私の読む 「宇津保物語」 楼上 下
「母宮と一緒にこの光景を見れたらな」
独り言を言う。それを仲忠が聴いて可哀相に思って、
「犬宮、いまのうちにこの琴をしっかり習って、すっかり覚えたとき、母宮はお出でになって一緒に見ようと仰いましたよ」
と、言うと、犬宮は恥ずかしそうに物も言わない、夕暮れ、昼間などに内侍督、仲忠も休んでいるとき、犬宮は一人復習をしている 。見事に間違いもなく弾いている。仲忠も祖母君も犬宮があまりにも上手く弾くので気味が悪くなる。
何時であったか内侍督に犬宮は、
「下仕えに、ちゃ(気に入りの童)、を呼んでくれるといいのですが」
と、言うので内侍督は童を呼びよせた。ちゃは参上しない。それでも犬宮は来て欲しいので祖母君や仲忠が可哀相に思って来るように再度申しつける。
仲忠は、犬宮が琴を習うときの態度と、ちゃを呼ぶときの子供らしさをじっと見ていた。
乳母の侍従が犬宮の側に来て、
「琴はお弾きになりましたか」
「弾きました。母宮がなさるように、琴を側に置いていつでも弾きますよ」
夜が更けて月が澄み切った空にあるとき仲忠と母君が合奏されて、犬宮に、いま弾いた曲を弾かせると、全く同じように演奏したので仲忠は嬉しく思った。
あて宮は、大変妬ましく羨ましく思うが、一宮が犬宮の側にいないのが少し嬉しかった。藤壺に正頼が参上してきた。あて宮は、
「一宮はどう思っておられるのでしょう。私に女の子供がいればどんなに羨ましいでしょう」
と、言うと、父の正頼は笑って、
「春宮の母である以上に羨ましいことがありますか。一宮が仲忠をないがしろにして、犬宮と毎日雛遊びをして過ごしていた、長い間そうだったのを仲忠が、犬宮だけか内侍督まで兼雅から引き離して、あちこちから怨まれて、兼雅などは何回も何回も文を送りなさっている。
ある日朱雀院が、
『私が俊蔭の遺した文書を仲忠に読ませるため、数日宮中に留めたときに、仲忠は一晩でも千年のように長いと思っていたが、仲忠と一宮の間は並みのものではない。
それが今、一宮を置いて一人楼に移っったのは、腑に落ちない気持ちである。正頼お前はどう思うか』
と、仰せになった。私は、
『稀なことで、今からそうして教えることは本当に二つと無い立派な伝授です。藤壺の子供達に音楽だけを教えた。春宮も教えたら梨壺の宮のように。、立派に読み書きをされるでしょうに、誰も彼もが我こそと言い合いされて、結局は誰も春宮を教えになる人が現れない』
不都合なことである、誰か学士が朝夕教えてあげなければ」
あて宮
「どんなものでしょう、大変に怪しいのは、春宮は、
『学士が相手では習いません。仲忠か源中納言涼であれば、何であれ学びましょう。顔の醜いのは避けてください、憎いから』
と、仰有るのです。どういうことでしょう。書の方は仲忠が作ってくれた、
『これよく似せて書きなされ』
と、仲忠から戴いた手本で書いて、褒められ、文も行正中将から貸していただいたのを読んでいます。春宮は大変強情で、新進の人達のをよく読まれる。気の効かない私でした。
源中納言は、
『今から夢を描いておいでになるのだ』、
と、密かに伺いました」
「気持ちの美しいお方ですね。この人達は春宮をこの上ない方と思っているのでしょう。
涼も犬宮と同じぐらいの子供があり、大変大事に育てておられたが、
『どうしても春宮のお遊び相手に差し上げたいと思うが、自分の周りで後から入内なさりそうな人達がきっとこの上なく美しくて、私の娘の寵愛を奪うだろう、と思うと心配です』
と、言いながら、涼の子供はさすがに宝の主の伝来品で、逸品の結構な笛を玩んで、
『これはとても美しい音色です、私にくっださい』
と言うのに、涼は
『お前にはやれない。考えがある』
と、言っているそうです」
などと話して正頼は去っていった。
源中納言涼は禊ぎの帰りに仲忠の楼の前で車を止めて、他所ながらに眺めると、
「この楼は見るだけの価値がある」と供人に、
「戸を叩いて品よく案内を請い、次のように申し上げて直ぐ帰りなさい」
からもりが宿を見んとて玉鉾に
めをつけんこそかたは人なれ
(からもりの宿を見ようと思って通りがかりに眺めるとは、私も変人ですね)
と、思いましたので素通りします。河原で禊ぎの帰りです。
(からもり、は当時の物語の題名で今は分からない)
と、荒々しく門を叩いて言わせた。仲忠はしゃくに障って、
九重をいかでわけけんしほづゝの
からき袂の口惜しき身は
(どうして奥深い私の宿まで踏み分けていらしたのでしょう。世の辛さを咬み締めている身にとっては、嬉しいことです)
よくお通り過ぎになりましたね。お寄りになってもお座りになる場所はないのです。実のところ今私は自身参上してご挨拶蒸し上げます」
と、用意してある馬にその涼の供人を乗せて、主人の後を追わせたので、涼は自宅の門に付くまでに、仲忠の返事を受け取った。
絵解
この画は、内侍督に兼雅より文が、白い色紙に事細かに怨み言が書いてある。鮮やかな色とりどりの服装で女房・童が並んでいる。
犬宮に、御匣殿より縫い上げた九日の節句用の衣装を持ってくる。女房や童が几帳を狭く併せてその中で物語を読んでいる。
三の画面は念誦堂で、。内侍督がお参りしている。その前で老女が香を焚いている。
仲忠は内裏から度々お召しがあるので参内する。
朱雀院
「随分ご無沙汰でしたね。諸国の國司になる筈の申請書が集まるというのに、その様な大事なときには参内しなさい」
仲忠
「仰せ有れば走り参じます」
「犬宮はどうである、上達したか」
「はい、大変に上達いたしました」
と、返事をすると院は笑われて
「いい話だ、内侍督が伝授したのであろう。それを犬宮が総て習い取ってしまったら素晴らしいことだな。
さていつ頃まで続けるのだ」
「本気で習いましたらとっくに終わっている筈でありますが、何分幼いので心を落ち着かせて得心させながら習わせますし、季節が移るに従って曲を習わせる物もありますので稽古の進みは、決まったとおりには進みません」
「珍しいことだが本当にその通りであろう。大変に興味がある見たいものだ」
朱雀院は仰る。
仁寿殿女御は里の正頼殿に帰っている。夕方に仲忠は、同じ正頼殿の一宮の所に来たのだが、二宮と遊んでいて会わない、
「院や帝のお側に長く伺候していて疲れてしまいましたが、犬宮のことを申し上げたいのに」
と、仲忠が言うので、二宮は側にいられない気持ちで入ってしまった。一宮は嫌々出て来た。仲忠がその態度を不快そうに見るので、
「逆じゃありませんか、怨んでいるのは私の方です。外聞が悪い。たかが琴を習うだけのことで母と娘の間を裂くとは。実際無期限のようですが」
と、一宮言うと仲忠は、
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 下 作家名:陽高慈雨