私の読む 「宇津保物語」 楼上 上
犬宮も来年は七歳になります。今まで琴を教えてこなかったこと、母上は四歳より琴を弾いておられた。
御袴儀のことを急いで用意しましたが、琴のことが先でした」
と仲忠が嘆くので、一宮は、
「本当に私も身に覚えがあります。たいした人でもなければともかく、琴の家に生まれながら、世間並みでは真に甲斐がないと言うもので御座いますね。貴方なら心静かに教えになるでしょう。母君であればもっと好都合なことでしょう」
仲忠
「幼い犬宮は、一人で琴は覚えられないでしょう。また、最初から上手な人に習うよりは、それより下の人から習うとよい。祖父は七仙人のなかでも劣った人の手から、習い始めて、最後には一番上手な人から妙技を得られた。
仲忠が弾くのを朱雀院はお褒めになられるが、母の内侍督には同じような褒め言葉は言われないと思います。
母君が弾かれると、母君に教えになった祖父の手は、どんなに素晴らしかった手であったろうと、昔が懐かしく感じます。
犬宮が母君に直ぐ習うのはどうかと思いますので、先ず私が知っていることを総て教えましょう。
琴の曲は、春は
昨日こそ年は果てしか春霞
春日の山に早立ちにけり
と、万葉集(1843)で春の霞、ほのかな鶯の声。また、春の匂いを中務卿具平親王は、
あかざりし君が匂ひの恋しさに
梅の花をぞ今朝は折りつる (拾遺集1005)
と詠う。
夏の初めは、深い夜の郭公の声、暁の空の景色を
暁(あかとき)に名のり鳴くなる霍公鳥
いやめづらしく思ほゆるかも
(万葉集4084)
林の中を思って
天の海に雲の波立ち月の船
星の林に榜ぎ隠る見ゆ
(万葉集1068)
と、詠う。
秋の時雨は、
石田王卒之時、山前王(やまくまのおほきみ)の哀傷(かなし)みよみたまへる歌一首の一部、(万葉集0423)
九月(ながつき)のしぐれの時は黄葉(もみちば)を
折り挿頭(かざ)さむと
と、長歌の一部に詠われている。
秋の夜の明るい月を、
珠洲の海に朝開きして榜ぎ来れば
長濱の浦に月照りにけり
(万葉集4029)
虫たちが思い思いに鳴いて、風は、
風の音(と)の遠き我妹(わぎも)が
着せし衣
袂の行(くだり)まよひ来にけり
(万葉集3453)
色々な紅葉の枝を分けるように別れがある。
冬の空の落ち着かない雲、鳥や獣の当惑した様子、朝雪の庭を眺めて、高い山の頂上を思いやり、澄んだ池の底の水を思い、
深い心高い思い、色々なことを思い出して世の中総ては、
秋の野に乱れて咲ける花の色の
ちぐさに物を 思ふころかな
と、紀貫之は詠う。
(古今和歌集0583)
また、変化無常を心に留めて、琴の音に引き込めようと努める。弾く手が進むと琴の音も響くようになり、練習を積むと、今まで述べた四季折々の森羅万象の変化のあらゆる場合にぴたりと合う音が出るようになる。
貴女のなさるように、ただ弾きさえすればよい、というものではありません」
と、仲忠が言うのを聞いていて一宮は、自分の考えの甘さを反省して、
「無造作に弾くのではなかった」
恥ずかしい気持ちで仲忠の話を聞いていた。
一宮
「こんなに大事なことをどうして一つだけでも教えて下さらなかったのですか。
何とかして犬宮が教えて貰うところに自分も一緒に教えて貰いたい」
と、言われるので、仲忠は笑って、。
「貴女は今私の申したことを悪くお取りになったようです。実は犬宮に琴を教えることを思うと、犬宮一人の琴の音を静かに聞きたいと思うのだが、どうすればよいで有ろう。
静かなところを色々と考えてみると、此所は大変騒がしくて、とても教えられそうにはありません。母上の元の住まい京極を改造して教える場所を作ろう」
と、仲忠は母の許へ出かけた。
母に仲忠は自分の考えを伝える。内侍督は、
「小君に千文字を習わせたら、小君は一日で覚えて暗誦をする。詩を読む声よりも優っています。本当に可愛くて立派です」
「それは面白いことをされましたね。私は何事を置いても犬宮のことを最初に考えますので、少し羨ましい話です。知らない間に教えられましたね」
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 上 作家名:陽高慈雨