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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 4~5

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 そのたびに、湊人の中にがっちりと築かれてしまった壁を取り壊して、心の交感ができるようなセッションをしてみたいと思うのだった。



 廊下に続く扉が大きな音を立てて開く。髪を濡らした晃太郎が上半身裸のままリビングに入ってきた。均整のとれた筋肉が肩や胸のあたりを覆っている。要が自分の胸板の厚さを確かめていると、要の古いTシャツを無言で投げ捨ててきた。

「脇のところに穴がある。とっとと捨てろ」
「ほんとだ。気づかなかった」

 Tシャツを広げて脇の部分をのぞいていると、湊人が立ち上がった。すばやく晃太郎の横をすり抜けて立ち去ろうとしたが、晃太郎の太い腕につかまれて再びソファに押しこめられてしまった。

「はいはい、俺のことがきらいなのは知ってるから、これでも飲んで」

 にっこりと作り笑いをして缶ビールをさしだす。湊人は迷わず手でふりはらう。晃太郎は「わがままなやつだ」とつぶやきながら、冷蔵庫からコーラを出した。
 ふてくされた湊人にむかって、コーラの缶をさしだす。ちらりと横目でにらんで缶を奪いとると、飛び出すようにリビングを出て行った。

「あーあ。せっかく仲良しになろうと思ったのに」
「あの態度で伝わるわけないだろう」

 要はため息をつきながら、窓辺に干していた黒いシャツを投げた。あのシャツって肩のところが破れてたっけ、と思ったときにはもう晃太郎は破れ目を凝視していた。

「こういう生活が音楽にも反映されるんだよ。おまえの音楽は穴だらけ」

 文句を言いながらも黒いシャツに袖を通している。要は思わず笑ってしまった。いつも身なりを整えている晃太郎が穴のあいたしわくちゃのシャツを着ているものだから、怒る表情さえも柔和に見えた。

 晃太郎は手に持っていた缶ビールを一口飲んでいったん置くと、左の手首に手のひらをやった。リストバンドははずされている。
 かわりにおびただしい傷跡が手首を覆っていた。

 要は思わず目をみはった。

「それ、自分でやったのか……」

 晃太郎は顔を上げた。口の端が少し上がっている。

「若気の至りってやつよ。中学のときに半年くらい続けた末に、本気で死ぬなら親父みたいに首でも吊った方が早いって悟ったのさ」
「……首吊りだって?」

 要が息を飲んで言うと、晃太郎はビールを一口飲んだ。

「俺の両親が首吊り自殺をやったんだ。親から継いだ借金まみれの町工場がつぶれて、作業場で仲良く首吊さ。最初に見つけたのは俺だった。ランドセルを背負ったままぼんやり突っ立ってたら、うしろからばあさんの悲鳴が聞こえてきた」

 缶を握りしめて言葉を失ってると、晃太郎は自嘲気味に笑った。

「それで、なんで俺だけ残していったんだ、くそーって嘆いて手首を切りまくったわけだ。わかりやすいだろ?」

 左手に缶を持ったまま、指で手首を切るジェスチャーをしてみせた。皮膚が再生を繰り返した分だけ傷口が盛り上がっている。幾重にも重なった傷跡を要はじっと見た。
 切ったのは一度や二度ではなく、ためらい傷を含めても数十か所に及んでいるようだ。
 要の視線が気になったのか、晃太郎は左の手首を手のひらで覆って苦々しく笑った。

「切ってしばらくすると、指先がジンジンして頭がぼーっとしてくんの。血がダラダラ流れるのを眺めながら、あーこれで死ねるんだーとか思ってんのに、そういう時に限って画期的なリズムが頭をよぎるわけよ。俺、パット・トーピー超えた? なんて勝手な妄想しながらスティックを握ったら血が落ちてきてさ、タオルを巻きつけて机でリズム刻んでたら、血が止まってるんだ。そんなことを何度も繰り返してるうちに、天才的なリズムが浮かぶのはいいけど技術不足で再現できないことに気づいたんだ。手首を切ってる暇があったら練習しようって、リストカットは終了したわけだ」

 晃太郎はテーブルの上にあった黒のリストバンドに手を伸ばした。指でつまみあげて顔の前でぶらぶらとふって見せる。

「これは死ぬことを考える暇があるなら練習しろという戒めさ」

 スティック用のショルダーバックにむかってリストバンドを放り投げる。ゆるい弧を描いて宙を舞いショルダーバックの上に落ちた。

「おまえの前ではもうかくす必要もないな」

 投げ出された左腕がソファに横たわっている。大股を開いて脱力した晃太郎がため息をついた。行き場のなくなった感情が空中を彷徨うような弱々しい吐息だった。
 要は立ち上がって、庭につながる掃き出し窓を開け放った。雨上がりの湿った夜風が部屋の中に吹きこんでくる。窓枠を握りしめた。右手の薬指の感覚はにぶかった。

「俺も一度だけ、本気で死のうと思ったことがある」

 晃太郎はソファの背もたれに乗せていた頭をゆっくりあげてこちらを見た。
 要は右手で握り拳を作り、じんわりと広げながら言った。

「高校三年のときに、交通事故にあったんだ。居眠り運転の車が側道を歩いてた俺のうしろから突っ込んできた。背負ってたギターがクッションになったらしくて大けがはしなくてすんだけど、右腕の神経がやられたみたいで、指が思うように動かせなくなった」



 あの頃の要の未来は明るかった。生霊のようにつきまとう両親の影をふり払い、まかないつきの中華料理屋で皿洗いのアルバイトをし、バンドに明け暮れる日々だった。父に見放され、死ぬほかないと思っていた自分が、苦しいながらもアルバイトで生活費を稼げるようになった。

 当時はプロのギタリストを目指していた。曲を作ることはあっても人に聞かせることはなく、ギターのテクニックを向上させることに必死だった。プロのギタリストとしてバンドを立ち上げ、メジャーシーンで成功することが目標だった。

 しかし高校三年の秋に遭遇した一瞬の出来事で未来はあっけなく砕け散った。

 右腕の怪我が完治してギプスがはずされたとき、動きが鈍いのはギプスをはめていたせいではないと気づき、指先から急速に体温が失われていくのを感じた。変幻自在にギターの弦をはじいていたはずの右手はもう自分のものではなかった。



「必死にリハビリをしてここまで動かせるようになったけど、完全にもとには戻らなかった。病院から帰る途中、駅のホームから飛び降りれば死ねるんじゃないかって思ったんだ」
「でも死ねなかった?」

 晃太郎が新しいビール缶のプルトップを引く音が聞こえた。彼はいつの間にか数本の缶ビールを机の上に並べていて、要にもひとつ差し出してきた。



 あの時、特急列車が通過するというアナウンスを聞いているうちに、ふらふらと足が前に進み出ていた。線路のむこうにある広告看板の女性が微笑んでいた。こっちくれば楽になれるよ、そうつぶやいているように思えた。

 白線を踏み越えようとした瞬間、左の掌に冷たいものを感じた。強く腕を引っ張られてうしろに転倒しそうになった。

 ふりかえると眼鏡をかけた女子高生がいた。ベージュピンクのマフラーが膝のあたりに垂れ下がっていた。要の手を握りしめたまま左手で長い髪を肩のうしろに払った。その拍子に今度はショルダーバッグがずり落ちた。

「ごめんなさい。落ちちゃうんじゃないかと思って、つい」