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青空夏影 面影は渓流に溶け入りて

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 車は家の前で停まり、中からあの人が出てきた。
「何しに来たの?」
 あの人は黙って私の元まで歩いてきた。
「帰って」
「すぐ済む。お前、女の子と二人で暮しているらしいな」
「どうしてあなたがそれを……」
 私は驚いた。
 もう私達は終わったはずだ。
 なぜ、今更になって私に干渉してきたのだろうか。
「数日前に役所から電話があってな」
「それが何だっていうの?」
「あの子供は、数年前から他県のある村で行方不明になっていた子供だそうだ」
 確か、藍は一人でいたところをあのおばあさんに拾われた。
 身元がわからないとの話だったが、もしかして、親が判明したのだろうか。
 でも、それが今になって何故。
 それに、どうしてその連絡があの人のところに連絡が行ったのか。
(私が未成年だから……?)
 まだ『子供』である私には、任せられないということだろうか。
 でも、役所の大人達は藍に何もしてこなかった。
 私はそんな彼女の居場所になろうと懸命に努力した。
 なのに、なぜ、今更になって私から藍を奪うのだろう。
 あの人は私に追い討ちをかけるように続けた。
「親は数年前に事故で亡くなって久しいそうだ。なぜこんな小さな港町にいたのかはわからないが、引き取るような親戚もいないようだから、このままなら京都府辺りの児童擁護施設に預けられることになる」
 それは、だめだ。
 私は心の中で強く反対した。
 藍の両親のことは確かに残念だ。
 だからと言って、藍を施設に預けるようなことは、私は嫌だった。
 確かに、施設に入れば、同じような境遇の子供もいるだろう。
 上手くいけば、友人もできるかもしれない。
 でも、極度な人見知りな藍に、自分から輪に入っていけるだけの勇気が出せるだろうか。
 学校という組織の中で、疎遠にされた私のように、周囲から孤立したりしないだろうか。
 藍は、彼女は……私が傍にいてあげなければいけないのだ。
 彼女の孤独を、寂しさを一番理解できるのは私だけなのだ。
 しかし、あの人が告げた言葉は予想もしない言葉だった。
「だから、あの子は私の所で引き取ることにした。今日はそれを伝えるためにここへ来た」
 その言葉は私の心を打ち砕いた。
 それはいったいどういうことだろうか。
 なぜあの人がそんなことを言い出したのか、私にはまったく理解ができなかった。
 ただ、藍が連れて行かれるということだけはわかった。
 あの場所に、あの監獄のような日々の中に。
「あの子にも私と同じような思いをさせるっていうの? あなたが私にそうしてきたように!」
 忘れていたはずの都会での日々が、いやおうなく思い出された。
 自分でない名前で呼ばれたあの日々を。
 最初は中むつまじい家族だった。
 パパと呼んでいた頃のあの人は、医療系の研究所の一研究員だった。
 しかし、母の死からあの人は人が変わってしまった。
 大切な人を亡くし、家庭も何もかも顧みなくなった。
 ただ、何かの研究に没頭していた。
 そんなあの人は、私のことを『海』と母の愛称で呼ぶようになった。
 そこにいつしかアヤメという名の子供は存在しなくなっていた。
 髪型を母のように仕立て、まるで母が生きているかのように接した。
『月海』という女性として扱われる子供がそこにはいた。
 私が大きくなるにつれ、母の偶像化は激しさを増していった。
 そして、私が高校になる頃には……。
 私は逃げるように全寮制の進学高校を選択した。
 私というアイデンティティーを失った私は、アヤメという存在になりきれず、内側に『海』という少女を内封したまま、曖昧な自己認識の境界線を彷徨っていた。
 世界と遮断した心の中で、アヤメという私を守るしかなかった。
 ただ、私は母と非常によく似ていた。
 優しかった母の面影が、私にとってより所だったことは事実だ。
 だからこそ、私は母になりきれなかった。
 私は全てから逃げるようにして、母の名を持つ風景を目指した。
 優しくて、穏やかな時間が流れる海のある町に。
「あなた変わったわ……お母さんが死んでから」
 私と同じ瞳を持つあの人は、ただ黙って私を見返していた。
 太陽は眩しいくらいに輝いているというのに、その人の瞳の置くには何の光も感じられなかった。
 私が父を『あの人』と呼ぶのは、自分の親であることを疎遠にするためだ。
「お願い……帰って。そして、もうここへは来ないで……!」
 その時だった。
 戸が開く音がして振り返ると、藍が中から心配そうに顔を出していた。
「どうしたのアヤメ。そのおじちゃんは?」
「藍、何でもないのよ。家に入っていて」
 私はあの人を藍の目線から遮るようにして、藍を家の中へと誘導した。
 戸口を閉めようとした私の背中に声がかけられる。
「お前もわかっているだろう。自分の体のことを」
「……」
 それは藍と出会ってから、あまり考えないようにしてきたことだった。
 でも、正直、私は長くはないだろう。
 私は母と同じ心臓の疾患を持っていた。
 大きな大学病院に入れば、まだ治療の余地もあったかもしれない。
 でも、そうした母は結局助からなかった。
 私は、母を最後まで苦しめたあのコンクリートの中へと入るくらいなら、一人静かに死にたいと思った。
 だから、この港町へとやってきた。
 でも、私がいなくなった時、やはり、藍はあの人に引き取られてしまうのだろうか。
 私は藍に、私と同じ目に合わないよう、孤独にならないようにしてきたつもりだった。
 でも、私はふと気がつく。
 それは今まで自分のために、そう藍と接してきただけではなかったのか。
 私がまたあの老婆のように、突然、死んでしまった後のことを、私は考えていただろうか。
 考えることを避けていなかっただろうか。
 あの人が来なくとも、私がいなくなれば、当然、藍は役場を通して施設に出されることになっただろう。
 私はそれをちゃんと考えていただろうか。
 「それでも、私は……藍といるわ」
 私は一度、死ぬことを願った。
 でも、今はきっと違う。
 生きたい。
 まだ生きたいのだ。
 それが無理でも、せめて最後まで、彼女といさせて欲しい。
 彼女がその後も、しっかりと自分で生きていけるように。
 私は限られた時間で、藍を見守って行きたい。
「お前にその子が養えるのか? ……フン、出来はしないだろう。所詮はオママゴトだ」
 藍を家に入れた後、戸口を閉めようかと考えたが、私は再びあの人の前へと立った。
「もう帰って。藍はあなたには渡さない」
 私が断固とした瞳でにらみ返すと、あの人は呆れたように車に乗り込んだ。
「どちらにせよ、時間の問題だ。また来る」
「……」
 私は走り去る車の姿が消えるまで、その場に佇んでいた。
 水平線には真っ黒な入道雲が、周りの雲を取り込んで大きく成長を続けていた。
 今日は一雨来るかもしれない。
「アヤメ……」
「藍、何でもないの。さあ、家の中に入りましょう……」
 再び顔を出した藍と家に入りつつ、私は強く胸を抑えた。
 私を長く苦しめていたしがらみは終わった、
 もう終わったと思っていたのに……。


 翌朝、私は少し体調を崩した。