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私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげ

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「これより東、娑婆世界より西に、天上の人が植えた木の音がする、すぐに行って見よ」
  聞いて文殊は獅子に跨って、あっという間に七人と俊陰の前に現れて、
「おまえ達はどこの国の人ぞ」
 と問いかけられたので、七人は礼拝して、
「我は、昔、兜率天(とそつてん)の内院の衆生でありました。些細な罪を犯しまして忉利天(とうりてん)の天女を母としてこの世に生まれました。七人の子は同じところに住むことなく、会ったことがなかった。そうであったのを、乳房が吸える母のところからこの地にわたった人(俊蔭)の悲しさに七人がともに集まることになった」
 と申し上げると、文殊は帰って仏にこのことを報告する。仏は聞いて文殊を案内人にして、雲の輿に乗って飛ばれるときに、この山も川も普通でなくなり、山は振動し、大空中に響いて、雲の色、風の吹きすさぶ音が変わって、春の花、秋の紅葉季節はずれに咲き狂う中で、七人が琴を盛大に演奏をしているところへ仏がお渡りになって、そこで雲の輿から更に孔雀に乗りかえて花の上に遊び給うのであるから、仏は地上にあっても地についていないようである。七人は琴にあわせて阿弥陀の名号を一心不乱七日七夜念じ奉った時に仏はみんなの前に現れて、
「おまえ達は昔、仏前で毎日読経することが熱心で、罪もそう大罪では無いから兜率天に生まれることができた。

コメント

 宇津保物語「としかげ章」は、仏の世界から始まるので、内容を理解することが難しい。私の読みもいい加減なところまでしかできないが、それでも、不思議な国で不思議な体験をしていると言うことは分かる。言うならばおとぎの国に没入することが出来る年少の子供の気持ちで読めばいいことで、分からないところはそのままにして、先に進む。全部の話はこんな現実離れをした物で無かろうからこの世に早く俊蔭が戻るのを念じて、次に進むことにする。読みづらいのをお見せして申し訳ない。

しかし今はあきれるほど甚しかった怒り恕んだための報いで人間の住む穢土(えど)(浄土はこれに対立する)の衆生になったのだ。その報いが今やっと消えた。

 また、この日本の者は、生れかわり生れかわりしても永劫人間世界を受けられない。理由はどうかというと、前世で色欲の悪行が計りきれないほど酷かった。それであるから、日本の衆生(俊蔭)は輪廻した一人の腹に生れかわり生れかわりして八度も宿り、二千人のその各々の腹に五度又は八度宿る筈であった。その宿るはずの母は、一人も身をゆだねる人がいない。しかしそうであっても。

 昔、オオソンハムナという仙人がいた。その仙人のしたことは、物惜しみをし、情け心のない無慈悲な国王が居て、国が滅びて衆生は全てが滅びた混乱の場所で飢え疲れた時があった。そのときにこの仙人は莫大な数の衆生に、食べ物を与えて、尊勝陀羅尼経を無心で唱えて七年間勤めた。

 そのとき、日本の衆生即ち俊蔭が三年間心身を慎しみ、仙人のために食事を作り水を汲み、その功徳で三悪道に輪廻し生死をくりかえす罪が消滅して人間となることが出来たのだ。尊勝陀羅尼経を念じた人を援護した故である。

 再び人間に生れる事は難しい事であったが、今現在この山に入山して、釈迦牟尼仏と文殊菩薩を驚愕させるような阿修羅のような怠けおこたり無慈悲な者共に忍辱の心、もろもろの侮辱・迫害を忍受して恨まないこと、の気持ちを起こさせてその結果、この山の七人は残った業を捨てて天上に帰ることができる。  

日本の衆生俊蔭よ、お前は以上のようなわげで、これから幸福になるであろう。そうして仏の教を聞くことが出来るであろう。またこの山の七人に当たる者を俊蔭から三代目の孫に与えられるであろう。その孫は人の腹に生まれるのであるが、この日本に契りを結ぶ因縁から果報は豊かである」

 と、仰せになるときに、遊び人達は礼拝された。俊蔭この琴を仏・菩薩に一双ずつ差し上げる。そうして仏と菩薩が天上に帰られる雲に乗り風になびいて彼方に去るときにこの天地は大いに振動をした。 

こうして俊蔭は今日本に帰ろうと思うが、山から来た七人に一つづつ琴を上げた。七人は紅涙を流して別れを惜しんだ。俊蔭は悲しみに耐えて帰途につく。七人は音楽を奏でながら、孔雀が渡してくれた川の畔まで見送りに来た。俊蔭そこを離れようとするときに七人は、

「我らは日本まで貴方を送ろうと思うが、山から出たことがない者ばかりで、別れる悲しみにここまで来てしまった。ここから日本の国まで貴方を送る人をお供させましょう」

 と言われて、印を結んで呪文を唱えたりした。そして俊蔭が持って帰る琴には、手のひらの肉の隆起した所、たぶさの血をたらして、それで琴器に名をかきつける。

 りうかく風・ほそを風・やどもり風・やまもり風・せた風・花ぞのかぜ・かたち風・みやこ風・あはれ風・おりめ風。

 十双の琴に命名して書き付けた。そうして七人は帰っていった。

俊蔭は漂着した地点に帰ろうとすると、例のつむじ風が巻き起こって琴全部を巻き上げる、天女が名付けてくださったのを入れて十二の白木の琴総てである。

 俊蔭はこの地に漂着して三年いた山に戻る。経験したこと総てを三人の老人に語り、月日の過ぎたことの間に得たことを語ると、つむじ風は三人の老人の前に琴をおろす。そのときつむじ風が下ろした白木の琴を一つづつ三人に差し上げた。三人の老人は珍しい物を得たので喜ぶ。

そうして俊蔭は日本に帰国しようと、波斯国(はしこく)に渡った。波斯国の帝、后、儲の君(まうけのきみ)皇太子に一つずつこの琴を奉ると、帝が大変に驚いて、俊蔭をお召しになった。俊蔭が参内すると事の真相を詳しくお聞きになって、

「この琴の音色がまだ少し荒いところがあるので、しばらく弾き慣らしてくれるか」
 といわれ、
「俊蔭は他所の国の者であるが、この国に来て久しくなる。この波斯国に滞在する間は大事にねぎらって使わそう」
 と仰せになるので。俊蔭は、

「日本に八十歳になる父母が居ますのを、見捨てるようにして海外に出ました。死亡して火葬になり今頃は塵灰になっているでしょう。せめて時が過ぎて白くなってしまった亡骸でも見たいものと、急ぎこの国から出国いたしたい」

 と申し上げる。帝は哀れに思いになって、お暇をお与えなさった。

 貿易船に乗船して、二十三年ぶり三十九歳で日本に帰り着いた。父親は亡くなって三年、母親は五年になると言われた。俊蔭は嘆き悲しむがどうしようもない、亡き親のために三年の喪に服した。