私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげ
と書いてあった。阿修羅は見て大変に驚いて俊蔭を七回伏し拝む。
「貴方は尊いお方だ。貴方こそは天女様のご子孫で有らせられる」
崇めて言うことは、
「この木の上・中・下、上下の品は大福徳の木『打ちでの小槌』である、即ちこの小さな一寸で更地の土を叩くとガンジス河のような無限の宝物が湧いて出る。そして、下の品は声を持っている。長い間の宝となるでありましょう」
と、阿修羅は言って下の品の木を取って斧で割る響きに天稚御子(あめわかみこ)天から下られて、阿修羅の砕いた下品の木片で琴を三十作って天にお帰りになった。そうして琴が楽しい音を響かせて天女が下り来て、天稚御子が作った三十の琴に漆を塗り、織女(たなばた)が緒をすげて天に昇っていった。
そうして三十の琴を俊蔭は完成させて、彼はこの林から西にある栴檀の林に移り、出来上がった琴の音を確かめようと出発したところつむじ風が起こって三十の琴を援護する。そこで音を調べてみると、二十八の琴は同じ音を出した。下品の中間部で作った二つの琴は音を発すると山が崩れて地が裂ける、七つの山が一体となって震える。俊蔭は清く涼しい林に一人いて、歌を唄い琴を有る限りの音をたてて弾き鳴らして二年間遊んだときの春、この山より西方の花園に移って造った琴を並べて置いて大きな木下に宿って日本のこと父母のこと思いながら、音の好い二双の琴を弾いてみると、春ののどかな日であるのに、山を見ると緑の霞がかかり、林を見ると木の芽が開いて、花園は花盛りに。楽しそうに晴天の昼頃琴を弾きならして大声で歌うと大空に大きな音がして、紫の雲に乗った天人が七人連れたって下界に降りてこられた。俊蔭は伏し拝んで、なおも歌い続ける。天人は花園の上に降り立って、
「お前は、どんな人か。春は花を観賞し、秋は紅葉を見るとして我ら天人が遊ぶところであるので鳥さえ近づかない。ところがお前は頼りのない住まいをする。もしかしてお前は、これより東の阿修羅が預かっている所の木を得たのか」
と仰る。俊蔭は、
「その木を戴いた衆生であります。このように仏がお出でになるところとは知らないで、静かなところであると思いまして、何年か住まいさせていただきました」
と天人達に俊蔭は答えた。聞いて天女は、
「そうであるならば、我らが思うような人であるから、お住みになるのですね。天上できめたさだめ(掟)があって、あなた(俊蔭)は、この地上で琴の弾手として、その一族の始祖となるべき人なのですよ。私は、些細な、ちょっとした罪でそのために、ここから西、仏の御國より東の方に地上に降りて七年住みその間に自分の子が七人生れ、子どもはそこに留ってしまいました。その子供達は極楽浄土の音楽に琴を合わせて演奏する者であります。貴方はその地に渡って、彼らの技法を学び取って日本国へお帰りなさい。この三十の琴の中に音のいい優秀な琴を私が名前を付けてあげましょう。一番を南風。一つを はし風となずける。この二つの琴をあの山の人にだけ聞かせて他人には聞かせてはなりませんよ」
と仰る。さらに、
「この二つの琴演奏をするところには、人間の世界であろうとも必ず訪れよう」
と言われた。
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忉利天 とうりてん
仏教の世界観に現れる天界の一種。忉利はサンスクリットのトラーヤストリンシャ(あるいはその俗語)の音訳。三十三天と意訳する。須弥山(しゆみせん)の頂上には,帝釈天(インドラ)を統領とする33種の神が住んでいる。中央に帝釈天,四方に各8天がいるので,合計33天となる。殊勝殿や善法堂をはじめ数々の立派な建物,庭園,香樹などを備え,一種の楽園として描かれている。釈迦の母が死後ここに生まれたため,釈迦が彼女に説法するため一時ここに昇り,帰りに三道宝階によって地上へ降ったといわれる。(ネットコトバンク)
俊蔭は天人の言葉に従って花園を出て西へ向かうと大きな川に出た。その川からクジャクが出てきてその背に俊蔭を乗せて大きい川を渡らせてくれた。いつもの旋風が起って琴を運んだ。阿修羅の許を去るときに三十の琴を運んでくれたあの旋風である。さらに西へ進むと谷に出くわした。その谷底から龍が現れて俊蔭を向こうに渡してくれた。琴は旋風が運んでくれた。また西へと向かうと、探している山が七つあった。各山に仙人が住んでいて俊蔭の前に現れた。仙人の前を過ぎて西へ行くと、虎と狼が全部の山で騒いでいる処があり、困っている俊蔭を象が出てきて無事に虎と狼の前を通り過ぎることが出来た。また西へ行くと、七つの山に七人の人がいて、天女が言った俊蔭が住むところに到着した。
一つの山を見ると栴檀の木の陰に林の中に花を折り敷いて琴を弾く人、三十歳ほどの人が居られた。俊蔭は立って拝礼。山の主でもある人は俊蔭の態度に大変驚いて、
「これは、どなたですか」
俊蔭は言う、
「清原の俊蔭です、此方に参りましたのは、天女がこうこう仰育ったので参上しました」
聞いて山の主は、
「ああ、蓮華の花園私の親たちが通われるところか、日本の人とは言え花園から来られたと聞いたならば仏の来られるよりも尊い」
と言って、同じ木陰に席を造って詳しい事情を聞き始めた。
俊蔭は初めからのことを事細かに話すときに、例の旋風が起こって、三十の琴をきっちりと並べて置いた。その時山の主は俊蔭の琴を試しに弾いて感に堪えないという風をなされて俊蔭を伴って、ふたつ(二)と言う山に入山する時に、その山の主が珍しく思う。
俊蔭を伴ってきた人は、
「珍しい蓮華の花園から来たと言う人が現れたので、母の恩が愛しく、乳房が恋しくて参りました」
花を見れば香が特別いいし、紅葉を見れば色が特別美しいし,誇らしげに浄土の楽の音が風に混じって近くに聞こえ、花には瑞鳥である鳳や孔雀が花の上につれだって遊んでいる。七人が一緒に入られてその山の主を拝まれる。山の主は喜んで姿勢を改める。
客人は、
「日本の人が蓮華の花園から来られたと聞いて参上いたしました。ここに遊ぶ天女は私たち七人の母でありますのでその乳房が恋しくて、花園を通って聞こえてきましたので山のもの達みんなが連れだって参りました」
と言いなさると、七番目の山の主は俊陰に。
「我々七人は天井から降りてこられた人の子供である。この山に下って七年が過ぎた、一年に一人ずつ、七人となった。私たちの幼いのを見捨てて、母御の天女は天上にお帰りになったので、乳房のないところに我ら七人の稚児は花の露を供養と受けて、紅葉の葉を乳房としてなめて生きてきたのであるが、親が天上に帰られてから、風が吹いても稚児のところに来られず、知る人もない下界においておかれて、母親は劫が変わるこの世界が滅びるまでの間、下界には訪れないと言うこと、それとなく聞いたことに、これより東の花園こそは、春と秋に親である天女がお下りになると言うことを知り、親を慕って、罪ふかい人間などの来るような所ではない,仏や天人たちのみが通う清浄な地だが、お目にかかるのだ」
と言って、俊陰の琴八双の調子を一ずつ合わせて、七日七夜演奏を続けると琴の音は響いて釈迦のお住まいになる国インドまで聞こえた。
その時、仏は文殊菩薩に言われた、
作品名:私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげ 作家名:陽高慈雨