更新日時:2014-10-27 17:13:17
投稿日時:2014-10-27 17:13:17
私の読む 「宇津保物語」 楼上 上
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作者: 陽高慈雨
カテゴリー :時代小説
総ページ数:7ページ [未完結]
公開設定:公開
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著者の作品紹介
巻名 底本には「楼のかみ」とあって、「うつぼ物語考」(浜臣自筆本)中の陽姫君蔵本及び古本の一本その他と同じである。文化板本には「楼の上」又「楼のうへ」(「考」書人)、「上」には「楼のうへ」とある。底本は漢字「上」を「かみ」と訓み違えたのであろう。多くの写本は「楼の上」又は仮名書「ろうのうへ」とし、仮名を誤った「ろふのうへ」(「兼」、陽明文庫本)もある。九大本や南葵文庫本、刈谷望之所蔵本(「考」)は「楼上」であるが、訓む時は「の」を入れたと思われる。「流」系統の「長
宮」及び平瀬本には「たかとのゝうへ」とあるが、「四声宇苑云今謂台上構屋為楼太賀度能」(倭名抄巻三居処部)から見て、「たかどの」と訓んでも誤ではない。「東」の「ろうの賀「は誤であろう。以上のように巻名が数種に分れているが、多数に従って「楼のうへ」を採る。
上下両者を通じて「楼のうへ」という名詞は見当らない。「楼の上に檜皮をば葺かで」、「楼の上は山高き木どもの風・・・・・・」は固定した楼上とは考えられず、まして「楼のかみにさしのぼりて・・・・・」の「かみ」は楼より上の意で、ここでは問題にならない。二巻に亙
って数多く見えるのは「楼」であって「楼上」ではない。どうして巻名を「楼上」にしたのであろう。同じ殿でも清涼殿を「殿上」として敬意を籠めたように、神聖な琴の伝授をする場所を指して「楼上」と言ったのかも知れない。
「南の山の花の木どもの中に二の楼、長よきほどにう
ち、高からぬほどに忽ちに造るべし」とあるのは、普通の殿よりも床を高くしたのを築山の上に建てたところから、それ自身高い山の頂を山上という意味で、楼上と言ったとも考えられる。
巻庁 主題からも、年立の上からも「楼上」の巻が最後に置かれるのが当然なのに、第二系統の其二のみが「国議」の巻の前に置いているのは、後人の私案によるものであろう。「考」の中に唯一つ「楼上」を「国議」の前においた巻序があって、これに「浅井頼母(号図南)の考の次第」と注しているのを見ても想像に難くない。底本は「東」と共に第四と第五におき、しかも上巻と下巻との本文が逆になっている。上巻と下巻の本文の不一致は第二系統に多い。「流」系統の大多数と「九」系統が、正しく楼上上巻を第十九巻に置いている。
年立 犬宮の六歳の春三月造営を命じた楼が完成して、八月に移る事になる。八月十三日に京極の大殿に移り、三日間盛大な祝宴が行われる。三日目に朱雀院からの御祝があり、四日目の夜半頃に女一宮は大宮と別れて帰り、兼雅は恋々として五日目即ち八月十七日まで滞在する。
この巻の前半は、宰相君の行方を尋ねていた仲忠が石作寺で宰相君母子にめぐりあって、兼雅の殿へ移らせるのであるが、その春までの捜索期間を二年と見れば、前の国議下巻との間に脱巻がある(細井貞雄説)とする必要はあるまい。たとい、この巻で犬宮六歳、仲忠三十歳としても、二年の空白を認めれば足りる。
宮」及び平瀬本には「たかとのゝうへ」とあるが、「四声宇苑云今謂台上構屋為楼太賀度能」(倭名抄巻三居処部)から見て、「たかどの」と訓んでも誤ではない。「東」の「ろうの賀「は誤であろう。以上のように巻名が数種に分れているが、多数に従って「楼のうへ」を採る。
上下両者を通じて「楼のうへ」という名詞は見当らない。「楼の上に檜皮をば葺かで」、「楼の上は山高き木どもの風・・・・・・」は固定した楼上とは考えられず、まして「楼のかみにさしのぼりて・・・・・」の「かみ」は楼より上の意で、ここでは問題にならない。二巻に亙
って数多く見えるのは「楼」であって「楼上」ではない。どうして巻名を「楼上」にしたのであろう。同じ殿でも清涼殿を「殿上」として敬意を籠めたように、神聖な琴の伝授をする場所を指して「楼上」と言ったのかも知れない。
「南の山の花の木どもの中に二の楼、長よきほどにう
ち、高からぬほどに忽ちに造るべし」とあるのは、普通の殿よりも床を高くしたのを築山の上に建てたところから、それ自身高い山の頂を山上という意味で、楼上と言ったとも考えられる。
巻庁 主題からも、年立の上からも「楼上」の巻が最後に置かれるのが当然なのに、第二系統の其二のみが「国議」の巻の前に置いているのは、後人の私案によるものであろう。「考」の中に唯一つ「楼上」を「国議」の前においた巻序があって、これに「浅井頼母(号図南)の考の次第」と注しているのを見ても想像に難くない。底本は「東」と共に第四と第五におき、しかも上巻と下巻との本文が逆になっている。上巻と下巻の本文の不一致は第二系統に多い。「流」系統の大多数と「九」系統が、正しく楼上上巻を第十九巻に置いている。
年立 犬宮の六歳の春三月造営を命じた楼が完成して、八月に移る事になる。八月十三日に京極の大殿に移り、三日間盛大な祝宴が行われる。三日目に朱雀院からの御祝があり、四日目の夜半頃に女一宮は大宮と別れて帰り、兼雅は恋々として五日目即ち八月十七日まで滞在する。
この巻の前半は、宰相君の行方を尋ねていた仲忠が石作寺で宰相君母子にめぐりあって、兼雅の殿へ移らせるのであるが、その春までの捜索期間を二年と見れば、前の国議下巻との間に脱巻がある(細井貞雄説)とする必要はあるまい。たとい、この巻で犬宮六歳、仲忠三十歳としても、二年の空白を認めれば足りる。