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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 4~5

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4.ストリング・オブ・ザ・パスト



 朝から降り続けた雨のせいか、ラジオの収録スタジオは蒸し暑かった。冷房は効いているはずだが、つめこまれた機材が常に熱を発していて息苦しいほどだ。

 要は汗ばむ手でリスナーからの手紙を握り、明るい声を出す。リクエストされたミュージシャンの紹介を追うように曲のイントロが流れだす。
 歌が始まると、息をついてガラス窓の外を見た。

 巨大なショッピングモールの一画に作られたガラス張りの部屋は、動物園の檻の中のようだ。収録中のラジオ音声は外に流され、買い物客がめずらしそうな顔で通り過ぎていく。
 
 『高村要のサタディ・ナイト・ソング』――一年前から任されている地方のラジオ番組では、毎週土曜日の午後七時から三十分間、要の音声が流れる。
放送局が用意した一週間のテーマにそって、要の推薦曲、リスナーからのリクエスト曲、最後に自分のオリジナル曲を流すことができる。
 ときにはストリートライブさながらに生演奏をすることもあった。

 今朝、役所から届いた封筒のことがずっと頭をもたげている。
 要が五歳のとき、母がいなくなった。荒れ放題の家の中には、母がいたという痕跡ひとつ残されていなかった。どこの家庭にもあるはずの親子の写真が一枚もないのだ。
 父に聞いても、決まったように「あれのことは忘れろ」と言うだけだ。

 もしかすると、小鼻のほくろをよせて笑っていた「美穂」という女性は、実の母ではないかもしれない――それは思春期の頃からずっと気にかかっていたことだった。

 ラジオの収録が終わり、ぼんやりしながらスタジオの扉を開くと、修介が立っていた。

「おつかれっしたー。早く行きましょー。腹ぺっこぺこで」
「どこに行くんだっけ」
「はあ? 何言ってるんですか」

 肩からベースを提げた修介がぽかんと口を空けた。間抜けな顔をしていたためか、要のギターケースも担ぎあげて腕をひっぱった。

「新曲の原案ができたからうちにこいって、要さんが言ったんでしょ。晃太郎さんもくるんじゃないんですか?」
「しまった。忘れてた。連絡してない」

 あわててジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。履歴の画面を見ていると修介が背伸びをしてのぞきこんでくる。

「晃太郎さんには俺が連絡しましたけど」
「違う。湊人に言ってない」
「誰ですか?」
「同居人。はっちゃんの弟で……」

 言い切らないうちに呼び出し音が切れ、通話に切りかわった。声を出そうとすると遮るように、「さっさと帰ってこいよ!」と湊人の叫び声が鼓膜に響いた。
 携帯電話を耳にあてたまま固まっていると、修介がちらりと前歯を見せ、気まずそうな顔をして言った。

「弟さん、怒ってるみたいですけど。行って大丈夫ですか」
「もう晃太郎がきてるみたいだし、とりあえずうちに帰ろう」

 修介からギターケースを受け取ると、急ぎ足でスタジオをあとにした。

 屋上駐車場に向かう前にファーストフード店により、湊人の分のハンバーガーとコーラを買った。きっと今頃、晃太郎が傍若無人にふるまって湊人が怒り狂っていることだろう。

 初音が怒ったときと同じ顔で――そう思うと腹の底のほうから笑いがこみあげてきた。そういうときは食べ物にかぎる。腹が満たされれば少しは怒りも和らぐものだ。

 外はまだ小雨が降っていた。車のフロントガラスに無数の雫がしたたり落ちる。助手席に乗ってワイパーの動きを眺める。
 母の帰りを待っていたあの時期も毎日のように雨が降っていた。

 ギターケースの内ポケットに封筒が入っている。
 今更、戸籍謄本を取りよせてもどうなるものでもない、とため息をついた。



 自宅のリビングからは煙草のにおいが漏れだしていた。晃太郎がソファに座って煙草をふかしている。悠々と煙を吐く晃太郎の前に湊人が仁王立ちをしていた。
 湊人はガラスの器を指さして言った。

「それ、勝手に使うなよ」
「別にいいんじゃないの、灰皿なんだし」
「要の親父さんのだろ。なんでおまえが人んちのもの勝手にあさるんだよ」
「おまえだってただの居候だろうが」

 湊人が今にも怒りを爆発させそうな剣幕で晃太郎につめよったので、要と修介はあわてて二人のあいだに飛びこんだ。

「まあまあ、別にかまわないから。あとで洗えばいいんだし」
「洗うのはオレか初音さんだろっ」

 要に進路をふさがれた湊人が息巻いた。晃太郎は素知らぬ顔で煙草の灰をガラスの器の中に落としている。
 修介はテーブルの上に落ちた灰をティッシュペーパーでぬぐって言った。

「ごめんねえ、この人偉そうにしてるけど、ほんとに偉い人だから困るんだよねえ」
「何を訳のわからないことを言ってるんだよ、おまえは」

 晃太郎は修介の頭をこづいた。要は手から煙草を抜き取って器に押しこんだ。

「ごめん湊人。今からここで打ち合わせをするんだけど、かまわないかな」
「いいに決まってるだろ、おまえの家なんだから。どうせオレは居候だしな」

 そう言い残すとリビングの飛び出し、廊下を踏みならしていった。修介がファーストフード店の紙袋をつかみ、「おみやげだよー食べていきなよ」と言いながら湊人を追いかける。 

 要は晃太郎を見てため息をついた。

「俺よりデリカシーないよな」
「そんなもの音楽には必要ない。さっさと新曲を弾いて聞かせろ」

 ふんぞりかえって手招きしたので、深く息を吐いてからギターケースを空けた。内ポケットから頭を出している茶封筒が気になったが、譜面の隙間に押しこんだ。

 床に座ってギターを抱え、「#3」と書いた五線紙を並べる。イントロ部分のコードを鳴らし始めると、晃太郎は遮るように言った。

「おい、#2はどうした」
「ちょっと行き詰まっちゃって。また次に聞かせるよ」
「じゃあこの曲のタイトルはなんだ」

 この場をごまかしても、晃太郎の追及はとまらない。一度手を止めて考える。

「うーん……じゃあ『闇夜のランプ』」
「よし。弾け」

 納得した顔をしたので、胸をなでおろした。未完成の曲を披露するな、タイトルは必ずつけろ、というのが初めて会ったときからの晃太郎のスタンスだ。不完全なものに自分の主観が加わるのがいやなだけだ、と以前言っていたことがある。

 別にかまわないのに、と要は思う。音楽はひとりだけで生み出されるものではない。作り手、プレイヤー、聞き手。様々な思いが加わることで音色は複雑な層を積み上げ、より深みのある楽曲へと変わっていく。同じ曲でも弾くたびに色彩は変化していく。歳月とともに生き物が姿を変えていくように、音楽も形を変えていく。

 ずっとそう考えて音楽にむきあってきた要にとって、晃太郎との出会いは強烈なインパクトを残すものだった。

 初めての顔合わせの日、晃太郎は開口一番、「おまえの演奏は気持ち悪い」と言った。
 弾くたびにテンポを変えるな、ころころフレーズを変えるのはやめろ、きまぐれにコードを変更するなんて言語道断だ――以前からバンドに参加していた修介は奇妙な苦笑いを浮かべていたが、返す言葉がなかった。
だったらなんで俺のバックバンドに参加したんだよ、とは言えず、「そのうちちゃんと決めるから」と受け流しながらその日はやり過ごした。