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青空夏影 面影は渓流に溶け入りて

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 夏はまだ長いが、今鳴いている蝉の命は短いものだ。
 俺達が高校で過ごせる日々も、繰り返す夏のように無限ではないのだ。
「アヤメちゃんが言うように、別れが辛くなってしまうのかもしれないけど、俺は、俺たちがこの村で偶然に出会ったことは何かの縁だと思うんだ。だから、みんながこの村で出会ってよかったって思うような旅行にしたい。だから、一人だけ置いていくなんて出来ないよ。アヤメちゃんがいないと、俺達も始まらないんだ」
 言い終わる頃には恥ずかしさが込み上げてきて、畑に突っ込みたい気分だった。
 でも、俺が言いたいことは全て言ったつもりだ。
 後はどう彼女が反応するか……。
「面白いことを言うのね」
 アヤメちゃんは不敵な笑みを浮かべていた。
 これは手ごたえがあっただろうか。
 表情が少ない彼女の気持ちはわかりにくい。
 これで断られたら、サツキや美沙ちゃんも悲しむだろう。
 三人だけで行く旅行なんて虚しいものだ。
 彼女がどんな人物であれ、白山高校三年生の一員なのだ。
「神田君が、そこまで言うのなら」
 俺の肩に乗っかっていた重い荷が降りたような気がした。
 アヤメちゃんを説得することができた。
 いや、俺が説得したというよりは、彼女の方が折れてくれたような感じだった。
 むしろ、彼女が俺の決意を引き出させてくれたような気もしないでもない。
 もしかしたら、また彼女なりに俺たちを気遣ってくれたのかもしれない。
 俺は都会に出たことがないのでわからないが、それが都会育ちの彼女なりの空気の読み方ではあるようだ。
「そういえば、アヤメちゃんは京都には行ったことがあるの?」
「私も……京都は初めてよ」
 なぜか微妙な間があったが、彼女も初京都らしい。
 アヤメちゃんとそんなやり取りをしいると、石段の下からサツキと美沙ちゃんが現れた。
「あ、マコト達いたよ!」
 サツキが俺達二人の姿を見つけて叫んだ。
 俺は彼女達と再び合流し、アヤメちゃんも行くことを二人に伝えた。
 それにはサツキも意外そうな顔をしたが、やはり嬉しそうだった。
 美沙ちゃんはどこか安心した様子で笑みを浮かべていた。
「じゃあ、みんなでもう一度話そっか。社務所が空いているはずだから、そこに行こう」
 京都旅行の計画を話し合うため、俺達は美沙ちゃんの家に入ることになった。
 先に歩き出した美沙ちゃんとサツキを見ながら、俺は四人で夏休みを過ごせることにほっと胸をなでおろした。
「私達はあなたを中心してまわっているの。だから、これからもみんなには優しくしていて」
 最後に、アヤメちゃんが俺に謎めいた発言をした。
 俺にはその言葉の意味が良く分からなかったが、代わりに昨日、美沙ちゃんが言ったことを思い出した。
『アヤメちゃんは、みんなを気遣ってくれているんだよ。アヤメちゃんは優しいよ』
 この二日間で思った以上に彼女に近づけた気がした。
 もし、旅行が上手くいって彼女が俺を認めてくれた時、彼女は自分の秘密を教えてくれるだろうか。
 俺はそれを知りたいと思った。
 この旅行は、美沙ちゃんやサツキだけでなく、アヤメちゃんにも心の底から楽しんでもらいたい。
 俺たちが過ごす最後の夏休みの思い出が、今始まろうとしていた。
 

 5、小さな夏の日の出来事
 
 
 学校の帰り道、通りかかった港には、いつものようにカモメを追いかける藍の姿があった。
「あ、アヤメおねぇちゃん!」
 藍は私の姿を見つけると、いつものようにカモメたちに手を振って「また遊ぼうねー」と声を掛け、私に駆け寄ってきた。
 この小さな港町にやって来て、しばらくの月日が経った。
 夏はどんどん深まっていき、他の小中学校も、今頃夏休みに入り始める頃だろう。
 それなのに、街を歩いている時も、藍の他に子供の姿を見かけることはなかった。
「おねぇちゃんの夏休みはまだ?」
「もうすぐよ」
「じゃあ、いっぱい遊べるね」
 私は、この小さな港町からバスで三十分ほどの距離にある隣町の高校に通っていた。
 でも、学校へはあまり行くことはなかった。
 人と交わろうとしない私に、話しかける人はいなくなって既に久しい。
 ずっとそうしてきた私はそれでよかった。
 今更、友人を作ろうなどとも考えなかった。
 ただ、藍とは会っていた。
 藍は私の姿を見かけると、決まって「一緒に遊ぼう!」と言ってくる。
 私はただ藍について行き、彼女が遊ぶのをただ近くから眺めているだけなのだが、彼女はそれでも楽しそうだった。
 港を離れると、寂れた町の中を歩いた。
 細い路地を折れて、家と家の間を抜けると、木々に囲まれた小さな神社がそこには建っていた。
 藍は神社の階段を駆け上がり、境内に走って行った。
 私も境内に上がると、そこには数匹の猫がいて、藍にじゃれ付いていた。
「あはは、くすぐったいよー」
 藍は抱き上げた猫に鼻先を舐められていた(猫の舌って痛いんじゃないだろうか)。
 猫たちは警戒心ゼロで、藍にとてもよく懐いているようだった。
「ここはね、私のお気に入りの場所の一つなんだょ」
 藍はそう言って満面の笑みを浮かべた。
 しばらく神社で猫と遊んだ後、私たちはそこを離れた。
 山へと続く道には田んぼが段々状に作られていて、青々とした稲が生い茂っていた。
 藍は田んぼのあぜ道で、蝶々を追いかけたり、草むらで何かを探したりしていた。
 私は緑色の風を肺の奥まで吸い込んだ。
 潮風と、山の匂いが入り混じった空気だった。
 灰色の風が吹くあの場所とは明らかに違う。
 深呼吸するたびに、私の全身に張り巡らされた心臓が、治癒されていくかのような感覚だった。
 コンクリートとガラスに囲まれた場所で生まれ育った私でも、この小さな港町の匂いと風景を、どこか懐かしいと感じてしまうのはなぜだろうか。
 とても不思議だった。
「ねぇ、おねぇちゃん見てみて!」
 何かを捕まえたらしい藍が私の元へ駆け寄ってきた。
 藍は昔、家で飼っていた猫みたいだった。
 その猫も何かを捕まえると、私のところへ持ってきたものだった。
 もっとも、その猫は既に死んでしまったけれど。
 カブトムシの一件がある私は、警戒をしつつ、反射的に後ろに足場があることを確かめた。
 藍の手が開かれると、今度は緑色の物体が飛び出した。
「きゃっ」
 事前に身構えていても、私の脊椎は回避行動を取った。
 藍の手から地面に落ちた緑色の物体は、アマガエルだった。
「そんなに怖がらなくていいよ、かわいいよ?」
 藍はそう言いながら、逃げようとしたアマガエルをまた捕まえた。
 私は藍の手の平に乗ったアマガエルとにらみ合う。
 これもせっかく見つけてきた彼女のためだ。
 もっとも、藍は私の飼い猫とは違うけれど。
 私が恐る恐る手を伸ばすと、カエルは私の手にピョコッと飛び乗った。
 一瞬、冷たい感じがして、それはすぐに感じられなくなった。
 私はアマガエルを静かに持ち上げる。
 アマガエルは私の掌の上で、小刻みに喉を膨らましながら、大人しくしていた。
「ね、かわいいでしょ」