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私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげの続き 2

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 うちしき、座布団はみんな新品でそろえた。由緒ある伝来の四尺屏風を、几帳などを要所要所に立てられた。その内側に夫人方、髫髪(うない)姫達、女房が、二枚襲の裳、唐衣(からぎぬ)汗衫(かざみ)を着て居並んだ。髫髪(うない)は青色の表着に二藍の汗衫を襲て着ていた。兼雅は、

「心を尽くしてお持て成しをして下さい。私の部下の中将や少将も此方が恥ずかしくなるほどの立派な人達です。左大将正頼の御子、右近中将祐純、左大臣祐仲の御子少将仲頼、本当に勿体ない方です」

と夫人を始め女房達に言う。北の方は琴などを演奏するにふさわしい装束を着て、琴、琵琶、箏などを調子を合わせておかれた。

左大将正頼は、
「右大将の三条殿で、相撲の還饗(かえりだち)をなさるのに、こちらで一寸した会でも右大将兼雅殿は必ず臨席なさるので、彼方で催される会には出席しなければ失礼になる。さて、兼雅夫人俊蔭娘の珍しい所作を拝見させていただこう」

 と言われて、子供の君達引き連れて訪問された。

 帝にも許された地位の高い人であるから正座に、会に参加した多くの者は、下座に座している。兄の右大臣忠雅も訪問してきたので兼雅は喜んで席に案内した。

 こうして参会者全員が揃い一同が席に着いた。上達部御子方の前には紫檀の机に綾布を敷いて置いた。中将少将には、蘇枋の机、その他の来客者はその地位によってふさわしい机を配置した。



コメント

相撲の節(すまいのせち)
 平安時代、毎年7月に宮中で、諸国から召し集められた相撲人(すまいびと)の相撲を天皇が観覧した行事。初めは7日、のち、大の月は二八日・二九日、小の月は二七日・二八日となった。二日前にけいこの内取りがあり、当日は召し合わせといって二〇番(のち一七番)の取組があり、翌日、優秀な者を選んで行う抜き出、衛府の舎人(とねり)などによる追い相撲があった。場所は多く紫宸殿(ししんでん)南庭で行われた。すまいのせちえ。すもうのせち。すまい。《季 秋》


髫髪(うない).
「項(うな)居(い)」の意か。
1 昔、七、八歳の童児の髪をうなじのあたりで結んで垂らしたもの。また、女児の髪を襟首のあたりで切り下げておくもの。うないがみ。
2 髪形を1にした童児。幼い子供。



 このようにして宴会が始まった。やがて酒盛りが始まり、相撲取りが出てきて五六番の取り組みをする。最強の相撲取りが出てきて別れて布引(綱引き)をする。接待役の兼雅は準備をしておいた琴その他をを取り出して、琴が得手な者には琴、箏は誰それにと配られると、渡された者はすぐに弾き出して調子を見ると、

「調律された方はどなたであろう、よっぽどの方であろう」

 と言うや、演奏に入った。笛も合奏に加わった。

 舎人や相撲取りには例年、褒美として信濃産の布を渡すのであるが、今年は趣向を変えて陸奥の絹を与えた。蘇枋の脚を付けた机(中取り)三脚に件の絹を山積みにして御前に担ぎ出して、事務の者が正装で一人一人名前を呼び上げて渡していく。番長や相撲の最高位の者は絹を四巻、ただの舎人?相撲取りには二巻を渡された。また中将少将の随身には一巻を与えた。

 労をねぎらうための「被け物(かづけもの)」は、正客以外の相伴人の着座する席垣下(えんが)の座の皇子達には赤みのかかった朽ち葉染め花紋の綾小袿、菊の摺り裳、綾、掻練一襲、袷(あわせ)の袴。

