私の読む 「宇津保物語」 初秋
と帝は御覧になっていた。目の前に綺麗な女郎花の花が咲いているのを御覧になって、御座所の外に出される。
うすくこく色づく野邊の女郎花
植えてやみまし露の心を
(薄く又濃く色づいた美しい野の女郎花を庭に移し植えて、花に置く露の心を知りたいものだ)
この歌の意味を見取って説明できる人がおありか」
と、仰って帝がお出しになると、最初に兵部卿の宮がお取りになり御覧になるが、お分かりにならない。それでも宮の気持ちには承香殿への懸想の気持ちがあるので、知らない振りをして、
籬(まがき)より七むらにほふ女郎花
野邊はいづれもさもや待つらん
(籬に咲く女郎花が色々良い匂いを放っています。どこの野辺でもその女郎花が移し植えられることを待っているでしょう)
と書いて右大将に渡す。そうすると、兼雅は密かに自分の心に思い続けていた事であるから、帝に自分の懸想心を知られたとも思わず、どんなお気持ちでこういう歌をお詠みなのだろう、と思いながら
女郎花いやしき野邊に移るとも
よもぎは高ききみにこそせめ
(香り高い女郎花が仮に賤しい野辺に移し植えられる事がありましたら、野辺の蓬は女郎花を尊敬してやまないでしょう)
と、正頼大将に渡す。正頼は、
「不思議だ、今している御賄いには、娘の仁寿殿がお仕え申している。その折りに帝がこう仰るのは何かお考えになっている所があるのだろう」 と、
ふた葉より野邊には植ゑぬ女郎花
籬ながらを老の世は経よ
(私はこの女郎花を二葉の幼い時から、深窓に育てて、野辺に移し植えようなどと思ってはいませんでした。誰の手にも触れずに籬の中でそのまま老いよとねがっています)
と詠って、仲忠宰相中将が侍しているのに渡す。仲忠は読んで、心遣いの深いのに感じて、次のように、
撫子をならべて生(おお)す女郎花
植ゑては花の親と頼まむ
(撫子を大勢育てた女郎花は、美しい撫子を籬の内に移し植えて楽しんでいるのです。その女郎花を花の親と崇めましょう)
と書いて詠む。帝は御覧になってめいめいが色々に詠んでいるなと思いになり、その歌の意味を解釈なさったが、兵部卿の宮が承香殿のことを心に置いて詠んだ。右大将兼雅の歌を詠んで、
「怪しい心で詠われたものよ」
と、お考えになって、仲忠のを詠むと帝はお笑いになって止まらない。想像していたとおりだと思う。
「仲忠の朝臣は、どういう風に理解したのか」
と仰せになる。仲忠は、
「深く存じませんけれども、申しあげましたことは、甚だしく間違っていようとは無いと思いますが」
「上手に空とぼける朝臣だな」
と笑ってそこで話を止められた。
今は皆は相撲が始まって、左右の勝負がつき、いよいよ人気者の四人の相撲取りの出場となった。十二番までの取り組みで左右同数の勝ち負けである。
「只今は、此方も彼方も勝ち越しの数が無くて相子になっている。もう一度試合をしたら勝負が決まるであろう」
左方は有名な下野のなみのり、登場した。なみのりは都に上ってくるのが三度目である。これまでに一度試合をして、一度は相手が無くて帰った。天下の名力士である。左大将正頼は、
「左方の相撲人の中で、なみのりの相手になれる者はいない。今度の試合で勝負が決まる筈だから、どうしても左方右方お互いに張り合って苦戦するだろう」
左はなみのりを、右方はゆきつねを頼みにして、神仏に大願を立てて、勝たせ給えと願って、固唾をのんで待つところに、一向に二人の最強の相撲取り最手が土俵の上に現れない。
そうしている内に、まだ日は高い。その頃に昼の賄いの料理方が仁寿殿から承香殿に変わって、勤められる。
日はまだ高いが料理は夜の膳に変わって、式部卿の宮女御に担当が替わるのを、承香殿が、
「昼の賄いを続けますから、このまま私がお勤めいたします、お譲り下さい」
と、今日は承香殿が引き続き昼の賄いを日が暮れるまで続けられた。
相撲は激しくぶつかり合い勝ち負け左右色々とあって、そのたびに楽の音が響き渡る。これほど面白い相撲を帝が御覧になっていたので、賄いの当番の承香殿の顔や衣装が結構で綺麗なことを、心に込めて御覧になれなかった。
激しい取り組みで、最手がなかなか現れない間に、この賄いの承香殿を帝がゆっくりと御覧になると、夕方の光に不思議なくらい綺麗なところが引き立っているために、いつもより一段と輝いて見えた
帝は承香殿との間に噂の立った兵部卿の宮と比べられて、
「今日という今日、この二人はただそのまま見過ごしてしまうことの出来ない人々の中にはいるのであった。男も女も互いに見交わしては誠に自分の身が無用になっても、私にしたところでそのままにして置けない。良く見ると兵部卿も承香殿も美しく似合いだと本当に思われる。
こういう二人の間柄は流石に表には出さず、気持ちを抑えている所があって、その中でどういう恋の囁きを伝えるのであろう。その詞の中には世の中にある限りの美辞麗句を語り尽くしているのであろう。あの二人が言い交わすところを見たいものだ」
と、帝は二人を交互に見ておられて。
「何とかして二人に一言言ってやりたい」
帝は食事をして
「今日の賄いを担当した者に、承香殿は皆さんに盃を与えようとなさいますよ。とりわけ承香殿には仰る事がおありでしょう」
「賄い方としての私には、お酒を差し上げたい人はいません」
と答えると、兵部卿の宮は聞き逃さずに、
「今日は土器(かわらけ)を頂く相撲の節であります。私が戴きましょう」
と、帝に言われる。帝は笑われて、
「だからね、美味しく戴いて倒れる人もいるだろう」
兵部卿の宮は、
「倒れる方に廻れば、相撲は負け側に、まわれば、思いが叶って勝つことになりましょう」
と、お答えになる兵部卿の宮の様子は切実に思いを隠しきれない風なので、帝は気の毒に思い、
「さぞ苦しいだろう、こうして二人を並べて見ると似合いだな」
と、見られて、帝は、
「盃を女御に与える様な人はないけれど、本当にないのか、そっと試してみよう」
と、承香殿に盃を差して、
つはもののはらに宿るはつらけれど
かたはに見えぬ乙箭なりけり
(兵の心の中に、貴女が宿るのは、私にとって辛いけれど、貴女(乙箭)が兵部卿(甲箭)と並ぶと、お似合いですね)
と、見えますが私は貴女を咎めはいたしません」
と、盃を差し出された、承香殿は盃を頂くとて、
かたはなるなの乙箭にも聞ゆれば
思ひいらるゝころにもあるかな
(世間に良くない評判が聞こえていますので、いらいらして心配致しております)
と、盃を頂戴した。東宮は盃を取って兵部卿の宮に差し上げると、
秋の夜の数をかかせむ鴫の羽の
今は乙箭のかたはにはせむ
(秋の夜を待ち明かして数を書かせる鴫の羽を、今は乙箭(承香殿)のそばに並べましょう)
同じことなら、そういう風にお二人が一緒になられるのが良いでしょう。
と、古今集の
暁の鴫の羽かき百羽がき
作品名:私の読む 「宇津保物語」 初秋 作家名:陽高慈雨