ルーツ
だが幸子は早い段階で、自分の出自について知ることとなった。その頃は貧乏で、ほとんどの人々が、戦争からの復興の恩恵を受けていたわけではなく、牧師の家としては、信者の生活を真っ先に考えていたのだろう、本を購入するようなお金はなく、読書好きの母は、行く先々の土地で見つけた貸本屋から、いろんな本を借りて来て読んでいた。
小学5年生の時である。
借りてきた本は、いつもは卓袱台の上に置いたままになっていた。
ところが、たたんだ洗濯物をしまうために開けた箪笥の抽斗の母の肌着の下に、いかにも隠しているといった状態で、1冊の本を見つけ出した。
松本清張は小倉市の城野営団住宅に住んでいたことを、母は自慢げに話していたことがある。小説を書き始めてからもそこから朝日新聞支所へ通い、印刷工をしていたらしい。母は時々、その姿を見かけたのだそうだ。
松本清張の著作が出ると、必ず借りて来ていたのを覚えている。いつも、目の届くところに無造作に置いていたものだ。隠されていると却って興味が湧く。
幸子は不思議に思い、母が出かけている隙にこっそりと読んだ。難しくて分からないことが多かったが、それでも読める文字を追いかけた。
文字を追っているうちに、読んではいけなかったのだ、と思い始めた。内容の意味はよく分からない。それでも “戦争” とゆう文字や “黒人兵” とゆう文字が、自分自身のことと関係があるように思えるのである。だから怖くなって、途中までで読むのを辞めた。
高校生になると、住まいは北海道になっていた。冬には、しばれる(凍りつくほど寒い)外に出るのが億劫になって、ポカポカッ陽気の家に閉じこもることが多くなる。それで図書館から本をまとめて借りておくのだが、当時は学生の間で、松本清張の本に人気が出ていた。やっと借り受けた『黒地の絵』は、読み進めるうちに以前にも読みかじったことがあることに気付いた。そう、母が隠していた本である。
震える指でページをめくった。
自分はやはり、黒人兵の・・・朝鮮の前線に送られて戦死した黒人兵を父とする・・・母がレイプされて生まれた子、望まれずに誕生した子どもなんだ、と確信した。
なぜ、生まれてきたのだろう。なぜ、堕胎してくれなかったのだろう。
生みの母を、父を、黒人兵を、国を、日本とアメリカを、戦争を、戦争を仕掛けた北朝鮮を、恨んだ。何も知らずに、好奇の目を向けてくる人々を恨んだ。
――自分は存在してはいけなかった子、なんだ・・・。
何度も自殺を考えた。睡眠薬を飲んで、しばれる外に出るだけでいい。だがそれを思いとどまらせたのは、養育してくれた父母の存在である。ふたりの顔が、チラチラと脳裏をかすめる。ふたりを悲しませることをしてはいけない。
追い詰められた連合軍の兵士として、祖国を離れ、異国の地で捨て駒として扱われることを知った上で送られた最前線にあって、どのような気持ちで戦っていたのだろうか。そして死んでいったのだろうか。
少なくとも彼の “生きたい” という気持ちが、私の中に引き継がれているに違いない。事件は事件として忌むべきものであるが、今を平安に生きている私は、彼のその気持ちを大切にして、未来へ引き継いでいかなければならないような気もする。
そうしてやがて、私の人格を認めて、それを受け入れてくれた伴侶を得ることが出来たのである。娘をもうけて、幸せの日々を送っている。忌まわしい事件を起こした黒人兵のひとりの血を引き継いで、それは娘へと繋がっていっている。
この思いを含めて・・・麻由に伝えておこう。