それでもいつか遠くの街で
目覚めた僕は、不思議なほど落ち着かなかった。
「まさか 行かないよな」
朝食に作った目玉焼きが 女性の胸に見えた。添えたベーコンのくねりが女性の腰のラインを想像させた。トーストに塗ったバターのぬめりが唇に塗られたルージュを思わせた。
啜る珈琲。少し唇をやけどした。
食べ終えて、食器を洗い、タオルで拭いた掌を見た。以前買ったハンドクリームを付けてみた。洗面所で歯磨きをして、もう一度磨いた。鏡に映る顔を左右に確かめた。髪に見つけた白髪は、とりあえず抜かずに置いた。たぶん同じくらいのお年頃。相手にもあるかもしれない。
「ま、小旅行だな」
どこか気持ちの落ち着く先はないものかと声に出してみた僕は 心なしか落ち着いた。
結局、行くことを選択していた。
空港も遠くない。だけど飛んでいく先は 海の上にあるらしい。だから新幹線なのか。
よくわからない土地へ向かうのは どれくらいなかっただろう。
少年、青年の頃の冒険まがいな旅。学生時代の無謀な計画。社会人になって仕事がらみや行楽で出かけた場所。心に残っているのは 人の温かさと面白さ。他にもその時その場所でしかなかったものが この年齢になっても断片的でも思い出される。
ジェイアール(JR)九州のみどりの窓口へと向かい、数人とはいえ並んだ。
笑顔で迎えてくれる窓口の女性は若く可愛らしく、何故、どんなおばさんかもわからない人に逢いに行こうとしているのか? 罰ゲームのような気がした。
「どちらまで?」
「あ、名古屋」
「お時間は?」
「えっと… 13時くらいのある?」
「今からですと 13時4分発 のぞみ32号がございますが」
僕の記憶が 呼び起された。
「あ、その次の 乗り換えないやつは?」
「それですと 13時29分発 のぞみ34号になりますが」
「あ、それ。お願いします」
「かしこまりました。窓際のお席お取り致しました」
財布から金銭を出しながら(高っ!) とつい言いそうになってしまった。
「ありがとうございました」
僕は、構内を見渡ながら改札口に向かい ホームへと上がった。
列車を待つ間、行き交う可愛い人を目で追ったり、綺麗なご婦人に意識が向いたりしたが、 今から会おうとする人のことがあまり気にもならなくなっていた。
作品名:それでもいつか遠くの街で 作家名:甜茶