影ふむ鬼子は隣のだれか2 神末一族番外編
(伊吹くんか・・・いつ会ったのだっけ)
清香の還暦祝いのときだったか。穂積の後ろに隠れていて、顔など殆ど見ていない。
(・・・俺と同じような重圧を、あの子も感じる日がくるのかな)
定めの子。己の未来や役割に、押しつぶされそうになるのだろうか。清香を前にして紫暮が感じるような、苦しさやどうしようもない煩わしさに。
(・・・だけど、伊吹くんには瑞がいる。生涯、決して離れない存在がある。それだけで、救われることもあるだろうな)
伊吹の役目の重さは、紫暮とは根本的に違う。結婚すら許されていない。だが彼は孤独ではない。この式神がそばにいてくれるのだから。
(うらやましいのかな、俺・・・どうかしてる・・・)
「えーっと・・・あ、俺この映画好き」
リモコンをいじっていた瑞が、映画のチャンネルで止める。
「え、おまえ映画観るのか」
芸能ニュース以外にも興味があったのか。
「うん。穂積が好きで」
「これってあれだろ、線路歩いて死体を捜しに行くんだっけ?」
古い古い洋画だ。エンドロールに流れる主題歌と、子ども達が線路を歩くシーンが有名なことは、映画にはあまり興味のない紫暮でも知っている。
「十二歳のあのころのような友だちは、もう二度とできない。もう二度と」
「・・・?」
・・・劇中のセリフだろうか。瑞はそれきりテレビに意識を向けてしまい、紫暮との会話は終了した。
映画を三人で一緒に見た。美しい景色、爽やかな夏。笑顔の裏に、強がりの裏に、悲しみやどうしようもない思いを抱えた登場人物達。エンドロールを迎える頃に残ったのは、苦しいような悲しいような、それでも無理して笑う優しさのような、複雑な感情だった。
そばにいて、と繰り返す印象的な主題歌とあいまって、紫暮の心に強く残る。
「・・・古い映画だろって馬鹿にしてた。思ってたより、すげえよかった」
いろんなシーンが印象に残った。不覚にもうるっときた場面もあった。泣かせよう泣かせようという昨今の映画とは違い、視覚や聴覚ではなく、感情に訴えてくるような隠れた言葉を何度も感じた。自分の中にある、自分でも知らなかった感情を、静かに揺さぶるような映画だった。
率直に感想を述べると、瑞が嬉しそうに笑う。
「ジジイになってから見ると、もっとそう思えるんだってさ。なあ穂積」
「うん、ジジイには沁みる映画だよ」
チャンネルを変えながら、瑞は楽しそうに穂積と会話をしている。
この二人の関係は、主従というより友人だ。年の離れた親子のようにも見える。そばで見ていて、肩の力が抜けるような。ようは互いに気を遣うこともなく自然体なのが伝わってくるのだ。
「十一時になる。そろそろお休み。遅くまで付き合わせて悪かったね」
「そんな。よかったです、ご一緒できて」
作品名:影ふむ鬼子は隣のだれか2 神末一族番外編 作家名:ひなた眞白