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青空夏影 面影は渓流に溶け入りて

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 空はよく晴れていて、海の向こうには大きな入道雲が悠然と泳いでいた。
 俺達は、海の家から浮き輪などの道具を借りると、浜辺に沿って歩きながら、磯のある場所を目指して歩いた。
 少し準備体操をした後、これで準備万端とばかりに、二人は透明な海へと入っていった。
 長い砂浜の西側は、ごつごつとした岩場に白波が立つ磯となっていて、俺達はしばらくそこで貝をとったり、蟹を探したりして遊んだ。
 岩場はさらに奥に広がりがあり、俺達はその周囲を探検した。
 海は小さい頃に父親に連れて行ってもらったことがあるが、この歳になって女の子達と磯遊びするというのは、なんだか新鮮な感じだ。
 まるで、男女も意識しない幼少の頃に戻ったような気分だった。
 途中、夏結が浮き輪を膨らまし始めた。
 と思ったら、それは小さな四角い浮きボートだった。
 夏結は浮きボートを持って、飛鳥ちゃんと共に再び海の中へと入っていった。
 夏結が浮きボートに掴まり、飛鳥ちゃんが夏結の首に腕をかけている格好だ。
「あ、夏結、もっと奥の方向に行ってみようよ」
「オーケー、出発進行ー!」
 飛鳥ちゃんが航海士で、夏結が舵取りといったところか。
 俺は海に投げ落とされた甲板拭きのように、すごすごと二人の後を泳いで着いていった。
 磯の流れは激しい。
 俺にも浮き輪くらいほしいものだ。
 雲行きが怪しくなってきたのはそんな時だった。
「あ、雨……」
 最初に気が付いたのは飛鳥ちゃんだ。
 それから雨脚が徐々に激しくなって、すぐに土砂降りの雨が降り出した。
 俺達は慌てて海の家へと避難した。
「今日って夕立が来る予報だったんだ……」
「それで人がいなかったんだね」
 夏結は残念そうにため息をついた。
 飛鳥ちゃんは納得したように言いながら、髪についた水滴を落としていた。
 俺達はとりあえず、海の家で雨があがるのを待つことにした。
「あーあ、これじゃ外に出られそうにないね」
「夕立だからすぐに止むと思うけど、待つしかないよ」
 夏結はタオルを持って髪を拭き始めた。
 飛鳥ちゃんは雨の降る外をじっと見つめていた。
 俺は残念がる二人にホタテの串焼きを買ってきて、三人でそれを食べた。
 それで少なくとも夏結の気分は元に戻ったようだ。
 飛鳥ちゃんは気を遣っていたが、それでもおいしそうに食べてくれた。
 他愛もない話をしながら、それを食べ終わる頃には雨はあがり、雲の隙間から光が差し込み始めた。
「晴れてきたね」
「そうだ、あの場所へ行こうよ!」
「あの場所?」
 俺が二人に聞くと、夏結は得意げな顔をした。
「そう、あの場所へ」
 そして、夕暮れ赤い光が差し込む道を、俺達は歩き始めた。
 浜辺から程近い、町の東側の高台からは、この小さな港町が一望することができた。
 激しい雨で洗い流された空は、オレンジと赤の絵の具をたらしたような夕焼けに染まっていた。
 俺達はしばし黙って、高台から黄昏に沈む夕日と町の光景を眺めていた。
「そういえば、サツキ達もそろそろ着くころかな」
 俺はふと、後からこちらへと向かっている三人のことを思い出した。
 今日はその三人のことが頭から離れてしまうくらいに楽しかった。
 これからバス停に迎えに行かなくてはならない。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「うん、そうだね」
 俺達はその日の思い出を胸に、夕暮れの坂道を下り始めた。


 8、最後の夏の思い出


「ねぇねぇ、カブトムシ取りに行こうよ」
「うるさいなぁ」
 教室で寝ていた私は藍にそう言われ、夏バテしただるい上半身を起こした。
「約束してくれたのはアヤメだょ、あの木、私の背じゃ届かないんだょ」
 半ベソをかきながら言う藍に、私は仕方なく付き添うことにした。
 夏休み前の登校日数が少なかったために、私は夏休み中も登校する羽目になってしまった。
 あれから藍は私の家で暮している。
 補習の間、といってもほぼ自習のようなものなので、私は藍を学校に連れてきたのだった。
 黙って早々に学校を抜け出した私は、藍と森への道を歩いた。
 山中に蝉の鳴き声が木霊し、それに混じって様々な鳥の声も聞こえてきた。
 段々状になった田んぼの急な坂道を登り、森の道を向けると、山の開けたところに着いた。
 そこには様々な作物を実らせた畑がいくつもあった。
 こんな遠いところに畑を作って、お年寄り達は大変じゃないだろうかと思ったが、この町が古くから漁師町として栄えたことは地元の漁師から聞いていた。漁師の祖父の代の人達が、この小さな港町を開拓した時代には、低い場所には畑を作る場所がなかった。
 だから、海から少し離れた山の裾に畑を作ったのだ。
 この畑の先には、私と藍の行き付けの場所がある。
「今日はカブトムシがいるといいなー」
 以前、ここへ来た時は、クワガタばかりだった。
 藍はここへ来る度にカブトムシ、カブトムシ、と言う。
 森に入ってすぐのところにある大きなどんぐりの木の前で、私は藍を肩車する。
 すると、ちょうど藍の目線の高さくらいに、昆虫が集まる木の虚があるのだ。
「いたよー!」
 木の穴を覗いていた藍が嬉しそうに叫んだ。
 藍の手には一匹のカブトムシが捕らえられていた。
「よかったね」
「あ」
「?」
 藍はすぐまた何かを見つけたようだった。
 見れば、穴の中からもう一匹の雌のカブトムシが顔を出したところだった。
「つがいみたいね」
「うん、つがいつがい」
 雌のカブトムシが雄を追いかけてきたのだろうか。
 どこか昼ドラマみたいな展開だ。
「放してあげよっか」
「そうだね。バイバイ」
 藍は素直にカブトムシに別れを告げて、雄のカブトムシを穴の傍に放してあげた。
 カブトムシのカップルはそのまま穴の中に入っていった。
「今日はカブトムシが捕まえられてよかったね」
「うん!」
 藍はそれだけで満足したようだった。
 私はほとんど毎日をこうして藍と共に過ごした。
 これからも私はそう過ごすだろう。
 私達はもう家族同然なのだ。
「明日はどこに行こうか」
「アヤメが決めていいよ」
「私が?」
「うん」
 私が行きたいところ。
 小さな港町にはやってきた。
 そして、今はかけがえのない時間を手に入れた。
 あと、行ってみたい場所があるとすれば……。
「そうね……渓流、かな」
「けいりゅう?」
 藍が首を傾げる。
「川の上流で、水がとっても綺麗な所のことよ。私、それをテレビや写真でしか見たことがないから」
 幼い頃、私はそうした自然とは無縁の生活を送っていた。
 ずっと、あの閉鎖された都市の中で生き続けていた。
 だから、この小さな港町での藍との日々は、それだけで新鮮だったけれど、欲を言うなら、あの混じりけのない透明な水の流れる渓流を見てみたかった。
「じゃあ、とっておきの場所へ案内してあげるよ」
「そう、期待しているわ。藍」
 そんなやり取りをしながら、私達は家に着く。
「ただいまー!」
 藍は靴を脱ぎっぱなしにして、中へと入っていった。
 後で注意をしようとは思いつつも、私はそれを微笑んで見ていた。
 その時、道の向こう側から、黒い車が現れた。
 その車に見覚えがあった。
 私はその車を睨みつける。