ルーツ
1950年7月11日夕方。
明日から2日間にわたって繰り広げられる、小倉の “太鼓祭り” ともいわれる祇園祭の太鼓は、各町内にそれぞれ据え置かれ、練習する子どもたちから、もろ肌抜いた若者たちへとバチが引き継がれると、太鼓の音に勢いがつき遠くまで轟いていた。
どどんこどんどん どどんこどんどん、という音は、4キロ離れた城野キャンプには、ボボン ボンボン ボボン ボンボン、と腹の底から突き上げてくる響きとなって伝わっていった。
前日の早朝、列車でキャンプに送られて来たばかりの黒人兵にとっては、アメリカ南部で奴隷として働いていた頃から両親へと受け継がれてきた祭礼の響きであり、それ以前には、祖先がアフリカの大地で狩りに出かける前の、安全と多くの獲物を得るための祈願を掛けた、気分を高揚させるリズムであった。
いざ槍を持て! 象を撃ち捕りに行くぞ
ライオンの群れがすぐそこに現れた、武器を持て!
ボボン ボンボン ボボン ボンボン、
太鼓の音に黒人兵たちは足を踏み鳴らし、肩を上下させリズムをとりながら、武器を提げて排水溝の土管の入口にひっそりと集まって来た。有刺鉄線の下を通っている大きな土管の中を這いつくばって、キャンプの外に出た。
それは、草原で群れてくつろいでいるライオンに悟られないように、這いつくばって近寄って行く姿を彷彿とさせるものであった。
気分は高揚し、外で何をしていたのか、酒を飲んだ、という以外定かな記憶はなく、市街地で銃撃戦を繰り広げた後、気がつけば装甲車に取り囲まれ、キャンプに押し戻されていった。
翌日になると船に乗せられ釜山に到着し、数日後には、北方から後退して来ていた米軍の、最前線に投入されたのである。
Daniel は、母と、妹の Hannah の写真を胸ポケットにいつも入れており、時々出して眺めていた。
「なんだ、恋人の写真を肌身離さず持ってるってわけか、ペッ、すぐに死んじまうってのによぅ」
同僚が覗きこんでくると、すぐにポケットにしまった。
シカゴ市ウェストサイド地区に、先に移住していた父の後を追って来たのは、3年前のことである。鉄工所で働く父の収入で一家4人が暮らしていたが、職場の事故によって足を失っても補償など出るはずもなく、父が働けなくなると、すぐに収入は途絶えた。母は縫製の仕事を探してきて根をつめて働いたが、大した収入にはならない。ほとんどが、父の医療費に消えていった。
Elementary school に通っている、勉強好きで優秀な Hannah にはcollege まで行って欲しいと思い、Daniel は生活費と彼女の学費を稼ぐために、eleventh grade student で辞めた。しかし、黒人というだけで、バイトでさえ見つけられない。
とっくに学校をあきらめていた仲間たちに加わって、掻っ払いなどをするようになっていた。
アメリカ国防省は、1950年6月28日、韓国の首都ソウルが陥落し、4万の米軍を韓国に派遣すると発表した。
母の反対を押し切って、即座に Daniel は応募した。信じられないほどの高給に浮かれ、母の涙を笑いとばした。
「たとえ戦死してもだぜ、家族にはまとまった金額の弔慰金と、遺族年金が支払われるんだってさ。まぁ、素人にいきなり危ない仕事、させるはずねぇだろ」
笑って言った。その時点では自分が死に直面することなど、考えようがなかったのである。
躊躇いはまったくなかった。
北朝鮮との戦闘で集中砲火を浴びている Daniel は、脳裏に浮かんだ母の姿と Hannah の頬笑みの後ろに、小倉でレイプした女のすべての感情を無くした顔を、一瞬垣間見た。
「help Maaa」
Daniel は銃をとり落とすと、写真の入っている胸ポケットに血まみれの手を当てたまま、最後の叫びを上げ、身体を撃ち砕かれていった。