青空夏影 面影は渓流に溶け入りて
最後は美沙ちゃんがまとめた。
アヤメちゃんだけは浮かない表情だったが、みんなはいつもの「どちらでもいい」という表情と受け取ったようだった。
彼女の微妙な変化に気がついたのは俺だけだったが、その時は彼女に聞いてみるチャンスはなかった。
俺達は明日の予定も決まった所で、それぞれの部屋へと分かれて床についた。
俺は一人、和室に敷かれた布団に寝そべって薄暗い天井を見つめながら、窓際で最後まで外を見つめていたアヤメちゃんのことを考えていた。
翌朝、俺は目を覚ますと、窓を開けて京都の朝の空気を吸い込んだ。
ひんやりとした朝の空気はとても気持ちよかった。
ふと、隣の部屋から同じように飛鳥ちゃんが顔を出していて、俺達は軽く「おはよう」「おはようございます」と挨拶をした。
朝は早かったが、彼女はまったく平気そうだった。
朝には強いタイプなのだろう。
旅館で早めの朝食とった後、出立の手続きをとった。
嵐山へは電車で向かった。
昨日の夜はあれから何をしていたのか、寝癖がついたままのサツキは、移動の最中に電車の中で寝ていた。
二人の少女はというと、風景を見て楽しそうに会話をしていた。
美沙ちゃんとアヤメちゃんは何かを話しているようだったが、電車の音で聞き取れなかった。
ビルは徐々に低くなり、窓の外の景色もだんだんと緑に染まって行った。
俺達は嵯峨嵐山駅で降り、コインロッカーに荷物を預けた。
六人もいたので、ロッカーを二つに分けた。
飛鳥ちゃん、夏結、俺が一緒に入れ、残り三人で一つ使った。
それから、歩いて渡月橋のある場所まで向かった。
嵐山は緑の映える山の間を、清流が流れる風光明媚な場所だった。
「うわぁ、きれーい。嵐山ってこんなところだったんだ!」
さっきの寝ぼけ顔はどこへやら、サツキは爽やかな表情で背伸びをした。
「私達の村とはまた違った自然がいいよね」
「そうね」
美沙ちゃんの振りに、アヤメちゃんが短く答えた。
アヤメちゃんの返答はいつも通りの素っ気無いものだったが、今の彼女からは昨日のような浮かない感じはしない。
彼女はやはり自然が好きなのだろう。
他のみんなも喜んでいるし、コースに嵐山を入れたのは正解だ。
川幅の広い川にはボートがたくさん浮かんでいて、時折、大きな鯉が水面を跳ねた。
俺達は川縁に降りて、川に沿って歩いた。
鯉が数匹、水の中をゆっくりと下流へ向かって泳いでいた。
夏結と飛鳥ちゃんは靴を脱いで、水の中に入り、水を蹴って遊んでいた。
きっとひんやりとして気持ちがいいのだろう。
俺達は近くの茶屋で団子を食べたり、水辺で写真を取ったりした。
「ねぇ、船に乗ろうよ」
サツキの提案に、夏結が時計を見る。
「でも、それだとトロッコ列車の時間に間に合わないかも」
俺達は彼女達の町へ向かうために、トロッコ列車に乗って隣町まで行き、そこから電車に乗り換えるようにしていた。
「なら、私達だけ後から向かえばいいんじゃないかしら」
そう提案したのはアヤメちゃんだ。
「場所わかりますか?」
「行き方ならわかるから」
飛鳥ちゃんの問いに彼女は即答した。
事前に調べでもしたのだろうか。
確かにアヤメちゃんがいれば迷うことはないだろう。
「でも、私達のコインロッカーに、彼の荷物も入っているよね」
夏結が言うと、美沙ちゃん、サツキ、アヤメちゃんまでもが俺を見た。
「じゃあ、マコト、二人と先に行って。私達はもう少し遊んでいくからさ」
「ごめんね、マコト君」
俺は二人と荷物を一緒に入れているので、俺が行かなければ二人は荷物をどうするか困ってしまう。
