本もある腕をもてあますんじゃない?」

 晃太郎は喉を鳴らして笑った。初音の手を握ったまま両腕を上げてみせる。

「正真正銘、二本しかありません」

 手をふりきって前を歩こうとしたが、彼は変わらず手を離さなかった。

 前方に『ラウンド・ミッドナイト』の看板が見える。ダークレッドの下地に淡く光る下弦の月。上下に配された『Round Midnight』の文字。懐かしく重苦しい場所へ鼓動が惹かれていく。
 晃太郎は遮るように立ちはだかって言った。

「あのバンドの時間は十年前で止まってる。やらなきゃ廃れるが今以上の前進もない。死んでるのと同じだ。要の曲は確かに遅いものもある。リズムはルーズだしコードはころころ変えるし腹が立ってしょうがないが、あいつの曲は生きている。ぐねぐね蠢いて居心地のいい場所を探してる。そんな奴と演ったほうがおもしろいに決まってるだろう?」

 初音の手を放し、『ラウンド・ミッドナイト』の扉に手をかけた。
 心臓が縮んで一気に血液を送り出す。

 ショウウィンドウの中に白黒写真が飾られている。国内や海外の有名なアーティストに混じって「Hiroaki Mochiduki」の文字を見つける。人気絶頂だった頃の父の姿。多少色褪せたものの、配置は同じままだった。

 ほこりをかぶった陶器製のドーベルマンも、錆びついた傘立ても変わらずそこにあった。

「おまえの原点はここか?」