青空夏影 面影は渓流に溶け入りて
つまり、まんまとサツキに一杯食わされたわけだ。
先ほどから、夏の暑い日ざしがコンクリートの地面を照り焼きにしている。
メロンパンを半分持って行かれた俺には、その暑さがいつもの二倍に感じられた。
やがて道の途中で、木陰の涼しい場所に入ると、足音がもう一つあることに気が付く。
いや、元々あったのだが、そのことを俺は忘れかけていた。
俺達三人の二メートルほど後方を歩いている一人の女の子がいた。
蒼崎アヤメちゃんである。
背中まであるストレートヘアに、眉の上できちんと切りそろえられた前髪はまるで日本人形を思わせる。
彼女は一年前に転校してきた生徒で、無口であまりしゃべらない女の子だ。
俺達といても輪の中に入って来ず、ほとんど何も話さない彼女は、ただいるだけで、不思議な存在感を感じさせる。
そう、四人の生徒で、俺以外はみんな女の子だった。
同じ学年にこうして四人揃ったのも何かの巡りあわせとでも言おうか。
高校一年までは、他に数人の男子生徒もいたのだが、みんな田舎を離れていってしまい、特に、親の都合もない俺だけが残ったのだ。
サツキの家は農家だし、ミサちゃんの家は代々、村の神社の神主だ。
アヤメちゃんに関してはよく知らない。
そもそも、彼女がどうしてこんな村に転向してきたのか謎だった。
こんなに少ないメンバーでも、俺は高校生活を嫌だと思ったことは一度もない。
むしろ、楽しかった。
でも、高校三年一学期の終業式の今日、俺達の卒業を最後に高校が閉鎖されることを知らされた……。
高校閉鎖の話は別に今始まった話ではなかった。
既にこの村では幼稚園から中学校までの学校が閉鎖されている。
俺達より下の子供は、すでに隣町の学校に通うようになっていた。
もともと少ない生徒数だから、閉鎖は仕方ないことだったのだ。
でも、時を同じくした仲間だから、別れるのはとても辛いものがあった。
「あのさ、みんな、閉鎖のことなんだけど……」
俺が切り出すと、アヤメちゃんを除く二人の顔から笑みが消えた(アヤメちゃんは元から笑ってさえいなかったが)。
それまでの和気藹々とした空気が一変したのを感じた。
サツキも美沙ちゃんも、あえてその話題には触れないように元気に振舞っていたのだろう。
でも、俺はその話題について触れないといけないと思った。
「話し合おう。これがこの村での最後の夏休みになってしまうかもしれないから」
「最後なんて言わないでよ、もう……」
いつもはすぐに拳が飛んでくるサツキが、今日はやけにしおらしかった。
「話し合うなら、私の家に来る?」
「うん、そうしよう」
気まずい雰囲気を押し切って言ってくれたミサちゃんの提案で、俺達は神社まで行くことにした。
ミサちゃんは神社の神主の娘で、巫女をしている。
彼女の実家でもある神社の境内はお決まりの遊び場だった。
昔は何人もの友達がいたが、今では四人になっていた。
アヤメちゃんは、転校して来てからというもの、俺達の誘いを断り続けていたのだが、最近になって、やっと誘いに付いてきてくれるようになった。
ただ、彼女の場合、一緒に遊ぶというよりは、少し離れたところにいる程度だった。
都会で暮らしていたという彼女は、田舎者の遊びには興味がないのだろうか。
彼女はいつも一人で、遠くを見つめていることが多かった。
それは今もそうだ。
「アヤメちゃんも来るよね?」
美沙ちゃんが遠くを見つめる彼女に声をかけた。
アヤメちゃんは美沙ちゃんの方を向くと、すぐにまた遠くを向いてしまった。
それは「それでいい」とか「どっちでもいい」という意味だった。
「じゃあ、決まりね」
サツキが言った。
彼女の返事にも慣れたものだ。
あまり喋ることのない彼女の返事は、頷くか単語で終わってしまう。
俺でさえ、まともな会話をしたことは一度もなかった。
でも、たまにアヤメちゃんとミサちゃんが一緒に歩いているのは、見かけることがあった。
ミサちゃんはしっかり者なので、アヤメちゃんの話し相手になってあげているのだろうと俺は考えていた。
ただ、そのことについて聞くと、美沙ちゃんはなぜか話してくれなかった。
だから、彼女達が何を話しているかまでは俺とサツキは知らなかった。
点々とする家々を通り過ぎる。
神社は山へと続く道の途中にあった。
神社の大きな社務所が、そのまま美沙ちゃんの実家となっている。
石段を登って鳥居を潜り、境内に着くと、数匹の猫があまりにも無防備な姿で地面に寝そべっていた。
境内では暇つぶしに餌を与えに来る人も多いので、ここは猫達のレストランにもなっている。
そのため、ここにいる猫達は人が近づいても逃げることをしない、肝の据わった猫達だった。
サツキはさっそく猫達に近づくと、白い毛の猫の腹を撫でたりして、さっそくじゃれ合っていた。
美沙ちゃんもその隣に座ると、同じように猫達を撫でた。
俺達の日課のようなものだ。
アヤメちゃんはというと、鳥居は潜らずに石段のところに座り、いつものように遠くを向いていた。
蝉の鳴き声と、木の葉のこすれ合う音が混じり合い、木陰の安らかな一時が流れる。
高校を卒業したら、みんな何処へ行ってしまうのだろうか。
ふと、そんなことを考える。
卒業したとしても高校が残っていたら、その時もこうして集まれるような気がする。
でも、本当に閉鎖になってしまったら、俺達はこの繋がりを失ってしまうんじゃないかと心配になる。
引越しとかで、またみんなバラバラになってしまった時、俺達の最後で唯一のつながりである白山高校はもうないのだ。
そしたら、俺達はこのひと時を感じることさえなくなってしまうのかもしれない。
そうならないように、みんなが今まで以上の強い絆で居られるような、そんな思い出作りが俺達には必要だった。
「じゃあ、どうしようか話し会おっか」
そんなことを考えていると、美沙ちゃんが立ち上がり、話し合いが始まった。
サツキは海に行きたいと言った。
しかし、美沙ちゃんは八月の夏祭りに神社の巫女をしなければならないため、何日もかかるような遠出は難しいそうだ。
アヤメちゃんは、またどっちでもいいような態度でいたので、結局、最後の夏休みの話し方は決まることはなく、無駄に時間だけが過ぎていった。
アヤメちゃんは途中で用事があるからといって帰ってしまい、その後も話し合いは続いたのだが、優柔不断な俺に決められることもなく(決断役はいつも美沙ちゃんの役割だ)、最後にサツキから明日の畑仕事の手伝いの話をされて、その日は解散となった。
サツキが明日の準備のために先に帰るというので、境内には俺と美沙ちゃんの二人だけが残された。
「うーん、結局決まらなかったね」
ミサちゃんは残念そうに言った。
俺もいろいろと考えてはみた。
サツキの要求を満たそうとすると、美沙ちゃんのスケジュールが厳しくなるし、美沙ちゃんの予定を考えると、今度はサツキが満足しなさそうな感じだ。
遠出しないで、村で出来ることをやるという手もあるが、村だと大抵のことはやり尽している感が否めない。
作品名:青空夏影 面影は渓流に溶け入りて 作家名:如月海緒