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私の読む 「宇津保物語」  楼上 下

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「そのうち忌む日が来れば、と考えています。中々難しいことです。面倒です。人が大勢いますし時間の掛かることですから」

 と、一宮に応える。

 暁に、仲忠は兼雅の所に行く。三宮も小君も仲忠が来たことが珍しくて、嬉しかった。・兼雅が、

「北方から何も音沙汰がないので呆れてもいるし、気を揉んでいる。その上、文の返事も貰えない。頼りないので九日の物忌みの日、忍びでそちらへ参る」

仲忠
「結構で御座います、九日は菊宴ですから参内いたします」

 と、父に応えると三宮や宰相の君が住む対に来て立ったままで

「いかがですか」

 と、声を掛ける。夫人達は皆退屈そうなので仲忠は、家司を呼んで果物やその他の物を夫人達に差し入れして、急いで京極に帰っていった。

 檀(だん)・真弓の木が紅葉して面白くなって行くのを見て、犬宮は

「母宮の真弓もこのように色づいたであろう。母宮にお会いになりましたか『恋しくても我慢しなさい』と仰いましたが、もう私をお忘れになったでしょう。お文を下さい」

 と言って泣き崩れるのを、仲忠は、

「泣かないで、文はありますよ。そこには、

『よくお稽古をしていますか、それなら今そちらに行って貴女を見ましょう』

 と、書いておられますよ」

 と、告げると、犬宮は嬉しくなって琴を弾く。仲忠は、本当に可哀相なことと、面白い絵本などを取り出して犬宮に見せるが、見ようともしないで一心に琴を弾いている。  

 秋の夜、空に月が澄みわたり明るく静かになり、山の木陰や水の畔もやっと涼しい風が吹くようになった中を、内侍督・仲忠・犬宮三人のかなでる琴の音が仲忠親子の気持ちを淋しくしていく。涙を落としながら琴を教える姿に犬宮は、

「私に泣くなと仰るが、母宮を恋しく思いになっているらしい」

 と、内侍督に言うと、側にいたみんなもおかしな気分になった。

 仲忠は犬宮が辛くなったろうと思い、

「下に降りましょうか」

 と言うと、犬宮は。

「まだ月が明るいから、寝ないで琴を弾きます」

 と、言って夜中まで楼の上で琴を弾いていた。

 楼から降りるとき、乳母が階段の際まで犬宮を抱いてきて乳母や女房達が総出で出迎える。内侍督が抱くようにして犬宮と共に階段を下りる。それを見て仲忠は、「人手が沢山ありますのに」と言うが内侍督は、

「こうして犬宮が一人で楼にいることだけでも勿体ないのに、院のお孫でなくて他の人の子であれば、このようにしてまで我慢は出来ない。

 朱雀院の配慮が総てに行き届いているので、私は母宮の辛抱は、朱雀院のお心遣いから、と推察されます。

 特別教えることに甲斐があると思うにつけても 真に愛おしいと思います。不憫なことです」

 と、言っていつものように犬宮を送って、

「お食事を取らないのは、大変身体に良くないことですよ」

 と、内侍督は自分で犬宮の好きな物を調理して犬宮の前に並べる。

 このようにして犬宮は稽古を一つも苦しいとは思わないで、四季折々に合った曲を悲しいまで巧みに演奏する。前栽の木々も紅葉した。黄櫨(はじ ハゼの木の別称)今が最高に色づいている。風景が面白くなり風もやがて吹きすさんでくる、山の奥から流れ出た水が落ちる瀧を静かなところで聞いていると、万の物と混じり合って悲しい気持ちになってくる。内侍督尚侍は父の俊蔭に琴を習った幼い頃のこと、若小君のこと、
母となって仲忠を抱えて心細かったこと、など思い出すことが多く、

「どの方向でしたでしょうか、貴方がよく出かけて行ったのは、私というのがこうしてあるのに、憂しとおっしゃったのは」

 と、話ながら涙を流す。仲忠は、

「あの、西南の山から外へ出かけて行きましたね」

 と、硯を取り寄せて

 山おろしの風もつらくぞおもほえし
木葉紅葉もやゝとみしかば
(食べるものを探しに出かけたが、山から吹いてくる風が冬はとりわけ冷たくて辛かった山颪の風が「やゝどこへ行く」と咎めると思ったので一層辛かった)

 と、詠って筆を置く。心は悲しい。

 母君内侍督尚侍、

 引きあてて峯だにわけし心には
紅葉のせきをこととやはせし
(食べ物を探しに峰までも草木を分けて登った貴方の心では。紅葉の障壁など何とも思いにならなかったろう)

 仲忠母子はお互い悲しかったことを思い出す。

 犬宮も琴の上に楓の葉が散ってくるのを、

 まろが弾くうらやましとや琴のうへに
楓も

 と、だけ詠って「恥ずかしい」と言って、末の読みをしないのを、内侍督が「さあどうしました、早く詠いなさい」と、言うと、

    かゝるねをひかんとか
(私が琴を弾くのを楓も羨ましいと思ったのか、琴の上に私と同じように琴を弾きたいと降ってきたのでしょう)

 と,詠い終える。そうして、木の葉や松風の荒い音に見事に合わせて弾くのを、仲忠は可愛いと思って見ていた。

 十月の時雨のために紅葉を散らして、枝に残る葉は幾らもない。仲忠も内侍督も琴を教えるのを一休みしているときである。仲忠は、時雨に殆ど落ち尽くした紅葉の哀れな風景を見て、その光景に合う歌を遠くで詠っている。

 もろこしの山の山彦聞きつけて
そよやというまでひヾ木伝へん
(しまいには唐土の山の木魂が聞きつけて、「そうだ、その通りだ」と答える処まで琴の響きを次々に送ろう)

 と、寝に付いていた内侍督が聞きつけて、止めどなく涙を流す 、臥したまま琴に向かってそっと、

 山彦はそよやといふとも調べおきし
人なき宿を見るかひもなし
(木魂がいくら「そうだ、その通りだ」と言っても、調べて置いて下さった俊蔭の居ない宿では住む甲斐がない)

 と、心に思って臥して仕舞われた。

 内侍督は、

「世間を見ると、言葉では言い尽くせないほどの勝れた人もあって、才能も時勢に適合し、登用されて人物と扱われるからこそ、結構生き甲斐もある。父は人に勝れて才能がおありになったのに、この國では認められず若い内は知らない異国にお渡りになって限りなく悲しい目にお会いになり、多くの年月を経てお帰りになった。帰朝なさっても、朝廷を始め世間のことが不満で、久しい間嘆いておられた。

 一方では、信頼して琴の技を伝授すべき人も無く、何事も私を人並みに育てようとしたが、それも出来ないうちに、歳ばかり取っていくのを心細くなり、また嘆木の種と考えられて心細く思われた。

 遣唐使になっていくことは、これまで十六年の間、ご両親を散々泣かせた罰であろうか。 

 父俊蔭はまたとない悲しいひどい目に遭うことになったのだろう。

 私の産まれた以前から、父君がお亡くなりになった日まで、俊蔭が感想や事実などを書き記して遺された日記は肝が潰れるほどの話が一杯書かれてある。