青空夏影 面影は渓流に溶け入りて
美沙ちゃんが感心したように言った。
サツキは相変わらず眠そうだ。
「うん、今日はなんだか早く目が覚めたんだ」
サツキと美沙ちゃんの後ろには、アヤメちゃんが立っていた。
アヤメちゃんは特に挨拶はせず、遠くの方を見つめていた。
昨日、バス停に彼女達を迎えに行くと、彼女達は思ったよりも早く町についていた。
サツキが言うには、すべてアヤメちゃんが誘導してくれたらしい。
まるで彼女は、この町の場所を知っているかのようだったそうだが、ただ、地図見が得意なだけなのかもしれない。
こんな小さな港町は、都会で暮していた彼女にとっては、無縁の土地だろう。
アヤメちゃんの視線の先には港があった。
その港の先端には、白い灯台がひっそりと佇んでいた。
「みなさん、おはようございます」
飛鳥ちゃんと夏結が、みんなが集まったのを見計らってこちらへとやって来た。
昨日は飛鳥ちゃんの御婆さんの家にお世話になった。
四人という急な来客にも関わらず、飛鳥ちゃんの実家の人たちには、新鮮なお刺身や、飼育しているヤギのチーズなどでもてなして貰った。
その後、六人で、浜辺で花火をやったり、居間でトランプなどをして遊んだりした。
トランプの輪には、いつもなら窓際で蚊帳の外でいるアヤメちゃんも参加した。
アヤメちゃんが参加するなり、美沙ちゃんは一勝もできなくなってしまった。
なにやら、アヤメちゃんは必勝法を知っているらしかった。
それを、みんなが教えてと言っても、彼女は最後まで教えてくれなかった。
『だって、勝てなくなってしまうもの』
という彼女の一言に、俺達は「確かに」と大笑いした。
さすがに他人の家なので、サツキも枕投げ等はしてこないと思っていたが、夏結が遠慮なく俺に枕を投げてきた。
それに便乗したサツキにも投げられ、俺に枕を当てる大会となったが、最終的に二人とも、飛鳥ちゃんに注意される形となり、俺は救われた。
「海があると何か違うね」
「私は好きだな、この町」
美沙ちゃんとサツキは昨日の疲れも忘れて、朝の潮風に当たり、とても気持ちよさそうにしていた。
「ねぇ、今日は天気もいいみたいだから、みんなで泳ごうよ!」
「いいね、それ!」
夏結の提案に真っ先に乗ったのはサツキだ。
夏結は今日も泳ぐ気満々といった様子で、飛鳥ちゃんもまんざらでもないようだった。
「え、でも私達、水着持って来てないよ」
「美沙ちゃん、それなら海の近くで買えるよ」
俺は昨日、飛鳥ちゃんに教えてもらったお店のことを二人にも教えた。
「じゃあ、お昼まで泳ごっか」
美沙ちゃんがサツキの話に乗ったのだが、アヤメちゃんはそそくさと歩き出してしまった。
「アヤメちゃんは泳がないみたいだね。あれ、マコトは?」
「俺はもう昨日泳いだから」
「そうなの?」
「うん、雨で中止になっちゃったけどね」
夏結が頷いた。
また泳げばいいじゃん、とサツキは言うのだが、あの蟹の柄の海パンをサツキに笑われるのも癪だったので、俺は断った。
「じゃあ、私達は泳いでいるから」
サツキはそうと決まると海の家へと走っていった。
「マコト君、アヤメちゃんのこと、よろしくね」
美沙ちゃんが心配そうに俺に頼んできたが、俺はもとからそのつもりだった。
「うん、わかった」
俺は彼女に頷いて、アヤメちゃんの後を追いかけた。
「アヤメちゃん」
防波堤沿いの道を歩いていた彼女に声をかけると、彼女は俺が近寄るまで立ち止まってくれた。
「港に行くの?」
「ええ」
港には船が数隻あったが、半分以上は陸に揚げられていた。
あまり漁も行われていないのだろうか。
俺達は港の先端の灯台のところまで来た。
そこからは、広い浜辺が見えた。
波打ち際で、さつき達が遊んでいるのが見えた。
アヤメちゃんはといえば、防波堤の先端で、一つのオブジェのようになって、遠くの海を見つめていた。
俺も隣から同じようにして見てみる。
そこは周りが海と空しかない、海の真ん中に立っているような感覚がする場所だった。
時々、防波堤に当る波が激しい音を立て、遠くではカモメの鳴き声がしていた。
それ以外は人の喧騒も、車の音も、何も聞こえなかった。
「不思議なところだね」
「そうね」
「村にいる時は、山に囲まれていたから、自分がそこにいるって感じられた。でも、ここに立つと、今にも自分が海に溶けてしまいそうなほど、自分が小さく感じるし、なんだか怖い」
「それは自分の存在があやふやになるような感じ?」
「そうかもしれない」
俺はこの町の学校が閉鎖された話をアヤメちゃんにした。
すると彼女はそのことを既に知っているようだった。
「今から八年くらい前に閉鎖されたの。それからこの小さな港町に学校はないわ」
「アヤメちゃんって、この町のことについて、随分とよく知っているんだね」
最初は京都にいる時に調べたのかとも思ったが、今の話を聞いて俺は違うと確信した。
わざわざ他の町の閉鎖について調べたりはしないだろう。
「閉鎖は嫌?」
彼女は話を変えて、俺にそう聞き返してきた。
「俺はあの村に生まれて、みんなに出会えてよかったと思ってる。だから、離れ離れになっていくなんて想像ができないんだ。みんなが離れてしまえば、俺という存在までもがなくなってしまうような気がして」
もし、卒業をしてみんなバラバラになってしまって、学校も閉鎖されてしまったら、俺達はどうなってしまうのだろう。
俺は、サツキ達は。
そして、アヤメちゃんはどうするのだろうか。
アヤメちゃんは俺に、閉鎖の前にしておくことがあると言った。
俺は彼女のことを何も知らない。
だから不安だった。
彼女だけ、俺の手の届かない場所へ行ってしまうような、そんな気がした。
そんなことを考えていると、ふと、目の前をシャボン玉が横切った。
俺が振り返ると、防波堤に短い髪の女の子と、長い髪の女性の姿があった。
女の子は防波堤に座りながら、ストローでシャボン玉を飛ばしていた。
そして、その後ろでしゃがんで微笑んでいる女性を見た時、俺は目を疑った。
「アヤメ……ちゃん?」
女の子と遊んでいた女性が振り向き、目が合う。
「何?」
でも、返事が聞こえたのは俺の隣の方からだった。
俺の隣では、アヤメちゃんがまっすぐ俺の目を見つめ返していた。
じゃあ、こっちのアヤメちゃんはいったい……。
俺は再びさっきの場所に視線を戻したが、そこには誰もいなかった。
「どうしたの?」
「い、いや……」
「幻でも見たかしら」
悪戯な笑みを浮かべるアヤメちゃんに、俺は言葉が出ないでいた。
今のは一体何だったのだろうか。
たしかに、アヤメちゃんと似た人がいたような気がするのだが……。
「来て、ほしい場所があるの」
彼女は俺に告げた。
俺はわけもわからないまま、今は彼女について行くことしかできなかった。
切り立った崖に作られた、農道を登っていく。
農道はくねくねと曲がっていて、両脇には道に沿って段々畑が作られていた。
そこを上るのに俺は息を切らしていたが、彼女にはその様子もなく、俺が足を止めるたびに、少し先で立ち止まって待っていてくれた。
作品名:青空夏影 面影は渓流に溶け入りて 作家名:如月海緒