光の雨 神末家綺談最終章
「・・・瑞、みずはめが待ってるよ」
コートのポケットから櫛を取り出し、獣の黒い毛を、静かに櫛ですく。怒りを、悲しみを鎮めていくように、櫛を通すごとに獣の身体が浄化されていくのがわかった。大きな瞳がじっと閉じられ、穏やかな呼吸だけが聞こえてくる。
「・・・・・・ここでお別れだな」
さく、さく、と毛並みを梳く音だけが月夜に響く。
「いろんなことがあったけど、俺・・・これでよかったなって思うよ」
ふわりと黒い毛並みが揺れたかと思うと、そこには青年の瑞が立っていた。黒い髪に櫛を通し、伊吹は続ける。背のびをして、彼の髪に手を入れる。
「おまえの望んだ未来がこの先にあるんなら、もう悲しくもない。寂しくもないんだ」
瑞は、されるがままに立ち尽くし、そして小さな声で零す。
「最後のお役目が、おまえでよかった」
「・・・うん、」
手のひらが、優しく伊吹の頭に置かれた。
「おまえは、約束を違えることなく果たしてくれた・・・ありがとう、感謝する」
胸がつかえて苦しいけれど、涙はこらえた。悲しくはない。寂しくはないのだから。笑って、すべてを終わりにしたかった。
「・・・わたしが死して血肉を食らわれたという事実が、なかったことになった。おまえの存在も、もう消えゆくだろう。わたしに関する、記憶も」
「うん・・・」
お別れだ。頬に渇いた手が触れた。自分の手を重ねて握った。
「・・・伊吹、」
名前を呼ばれたのは、これが最後だった。
濃い夜闇の中で、伊吹は髪を梳き続ける。
どうしてこんなことをしているのだろう、と思いながらもやめられない。頭がぼんやりしてくる。
作品名:光の雨 神末家綺談最終章 作家名:ひなた眞白