青空夏影 面影は渓流に溶け入りて
空は快晴で、山から山の隅々まで澄み渡っていた。
旅行に行くには絶好の天気だ。
ただ、それだけに暑く、バス停に着く頃には額から汗が吹き出していた。
「アヤメちゃん、おはよう」
俺は先にバス停にいた人影に声をかける。
バス停には、まだ彼女一人だけしか来ていないようだった。
「二人、まだ来てないね」
「そうね」
俺が着いた時は、丁度集合時間だった。
でも、俺の到着は早い方で、サツキなら平気で十分は遅れてくる。
ここの村人は基本的に時間にルーズな人が多かった。
バスの時間まではまだあと二十分もあるから大丈夫だろう。
アヤメちゃんは、学校ではいつも集合時間の数分前には来ていることが多い。
彼女が育ってきた都会では、それが当たり前なのかもしれない。
「おーい」
陽炎で揺らめく道路の向こうから声がした。
こちらに手を振っているのはサツキだ。
その後ろに美沙ちゃんの姿もある。
「おまたせ。待った?」
「そうでもないよ」
サツキにしては早い方だ。
アヤメちゃんは少し待たせてしまったかもしれないが、遠くを見つめる彼女に気にしたそぶりはなかった。
彼女はそもそもそんなことを気にする性質でもないだろう。
俺達はバスが来るまでの間、他愛もない話をして時間を潰した。
サツキと美沙ちゃんは家が近いので、朝、神社で待ち合わせをしていたようだ。
でも、時間になってもサツキが来ない。
どうやら、サツキが朝寝坊をして、美沙ちゃんが起こしにいっていたらしい。
サツキは楽しみがあると前夜に眠れなくなるタイプだ。
しばらくすると、一日に三本しかないバスがやってきた。
俺達はさっそく乗り込む。
バスの乗客は他にお年寄りが二人だけだった。
山は青々と茂り、川は隣町に行くに従い、川幅も大きくなっていった。
バスは四十分ほど俺達を揺らした後、駅のある隣町に到着した。
隣町には何度も来たことはある。
大きなホームセンターや、ショッピングセンターなどは隣町まで行かないとないからだ。
俺達は、人生でまだ数度しか乗ったことがない隣町の駅で電車に乗り換えると、新幹線のある大きな町まで、約一時間半をかけて移動した。
普段、電車に乗らない俺達は、京都へ着く前から徐々に建物が大きくなる周囲の風景に目を奪われていた。
アヤメちゃんだけは、あたかも当然の如く、大人しくしていた。
到着した名古屋駅のホームは、まるで人の渦潮のようだった。
聞きなれない乗車案内が常時流れ、絶え間なく人々が行き交っている。
「あー、えーと、マコト、どっち?」
「えーと、新幹線ホームは……」
サツキは道も知らないのに突っ走ろうとする。
案の定、迷うたびに俺に道を聞いてきた。
俺はアヤメちゃんと目が合う。
彼女に旅行のプロデュースをすると豪語した手前、ここで俺が優柔不断な決断をしてしまえば、彼女は俺を「値しない人」と判断してしまうかもしれない。
ここは俺が言わねばならなかった。
「うーん、右だ!」
「左よ。あそこに案内板が出ているわ」
「あ、本当だ。行こう! あと五分しかないよ」
美沙ちゃんが時計を見て、みんなを促した。
俺はアヤメちゃんにからかわれたのだろうか。
「ごめんなさい。決断したところまではよかったけれど、時間がなかったから」
走りながら、アヤメちゃんにそう言われ、俺は自分の頼りなさに落ち込んだ。
都会で暮していたというアヤメちゃんだが、新幹線に乗るのは俺達と同じように初めてだという。
それでも、彼女がいなければ、俺達はあの広い駅のホームで彷徨っていただろう。
俺達は慌てて新幹線に乗り込むと、指定された席へと座り、一息ついた。
座席は回転させることができるらしく、俺達は座席を向かい合わせにした。
進行方向の窓から時計回りに、俺、サツキ、美沙ちゃん、アヤメちゃんの順で座った。
俺達が駅で購入した駅弁を食べながら、パンフレットを見て観光地の話をしている間、アヤメちゃんはずっと新幹線の外を見つめていた。
「着いたわ」
その彼女がポツリと呟いた時、俺を含む他三人に電撃が走った。
「えっ、もう着いたの!?」
サツキは驚きのあまり、思わずお弁当を落としそうになっていた。
俺達は新幹線の速さに感心をしていた。
田舎から大きな町に出るまでに計二時間半くらい。
京都まではそれ以上の距離があるというのに、まだ四十分ほどしか経っていない。
アヤメちゃんだけは、当然であるかのように平然としていた。
降り立った京都駅で、俺達は文明の偉大さにあっけに取られていた。
京都駅のホームの長さは日本一だそうだ。
ホームは人ごみに紛れ、どこまでも続いているかのようだった。
京都駅の改札を出ると、そこには大きなビルが連なっていた。
当たり前のことだが、駅前は古都という感じではなかった。
「着いたね」
「うん、着いた、着いた!」
美沙ちゃんはその場で背伸びをし、サツキは、満面の笑みで飛び跳ねていた。
でも、アヤメちゃんは高いビルを見上げて、どこか浮かない表情をしていた。
それを美沙ちゃんが心配そうに見つめていた。
「アヤメちゃん、どうかしたの?」
「いいえ、何でもないわ。あそこにキャリーサービスがあるから、荷物を宿に届けてもらいましょう」
俺は聞いてみたのだが、そうはぐらかされてしまった。
俺達はキャリーサービスで、スーツケースなどの荷物を宿に届けてもらうように手配した。
俺はちょっとVIPな気分になったが、アヤメちゃんは手馴れた様子だった。
荷物を預けると、駅にあるタクシー会社の窓口で、予約したタクシーの確認をした。
タクシーは既に駅の前に到着していた。
タクシー料金は七時間で二万円ほどだが、四人で割れば五千円だ。
観光案内もしてくれるというので、俺はバスや電車ではなく、そちらを選択した。
その最終的な手続きをしてくれたのは学校の先生達だった。
今回の旅行に関しては、新幹線の予約や、宿の斡旋など、先生達の協力も大きい。
修学旅行とは違うから、もちろん引率も着かないので、後は自分達でやらなければならないが、白山高校最後の学年の旅行ということで、様々な人達からの応援があった。
それには感謝したい。
タクシーには俺が前に乗り、彼女達は後ろに乗った。
俺達の京都旅行がこうして幕を開けた。
俺達は事前に決めておいた観光名所を巡ることにした。
まず、大きな鳥居のある平安神宮へ行き、庭園を一周した。
真っ赤な装飾がされた建物と、青々とした緑の映える風情ある庭園は圧巻だった。
運転手に聞いた話によると、ここへ来るなら春がいいらしく、枝垂れ桜はとても綺麗だそうだ。
その次には太秦映画村へと立ち寄り、時代劇の収録を見物した。
梅の昆布茶を飲んだりして、軽食を済ませた後(サツキはがっつりとカレーライスを食べていた)、俺達は日本一怖いという看板が掲げられたお化け屋敷へと入った。
サツキは大反対したが、俺「賛成」、美沙ちゃん「賛成」、アヤメちゃん「どっちでもいい」の一票差で、サツキが負けた。
作品名:青空夏影 面影は渓流に溶け入りて 作家名:如月海緒