私の読む 「宇津保物語」 楼上 上
三宮を初め何方も淋しく考え込んでいらっしゃるでしょう。そこへ貴方がお通いになったらさぞお喜びになるでしょう。
左大臣正頼様は大宮や元の太政大臣の娘さんとは大層仲良くされて十五日づつお通いになって、お子達も分け隔て無く大事にされていらっしゃいます。
このように私の側にばかりおられるのは賢明なこととは申し上げられません。その中でも、女三宮は嵯峨院が特別可愛がっておいでになって、時々様子をお尋ねになるでしょう。有り難いことではありませんか。
宰相の君はお優しいお方のようです。この方だけは、時々消息を戴くので大事にしてあげてあげて下さい。仲忠のことも君の伯母上が泣いて喜んでくださってます。
私一人が色々申し上げるのは縁起が悪いと思いますから、宰相の君にも貴方のことを貴方からお頼みになって下さい。そうしていただくと私は大変嬉しう御座います。来世には必ず行き会うものですから」
と、内侍督は真剣に夫の兼雅に訴えられる。
父と母の話しを聞いていた仲忠は
「十五日はここで、十五日は三宮の許でとなされましたら」
兼雅
「そういうことならば十五晩ずつ行くことにしよう。
梅壺更衣はずるくて一癖がある。式部卿の君は気持ちが幼くて、乳母の言い方が失礼だ。宰相の君は、おっとりとしているが思慮深いから誰のためにも安心だ。宰相の君だけは貴女の仰ることに同意するでしょう」
帝と春宮は仲忠の息子に会いたいと度々声を掛けられるので兼雅は、
「小君を連れて参内しなさい」
と、言われたので仲忠は小君を連れて参内する。内侍督が小君の装束を整える。見ずらの髪型をきちんと整えると一層愛らしく良い感じになった。
二人が参内すると帝と春宮は一緒に居られて、小君のことを
「可愛らしい子供だね」
琵琶を持ってこさせて。小君に弾くように言われるが小君は暫く黙っていて応えないので、仲忠が、
「小君弾きなさい。まだ幼い童でありますので、大きな琵琶は大人に抱かれて弾いています」
女房達が大勢参列して見ている。源中納言涼が、
「評判の子供はこの子であるか、このような可愛い子供を今まで見たことがありませんね。私の膝にお出で」
と、言って小君を膝に抱いて琵琶を弾かせると少しばかり見事に弾いて、琵琶を置いた。帝も春宮も
「このまま宮中に留め置こう」
と、言われるが、
「まだ子供で御座いますから」
と、仲忠が返答された。
涼がそっと仲忠に言う。
「帝がお召しになった仲忠の子供か、申し訳ないが貴方の子供はこの小君より優っていることはないでしょう」
仲忠
「仰るとおり、一向にみっともないのです。ただ宮の真似をしていたずらだけで、優しいところが全く見えません。
ですから母親の一宮の処に連れて行きますと、子供を見ていて
『産まれたときから、難産で苦しめられました。恐ろしい子供だと思っていました。犬宮の弟とは思えません。あっちへ行って』
と、言います。兼雅は大事にしていますが、私には要らない子供です。
この小君は、私が教えることをよく聴いて、筆も綺麗な字を書き、歌う声も大変に美しい子供です」
春宮
「藤壺のお方に見せてあげよう、一緒に来なさい」
と、言われて小君を連れ去った。仲忠も付いていく。
春宮は小君を連れて「藤壺」と呼びながら奥へ奥へと行かれる。藤壺は几帳を引き寄せておられる。女房達が小君を見て、可愛い美しい童よ、とじろじろ見る。仲忠は孫王女房に、
「小君が参りました。お声をお掛け下さい」
孫王
「大変美しいが誰に似ておいでなのでしょう」
分かり切ったことだから仲忠は、
「私なんかに似てはいませんですよ」
と、言って小君の顔を孫王に向けると、側にいた人達が笑う。
「本当は『けさのたとひ』という諺もありますので早く退場したいのですが」
と、仲忠が言うと、藤壺が「おかしなことを言って」と小さく笑う気配が几帳から漏れてきた。仲忠が孫王に、
「早く早く」
と、催促するので、
「その様に急ぎにならなくても、宜しいでしょう。実を申しますと大層美しい小君の様子なので、小君を始終見たいので参内させてください」
と、言われて小君は春宮に連れられて藤壺の許から几帳の外に出てきた。
小君と春宮を見比べると二人、美しさ、上品さ、気高さがたいして優り劣りがないので、自分の子のようにして仲忠が小君を連れてきて面目が立ったと思う。
小君は金銀で拵えた子供が相撲を取っている人形を戴いて退出した。
戻って内侍督に、こうこうでしたと仲忠が報告すると、嬉しく聴いていた。宮(仲忠の子)は兼雅を「父上」と呼んでまといついて仲忠を他人のように見上げて、
「大将がお出でになりましたよ」
と、冷淡な態度である。
小君は、仲忠を父上と呼んで、よく尽くすので仲忠は面白がって可愛がる。
太宰府の大弐(だいに)が上京してきて、兼雅に銀の硯箱廿、唐綾、沈木で拵えた櫛の歯の背に螺鈿が鏤めてある櫛などを差し上げた。内侍督は三宮に七つ、自分に四つ、夫人の方々に二、三宛硯箱を配られた。
兼雅は人によって差を付けたらというが、北方は、
「そうするものなのでしょうけれども、心に恥じるようなことはしたくありません」
と言って、思うとおりになさった。
硯箱の中には一つには唐綾五疋、いま一つには沈の櫛、紫檀の櫛があるのを、宰相の君に差し上げようと、内侍督は、
思ひやる心をつげの櫛ならば
おぼつかなくはなげかざらまし
(わたしがいつもあなたをおもっていると、この櫛が告げるならば、私を頼りない者だとお嘆きにはならないでしょう)
と、歌を添えて送ると、返歌は、
そのかみにふりにし物をあらたむる
これこそつげの小櫛とは見れ
(古くなってしまった間柄を新たにしてくださることこそ、嬉しい告げのお便りだと思います)
伯母上に差し上げたいと思っています」
北方と宰相の君は心憎いほど何事もご相談なさる。 時にはこっそりと北方は宰相の君と対面してお互い固く頼りにされている。
仲忠は、帝、春宮、嵯峨院、朱雀院などから催促がある前に参内している。どうかすると急なお召しがあり、ゆっくりと気持ちを落ち着ける閑がない、と思っている。
北方の一宮に
「自分に物思いがあったとき、こうして結婚して気持ちが落ち着きましたのに、犬宮が産まれてからは、一層長生きしたくなり心に不足はないと思っていましたが、よく考えてみますと、此の世では心配事が沢山あります。それがまた私に限りまして人より多いように感じています」
三宮は「どうしてですか」と言われるので、仲忠は、
「貴女は犬宮のことなどを疎かにしておいでだからです。
犬宮がまだ這ったりいざったりしているとき、この琴を見て弾きたそうにしておいででした。この年頃は時間が早く過ぎていくようです。物心が付いたら然るべき場所を拵えて、そこへお連れして気持ちを静めて琴を習わせようと、夜昼考えて望み通りに静かな処を探すのに難しくて、どうしようかと思案しています
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 上 作家名:陽高慈雨