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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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紫音の夜 10~11(最終話)

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 頬を切るような風が吹き、葉月はダウンコートについたフードを被った。

「鞍石さんみたいに、まっすぐにお兄さんを尊敬できるのってうらやましいですね」
「葉月ちゃんはできない?」
「うちには……ちょっと問題を抱えてる兄がいて……家にいても気が休まらないんです」
「そういうの、俺もわかるけどね。俺んちは親父が最低だったからな」

 立ちのぼる煙の中から、高木の横顔が垣間見える。

「俺の親父は重度のアルコール中毒で、おふくろを殴るわギャンブルで借金こしらえてくるわで、何度殺してやろうと思ったかわからない。俺が高三のときに肝臓をやられて、あっけなく死んだときは、正直ほっとしたよ。祥太郎さんが亡くなったあとのことだったし、こんな話、とても伶次にはできなかったけどね」

 そう言って口の端を上げた。
 いつもの自信にあふれた強気な眉は、どこか弱々しく見えた。

 気づくと葉月は家族の話をしていた。
 風子や他の友人たちには一度もしたことのなかった、兄のことや家族が壊れていく経緯を事細かに説明した。
 高木はただ相槌を打つだけで、批評をはさむことは一切なかった。 

「兄は私のことを、学生のくせにお高い楽器を買ってもらって調子に乗るな、女は気楽でいいよなって、顔を合わせるたびにばかにしてくるんです」

 そう言いながら、兄の気配を背中に感じるようだった。
 震えだしそうなこぶしをこらえながら、声を出す。

「高木さんは……音楽にすべてを賭ける人生に迷ったことはないんですか」

 携帯灰皿に煙草を押しこむと、高木はゆっくり話し始めた。

「迷ってばっかりだよ。おふくろのためにまともな職に就くべきだとか、あんな最低な親父の血を引く自分にプロになれる器があるのかとか、金がないんだから留学なんてできない、とかね。結局は親に責任転嫁してるだけだったんだ。俺は俺なんだから、信じる道を行くしかない。いつか死んであの世に行ったとき、胸を張って祥太郎さんに会えるようにやるしかないって……そう思えるようになったのはつい最近のことさ」

 海の方から船の汽笛が聞こえた。耳をすませると波の音も聞こえるようだった。
 毎日のように大音量のスタジオの中で過ごしたせいで麻痺していた聴覚神経が、徐々に冴えわたっていくようだった。
 水平線のむこうから、まばゆくライトアップされた客船が姿を現す。

「祥太郎さんと一緒に、船上ライブをしたことがあるんだ。たしか創立記念パーティの余興だったと思う。楽器を積んで出港したときはいい天気だったのに、どんどん雲行きが怪しくなっていった。演奏をする頃には外は嵐さ。祥太郎さんは外を見ながら、死ぬときはみんな一緒だなって苦笑いしながら言ってた。吉川さんも笑ってたし、その場しのぎの冗談だったけど、この人たちと演奏しながら死ぬならそれも悪くないって俺は思ってたんだ」

 高木が指さした客船が、青い光を灯したホテルのすぐ前に入ってくる。
 試運転だったのか、下りてくる乗客の姿はなく、この時間には不似合いな明るいBGMが漏れ出している。

「でも祥太郎さんはひとりで死んでしまった。いつどこで誰と死ぬかなんて、きっと誰も決められない。命のリミットがわからないなら、そのとき自分が信じることを必死になってやるしかないだろ?」

 遠い目をしていた高木が葉月の方をむいた。
 船は停泊しているのに、BGMだけがどんどん近づいてくる。

 高木は逆立てていた金髪をかきむしると、あーあ何言ってんだろ、と言って息を吐いた。

 それから少し、お互いの家族の話をした。
 夜更けの浜風は頬に血をにじませそうなほど強く吹いていたが、冷え切った心は少しずつ熱を取り戻していくようだった。

 すべて話し切ったあと、胸の深いところに蓄積していた澱が、溶けていった気がした。

 立ち上がって伸びをすると、高木もうしろに腕を反らせた。背負っていたワンショルダーバックに手をいれると、紙切れを何枚か取り出した。
 『コズミック・ジャズ・フェスティバル』の前売りチケットだった。
 風子に言われるまま部員に配るとあっという間になくなってしまい、葉月の手元には一枚もなかった。
 
「兄貴にも来てもらいな。ただし、ちゃんとライブ代金を払わせるんだ。これだけの金を払う価値のある音楽を、兄貴の前で見せつけてやるんだ」

 うなずいてチケットを受け取ると、高木が手を差しだしてきた。
 二本のスティックを自在に操る、力強い手のひらだった。

 握手を交わすと、高木は不敵に微笑んだ。冷たい指先の奥に、熱く流れる血を感じる。

「葉月ちゃんの歌にはいつも風景が見える。俺に歌詞の意味は分からないけど、色鮮やかな光景が目の前に広がるんだ。合宿場で初めてあわせたとき、祥太郎さんが舞い戻ったのかと思って背筋が震えたよ。伶次も、同じことを言ってた。真夜もきっと、あの歌声が帰ってくるのを待ってる。きっと祥太郎さんがあの世から力を貸してくれるよ」

 葉月は微笑みかえした。これまでやってきた自分を信じて、その時を待つしかなかった。

 停泊中の船からジングルベルが聞こえる。コズミックは、もうそこまで迫っている。