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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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紫音の夜 7~9

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 吉川が胸の前で腕を組んで目を細めている。

「祥太郎とここでやってたときは、俺もまだ二十歳だったんだ。おまえなんか高校生だったろ? そういや真夜くんはもう二十歳になるんだっけ。早いもんだなあ」

 ひとり言のようにそう言って、真夜を見下ろした。
 当の本人は熱心にピザを切り分けている。
 吉川は厨房から呼ばれるとカウンターの中に姿を消した。

 葉月は高木と目が合うと吹き出してしまった。
 コンボの中では最年長でいつも落ち着いている高木が、後輩らしくからかわれている姿が意外でおかしかった。

「高木さん、孤高の人だったんですか」
「言うなよ、それ。人見知りが激しかっただけだよ」

 高木はまた眉をしかめて苦笑した。
 ウッドベースのセッティングを終えた伶次がテーブルにやってきた。
 それを追うように吉川がグラスを持って近づいてくる。

「よお伶次、元気かあ」

 何度もそう言いながら、子犬をなでるときのように伶次の黒髪をくしゃくしゃにした。
 二人はもちろん、それを見る高木も笑っていた。



 本番中、真夜はかなり汗をかいていた。
 一曲目から広い額にうっすらと汗をにじませ、曲が終わるたびに腕で汗をぬぐった。
 室内はそれほど暑くはなかった。
 薄暗い店内では、ステージ照明がプレイヤーにわずかな光を当てている。

 客の入りは六割程度で、ドアが開くたびに吹きこむ外気が肌寒く感じたぐらいだ。
 風に乗って雨のにおいの混じった夜気が運ばれてくると、喉の渇きがひどくなった。
 客席に立ち上るわずかな煙草の煙さえも、わずらわしく思える。

 ビブラートが思うようにかからない。
 腹に力をこめようとしているのに喉に鋭い痛みが走る。
 肺から送り出す呼気が気管にまとわりつく。

 あごを引ひきつけて真正面を見つめ、気管を広げようとした。
 横隔膜を使って腹式呼吸をする。
 一本の太い管が足の裏から喉元まで通っているイメージを持つ。

 歌のコーラスが終わりに近づくと、真夜は落ち着きなくストラップを上下させた。
 マウスピースに口をつけては離しての動作をくりかえす。
 汗が細い線を描き、痩せた頬をつたった。

 葉月の喉は塞がったようになっていた。
 高木が刻むライドシンバルに乗り、勢いだけで声を押し出す。
 ねばっこい痛みをかき分けてハイノートをふり絞る。

 Fにむかうベンド奏法から真夜のソロが始まる。
 音程が正しいFまで到達しない。
 追い立てられるように指を動かし、息をつぐ。

 真夜を横目で見ながら、足元に置いたペットボトルを拾いあげた。
 水の表面が細かく揺れている。指先が震えている。

 隣で激しくアルトサックスを鳴らす真夜の右手の震えも止まらず、サイドキィをとらえ損ねた。
 また喉の奥が疼く。
 葉月は水を飲んで咳ばらいをした。

 何が喉を支配しているのかわからない。
 コントロールが効かない。
 低音を出そうとすれば筋肉はだらしなく緩み、高音を出そうとすれば縦に細く強烈な痛みが走った。

 首を切り落としたくなった。断面を見て喉を塞ぐ正体を知りたかった。
 真夜が紡いだ音を引き継がなくてはならない――歌をやめるわけにはいかない。
 水を飲んでは痛みをごまかし続けた。
 潤した直後はわずかに調子を取り戻したが、痛みが戻り始める間隔は容赦なく縮まっていった。

 アンコールのときには水もなくなっていた。
 それでも歌うほかない。
 適当に力を抜いて出なくなった高音域をごまかし、マイクから口を離す。

 痛みを越えて、どこから声がでているのかもわからなくなった。
 耳に聞こえる声は自分のものではなく、スピーカーから漏れ出すただの音だった。

 拍手を送る観客におじぎをし、頭を上げた瞬間、目眩をおぼえた。
 マイクを取りつけるふりをしてマイクスタンドにしがみつく。
 喉が焼けるように熱く、水分を欲しがっている。

 唾を飲みこむのも苦痛をともなう。舌で喉の奥を探る。
 風邪をこじらせたときのように、ざらついている。

 葉月は観客をかきわけて奥のバーカウンターに歩みよった。
 吉川が大きなグラスを磨いている。
 葉月に気がつくとグラスを置いてカウンターに身を乗り出した。

「おつかれさま。体は小さいのに、いい声してるなあ。伶次が一緒にやりたがるのがわかるよ」
「あ……りがとうございます。あの、お水……もらえませんか」

 吉川は目を丸くしていたが、すぐにグラスに冷水をついでくれた。
 葉月は一気に飲みほした。
 全身にしみ渡るような安堵感が広がる。
 胃は苦しいが、この瞬間だけ少し楽になれる。
 手の甲で口をぬぐって一息ついた。焼けつく感覚はおさまった。

「喉が痛いのかな、大丈夫?」

 空のグラスをさし出し、大丈夫です、と言ったつもりだった。
 吉川は不安げな顔をしてカウンターに手をつき、葉月をのぞきこんだ。
 水滴のついた銀色の水差しを傾けて、「まだ飲む?」と聞いた。

 いえ、大丈夫です。

 葉月はそう口を動かしてから喉を押さえた。
 気管は毛羽立った分厚いガーゼにくるまれているようだった。
 痛みがない。
 声帯が震える感覚もない――嫌な汗がにじみ出してくる。

「ほら、飲んで」

 言われるままにグラスを手に取り、冷えた水を喉に送る。
 喉に手をあてて腹筋に力をこめた。息はできる。
 腹式呼吸もちゃんとできている。

 なのに、どうして――
 
 声が、出ない。