私の読む 「宇津保物語」 楼上 上
と、言って小君を呼ぶとやってきた。髪は綺麗で長い。何も知らない人は小君と仲忠は同じ腹の兄弟だろうという。
某宮は笙の笛、宮の君は横笛を上手く吹かれる。
「この子は何かできるのか」
と、聞かれたので誰かが、
「琵琶をお弾きになられます」
と言ったので、
「その様なこと出来るのかな」
と、兼雅の家来である侍従と大納言の長男、頭の宰相の弟の四位の少将、三人が梨壺の母親の三宮に琵琶を演奏してあげられて、「これで弾きなさい」と小君に弾かせようとすると、小君は
「人に抱いて貰わないと弾けません」
と、応えたので、大人の一人が
「抱いてあげるから此方へいらっしゃい」
と、膝に抱えられたので、小君は琵琶を演奏する、それが二人とない見事な演奏であった。笛に合わせて三人が演奏を楽しむ。
小君達の演奏を聞いていた人達が、
「大変に珍しい組み合わせだ。内裏で演奏して帝や院方にお聴かせしすれば。大変珍しい琵琶の弾き手が現れたものだ。仲忠一族は音楽の一族であるな」
と、感心していた。兼雅も結構なことだと聴いていた。兼雅は、
「仲忠は子供が少ないから小君は遊び相手に丁度良いのではないか。お互い将来のことを考えて世話をするのも良いことだろう」
と、小君を見ていて思った。奥に入って北方に、
「東の対に住む小君をみんなが褒めているよ。可笑しいのは、小君が仲忠を見付けると母親にするようにまとわりついて甘える梨壺の宮の皇子をとても可愛がる。私のことを小君は何とも思ってやしない。子供と言うのは誰彼になくまとわりつくのが可愛いのだ」
内侍督は
「仰るとおりです。幼い子はただ可愛がる人に親しく纏つくものです。ある日私が見ていましたら、対の簀の子で、貴方が梨壺の宮(皇子)を抱かれ、暫く抱いて降ろされると、宮は『抱いて抱いて』と、またせがまれましたのでお抱きになった。
小君はそれを見ていまして自分も抱かれたくて待っていましたのに、貴方がその様な小君を見ることもなさらないので、幼い心にも淋しくなったのでしょう、小君は一人高覧であなた達を見つめて考え込んでいました。
どうして小君を時々抱いてお上げにならないのですか。万事そういう冷淡なお気持ちですから、月日が経っても思い遣りがなくて、私も限りなく辛い目にあったのです。貴方は涙が出るほど辛い態度をお見せになりました。
仲忠は、宮にでも誰にでも区別なくそれぞれに優しく接します。宰相の君の伯母上などは貴方の冷淡な態度を御覧になったら不快に思われるでしょう。貴方が人の怨みを受けず、誰にでも情けをお掛けになり、長生きしておいでになれば、私が死にましても、後に残る仲忠のためにも頼もしく安心でしょう。人を見るときに顔やかたちで判断なさらないでくださいませ」
と、内侍督は兼雅に内々で話すのを、内侍督の女房の侍従は宰相の君の少将女房とは従姉妹同士で、殿内で行きあった時の立ち話で、内侍督の話をしたので、伯母君も小君の母君も内侍督の話を伝え聞いて嬉しい事であると喜び合った。
「仲忠大将の心構えも容姿も立派でいらっさやるのは、北方内侍督のお心掛けがやはり立派でいらっしゃるからですね。
それに引き替えて殿(兼雅)の御心はどうでしょう。思慮の深くない人は、人が心に思っていて口に出さないことを推測して行動をするということが出来ない。
小君が仲忠をお慕いする気持ちが分かります」
このようなことがあって、宮中の後宮に更衣として仕えて、兼雅の夫人となった梅壺更衣と呼ばれていた女が兼雅から相手にされなくなったのを怨んで、山に生えている菅を束にしてそれを香木の扇とともに鳥の子紙の薄様で包んで兼雅に、
うらやましおなじ麓の山すげの
わきてぞ人は思ひかさぬる
(同じ麓に生えた山菅なのに特別にしてある人には大層良くなさるのですね。羨ましいこと)
色々と貴方のことを思い出すことが多くあります」
と、贈ってきたので、兼雅は返事を書く、
よそながら思ひかさぬる山すげを
ひとつにつらきためしとやする (別居して他所にいても、私は貴女のことを始終思っているのに、貴女は心で専ら、自分だけが冷淡にされていると思い込んでいるのですね)
目も霞むほどに老い込んでしまったけれども、昔のように近いところにお住みになりませんか」
と、後に兼雅は東の二の対に梅壺更衣を迎えた。
兼雅の女に対する行動を見て三宮の付き人達は、
「油断の出来ない世の中ですね。昔が今だったら、我が君三宮は、兼雅の正妻であり皇女であらせられるので、まさかこんな生活をなさるとは。
私達は思ってもいませんでした。身分なんて関係がないようですね」
と、俊蔭の娘である内侍督が兼雅の実質の正妻である現実を怨む。それを内侍督の付人が聴いてそのまま内侍督に告げ口をするが、
「まあ、何を言うのですか、慎みなさい。決して真に受けないようにして」
と注意なさって、内侍督は。気持ちよく受け答えをした
兼雅は一ヶ月の二十五日を内侍督の処に残りの日を三宮の処に泊まるようにしていた。東の一の対屋二の対屋に住む宰相の君や梅壺更衣の許には全然顔を出すことがない。昼間でも北方内侍督の側にずっと居るので、北方は息子の仲忠に、
「兼雅様は、殆ど私の側にいらっしゃって夫人達の所に行かれない。こんな見苦しいことはありません。
今、母の気持ちは、静かに心を落ち着けて時々は経を唱えたいのです。三宮のお気持ちもお察ししなければなりません。貴方からから父上に宜しく言ってお上げなさい」
仲忠
「よく仰有って下さいました。母君は此所にこうして思い通りにお住みです、私もおります。今は誰からもあれこれと口出されません。母上が父上に言い難いことは私が、父上と話をします折に申し上げましょう」
と、話しているところに兼雅がやってきた。何か雰囲気が違うと感じたのか、北方と仲忠をじっと見ている。北方は、
「実はご夫人方の或る方は出家なさって尼となり、或る方々は辛うじて生活しておいでになります。私は申し上げました通りにしていただきまして、こうして安心して過ごしています。嬉しく思っていますが、殿が一所にばかりにいらっしゃるのは目立っていけません。此方に十日、三宮に十日、後の日を三人の夫人方、宰相の君、梅壺更衣、民部卿宮の中君、のところでお過ごしなさいませ」
と、言うのを聞いて兼雅は笑って,
「変なことを言わないで、終いには不届き千万なことを考えよる。
昔、若い頃は歩き回って見た目もよくこの人をと思うこともあったが、今はもう年だよ、権勢もなくなり腰も痛むし歩くことが出来なくなった。
北方一人の処にばかり居ると外聞が悪い、人がどう思うだろうと憚るのであろう。決して気にすることはないよ」
内侍督
「そうではありません、貴方がご夫人方に気持ちが行ってしまい、だから私がくよくよして怨むなどと思われるのであれば、決して気になさることは御座いません。
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 上 作家名:陽高慈雨