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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 4~5

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 あとで事務所の人間に聞くと、晃太郎自らが志願してバックバンドへの加入が決まったとのことだった。
 その後も散々の言われようだったが、要の楽曲作成に口出しするわけではなく、「こんな風に叩いてほしい」と依頼するとその通りにやってくれる。驚くほど素直に要望を飲みこんでくれるものだから、謎はますます深まるばかりだった。

 『闇夜のランプ』の最後のフレーズを弾きながらふと顔を上げると、晃太郎が遠い目をしていた。
 目の前にある空間ではなく、遠い記憶のかなたを彷徨っているような表情だった。

 最後の一音を鳴らし終えても、視線は戻らない。またおかしな演奏をしてしまったのかと修介を見たが、いつも通りベースを抱えた姿勢で首をかしげた。

「晃太郎さん、終わりましたよ」

 修介の声で我に返ったのか、晃太郎の瞳に焦点が戻った。

「もう一回やってくれ」

 頭をふってソファに座りなおした。もう普段の厳しい顔つきに戻っている。イントロを弾き始めると、両手で太股や膝を叩き始めた。ドラムのリズムをイメージしているらしい。

 隣に座った修介も譜面をのぞきながら、ベースを鳴らし始めた。

 あの遠い目を見るのは今回が初めてではない。以前、別のオリジナル曲を弾いて聞かせたときも、彼らしくないぼんやりとした表情になっていた。

 玄関から初音の声が聞こえた。鳩時計は九時をさしている。
 リビングの扉が開いて初音が姿を見せた。勤務日だったのか、パール型ボタンのついたブラウスに黒のマーメイドスカートをはいている。

 ソファに座っていた晃太郎が手を止めた。じっと初音に視線をそそぐ。

「今日はアロハじゃないのか」
「勤務時間外にあんなもの着ません」

 晃太郎の視線にはからかいが含まれているようだったが、初音はそれを無視してガラステーブルの上にハンドバックを置いた。

「ちょうどよかった。新しい曲を作ってたとこなんだ。はっちゃんも入って」

 二人のあいだに漂っていた妙な空気をかき消そうと、要は明るい声を出した。
 初音から視線をそらさずに、晃太郎が言った。

「こいつもバックバンドに参加することになったのか」
「まだ決定じゃないけど、こないだのストリートも評判よかったし、いいだろ」
「作曲に参加させるなら、ちゃんと契約を交わしてからにしろ。アレンジも同じだ」

 吐き捨てるようにそう言うと、リビングを出て行った。
 初音はため息をつきながら飲み物の缶を並べ始めた。

「だからまずいって言ったじゃない」
「じゃあ早く俺のバックバンドとして契約してよ。俺はずっと頼んでるのにさ」
「それはできません」

 要としては、すぐにでも初音を加入させたいのに、なかなか承諾してくれない。先日のストリートライブのように要の個人的な活動ならいいらしいが、ギャラの絡んでくる作業となると、断固として首を縦にふらない。

 初音のピアノアレンジを採用した時も、喜んだのは修介だけで、晃太郎は渋い顔をしていた。金とか契約とか、そんな面倒なものはどうだっていい。

 いい曲を作りたい――ずっとそれだけを願っているのに、マイナーレーベルとはいえデビューしてからと言うものの、制約が増えて窮屈になった。

「頼むよーはっちゃん。行き詰っちゃってる曲があるんだよ」
「そんなの知らないわよ。あなたが作らないと意味がないでしょ」

 晃太郎と同じようなことを言われて、要はギターに突っ伏した。
 初音に参加してもらうには、ピアノを弾かずにはいられないような曲を作るしかないのだろう――そう思いながら書きかけの譜面をにらんだ。



 深夜0時をまわった頃、大きなあくびをしてギターを床に置いた。ソファにもたれていた背中がずり下がっていたらしく、首のうしろあたりが痛む。

 早朝からコンビニでアルバイトのある修介は一時間ほど前に帰った。
 晃太郎はシャワーを浴びに風呂場へ行った。今夜は泊っていくらしい。

 黒いリストバンドがテーブルの上に置きざりになっている。

 手に取ってみた。少し汗ばんでいる。リストバンドを眺めているだけでスティックを握る手の動きがよみがえってくる。精巧な時計の針のようにリズムを刻むハイハット、拍子のずれを許さないスネアドラム、ほしいところで必ず響くライドシンバル。

 晃太郎がバンドに参加してから半年が経つが、私生活のことはよくわからない。知っているのは、スタジオミュージシャンとして活動していること、ドラムだけで生計を立てていること、独身で一人暮らしをしていることくらいだ。

 修介に彼女がいることは知っているが、晃太郎からその手の話を聞いたことがない。

 ギターを抱いたまま床に寝ころんだ。頭の下には書き散らした譜面がある。一枚を抜き取って額の上にかざした。書きかけの「#2」だ。初音ならどうアレンジするのだろう。

 イントロからAメロディに続くアルペジオを弾いてみるが、サビへのつながりが悪い。
 ふと気づくと頭の上に足があった。薄っぺらな甲の上に、細い足首が続いている。

「寝たままギター弾くなんて、おかしなやつだな」

 ギターを取ったのは湊人だった。寝返りをうってゆっくりと起きあがる。

「悪い。うるさくて眠れなかったか?」
「別に」

 湊人は足下に落ちている譜面を集め始めた。
 要が手を伸ばしても無言のままだ。要と晃太郎が飲んだビールの空き缶やつまみのかけらがサイドテーブルを汚している。父のガラスの器も結局、灰まみれのままだ。
 湊人は譜面の角をきちんとそろえて要に渡すと、斜めむかいのソファに座った。

「なにか弾いてくれよ」

 意外な言葉に肩の力が抜けた。表情から察するに、もう怒ってはいないらしい。ソファの上で膝を抱え、要にじっと視線を注ぐ。それに応えるように湊人の瞳をのぞきこんだ。
 窓の外から雨音が聞こえる。頭上で白熱灯が明滅する。

「おーおーきなのっぽの古時計……」

 ゆっくりと手首を動かしながら指先で弦をなでる。ウッドベースの太い弦を弾くイメージで喉を響かせる。扉の壊れた鳩時計がこつこつとリズムを打つ。
 最後にCの和音を奏でると、湊人は腕の中に顔をうずめた。

「その曲、死んだばあちゃんがよく歌ってたんだ」
「はっちゃんから聞いたよ。親父さんの葬式に行ったとき、湊人がずっと口ずさんでたのを思い出したんだって。ピアノで弾いてみるか?」

 立ち上がってキーボードに手をかけようとしたが、湊人がそれを制止した。

「いい。聞いてたいから」

 要の留守中、二階にある古いアップライトピアノを湊人が弾いているのは知っている。
 玄関で物音を立てるとなぜか演奏が止まってしまうので、いつも窓の下に立ってしばらく聴いている。

 コードを下地にして自由自在に音色を操る初音とは対照的に、綿密に組み立てられた音をひとつもはずさずに弾くのが湊人のスタイルのようだった。

 こっそりうしろから覗き見をしたこともあるが、譜面らしいものを見たことがない。記憶された音楽を機械のように正確に再現することもあれば、そのときの感情にまかせて激しく鍵盤を叩いていることもあった。