 宰相を始めとして中将までは、綾の摺り裳、黄朽ち葉の唐衣一襲、袷の袴。

 少将から衛府の佐たちには、薄色の裳、黄朽ち葉の唐衣一襲、袴、と少し品物は劣った。

 大夫達と将監から司の者には白い綾の単衣襲、袷の袴。

 上役のお供の司の者には、白張りの袴一揃い。その下の府生(ふしょう)には白綾の単衣の襲を与えた。

 本日集まった全員の中で禄、かづけ物を戴かなかった者は無かった。

 こうしていると、侍従の仲忠が、かづけ物を戴いてやっと宴席に現れた。左の大将正頼が仲忠を引き留めて、杯を何回も取って酒を勧める。仲忠「畏れ多いことで」と言って飲もうとしない。大将は、

「仲忠を酔わせようとするには魂胆があるのだよ、酔ってそなたの本性が見たい」

 と冗談を言う。そうして、

「本当に、あの琴の音を聞かせていただきたい。今日の宴席の主人公が、琴をお弾きにならなければ、春の山に鶯が鳴かない朝、秋の夕に月の影がないようである」

 と、一生懸命に頼まれるので、見ていた父の兼雅が奥から琴の「りゅうかく風」を手にして出てこられて、左大将に渡される。大将は手にとって、

「さて、これで軽く一手お聴かせ下さい。去年の五節の時にほのかにお聞きして、なかなかの腕であると思い、聞きたい気持ちがますます大きくなりました」

 仲忠は、

「最近とんと忘れておりまして、厳しい帝のお言葉で僅かながら覚えだしまして、一手だけお弾きいたしましたので、正確に演奏したのだろうか覚えておりません。

 今はまして片鱗も覚えておりません忘れてしまっています。今日のご馳走に私のまずい琴をお聴かせすることは、蓬の野に蛙が鳴いているようで、皆さんがっかりなさることでしょう」

と言うと、父の兼雅は、

「好きな琴ではないか、弾きなさい。何か立派な物を戴けるかも」

 左大将正頼、

「正頼が可愛がり美しいと思う童女が居る。今夜の褒美にその娘を差し上げよう」

 と言われたので、やっと仲忠は琴に向かい舞楽の曲「万歳楽」を綺麗な音色で弾き始めると、仲頼と行正二人が今日こそ琴の音が聞けると日頃から琴に合わせて練習していたので、仲頼が感激して仲忠に駆け寄り舞い始めて御前に現れた。行正は琵琶、大将正頼は大和琴を調子を合わせて演奏に参加される。参集している上達部全員が歌を唱和する

仲忠は祖父、母と伝承した例の胡笳(こか)の手法を弾かず他の手法で演奏するのを、正頼は、

「このような演奏では、私の申した褒美のあの娘は上げられないよ、もう少しご自分をお出しなさい」

 と真剣になって言われるので、仲忠手を変えて弾き出す、もの凄い奏法に一同が喜ぶことこの上なかった。

山を出てから仲忠このように真剣に弾くことがなかった。帝の御前で演奏をした時よりも勝って琴の音が高らかに清く響いたので、聴衆は何となく懐古の念が起こり和やかな気持ちになって、気分良く珍しい琴の音に酔っていた。

みんなが仲忠を褒めちぎる。仲忠が少し調子を上げると殿中に響き渡る。ゆいこく曲、を胡笳(こか)の手法で思い切り演奏すると更にみんなが曲に酔いしれて、左大将は異常に哀愁が籠もってきて、袙一襲を脱がれて

「仲忠の襟元が寒そうに見えるのも、被り物が無い所為でしょう」


宮人をうづむ紅葉のかゝらぬも
   風ふく松とおもふなるべし
(客人みんなを紅葉で(被り物で)埋めるほどなのに、その紅葉が貴方に降りかかりもしないのは、貴方が風吹く松と清ましてお出でになるからでしょう)

仲忠

 宮人にかきほの紅葉かゝれども
     散りける枝はねたしともみず
(宮人を垣根の紅葉が埋めたために、散ってしまったからといって、紅葉の枝は残念がったり羨ましがったりはしないでしょう)