かといって、俺が荷物をとってから三人と合流したところで、重い荷物を持ちながら、ボートに乗ることも出来ない。
この際、仕方がない。
「わかったよ。じゃあ、俺は飛鳥ちゃん達について行くよ」
「そうと決まれば、急がなきゃ。じゃあ、夕方、私達の町で会おうね」
今日は飛鳥ちゃんの祖父母の家に泊らせてもらうことになっている。
そこで一端三人と別れた俺達は、駅へと戻りトロッコに乗り込んだ。
俺にとってはこれで京都観光は終わりだ。
「京都ともお別れかぁ」
「君、初めてだったの?」
動き出したトロッコの席で、一人残念がっていると、夏結が話しかけてきた。
「ああ、そうだよ」
「私と飛鳥はけっこう来るんだ」
「けっこうっていうか、もう季節が変わるごとに来ているよね」
飛鳥ちゃんの話によれば、京都は季節ごとに顔が変わるらしい。
夏もいいが、お勧めは春と秋だそうだ。
でも、宿がいっぱいになってしまうため、予約はなるべく一ヶ月以上前に取らなければならないらしい。
季節によって顔が変わるのは俺達の村もけっこう自慢だ。
紅葉の綺麗さだけなら京都にも引けをとらないだろう。
「そういえば、飛鳥ちゃん達の町ってどんなところなの?」
「海も綺麗だし、ヤギもいるし、とってもいい場所だよ」
そう元気よく答えたのは夏結だ。
彼女のそういうはつらつとしたところは好印象だ。
俺は小さな港町へ行くのが楽しみになってきた。
一度、トンネルへと入ったトロッコ列車は、少ししてトンネルを抜ける。
するとそこには岩肌がごつごつと出た大きな川が横たわっていた。
さっきの川の上の方に出たのだろう。
「あ、見て!」
夏結が指差した方を見ると、川に一隻のボートが浮かんでいた。
そのボートの上から、サツキ達がこちらに大きく手を振っているのが見えた。
「おーい」
サツキの声が小さく聞こえた。
窓から身を乗り出して、俺達も手を振り返す。
やがてサツキ達の姿は木々に隠れて見えなくなってしまった。
俺はしばらくの間、流れていく木々を見つめていた。
7、小さな港町へ
目が覚めると、電車はいつの間にか海の見えるところを走っていた。
俺は長い間、寝てしまっていたようだ。
俺の隣の席には駅弁が置かれていた。
見ると、二人は隣のボックス席へと移動していた。
夏結は窓を開けて海を見ていて、飛鳥ちゃんはその向かいで寝ているようだった。
空いた座席には、同じ装飾がされた駅弁の空箱がおいてあった。
「起きた?」
俺が起きたことに気が付いた夏結が声をかけてきた。
「こっちで食べなよ。海が見えるよ。私達はもう食べたから、それは君の分」
夏結は俺の隣に置かれた駅弁を指差した。
「え、ああ……」
優しげな夏結の口調に、俺は若干の戸惑いを覚えた。
昨日会った時の彼女とはテンションが大違いだ。
今はなんというか、ちょっとしおらしい感じだ。
彼女はいとおしげな視線を海に投げかけていた。
彼女にとって、それは珍しくもないはずのものなのに。
「じゃあ、私はゴミを捨ててくるから、静かにね」
夏結が駅弁の空の箱を持って、飛鳥ちゃんを起こさないようにそっと席を外した。
俺は弁当を持って隣の席に移ると、車窓から外を見る。
そこにはさっきまで横に流れていた緑の風景とは裏腹に、青い海と青空がいつまでも広がっていた。
視線を横にずらすと、飛鳥ちゃんの寝顔が目に入る。
彼女は少しうつむいた状態で、スヤスヤと肩を上下に揺らしていた。
作品名:青空夏影 面影は渓流に溶け入りて 作家名:如月海緒