エッセイ集:コオロギの素揚げ
五月山季節語り―ヤマモモ―
風が吹き荒れた後には、草木のない斜面から転がり落ちた拳大の石が散乱している。折れた枝が道を塞いでいることもある。それらを脇に寄せ、あるいは川の方に蹴落としながら歩いて行く。登りはともかく、下りに足を乗せてしまったり引っかけることがあって、危ないからである。持て余すほどの木はそのままにしておくと、後から来た人が木の向きを変えて、通りやすくしてくれている。
そんな朝には、鳥の巣を拾うことがある。
直径10センチほどのお椀型で、軸のような小枝を組み合わせて、その周りを笹の枯れ葉を編み込んで覆っている。ウグイスの巣、である。今春からすでに3回拾っているので、藪の中には多くのウグイスの巣があるのだろう。
モミジやイヌガヤの樹上に、小枝と苔で作ったエナガの、とっくり型の古い巣を見たこともある。
一昨日は、毎日歩いている道のすぐそばの小さな岩穴に、オオルリの巣があることを教えられた。苔で作られている。その苔の存在は以前から知っていたが、その中で子育てをしていたことには全く気づかず、自分の迂闊さにあきれてしまった。ヒナの声を聞いた記憶はない。
しかし、離れたところから親鳥が見ていた、との情報。
ヒナといえば、時々幼鳥と出会う。出会うというよりも、近くの枝に止まって、観察されているような気配。すると私も立ち止まって、それを観察する。しばらく見つめ合っている、とでもいうか。近くで親鳥が心配しているらしいが、こどもは、なんの生き物であれ、好奇心が強い。
この時期には、いろいろな果実が色づいてきている。
筆頭は、ヤマモモ。そして木イチゴ、ナツハゼ、ウワミズザクラ、コウゾなどが食べ頃である。コウゾの赤い実は普通食べないそうだが、口に入れてみると甘い。実自体が粘ついていて、手がねばねばした。
さて、筆頭のヤマモモ。食べ頃の、手が届くところにある実を採って帰ろうと立ち寄ると、すでに落下している実が多くあった。見上げると、手の届く範囲には実が残っていない。はは〜ん。
翌日訊いてみた。
「ぎょうさんひろて、焼酎に漬けたんや。ちょっと分けたげよか」
ま、早い者勝ちではある。
先日、その木の上でリスが実をほおばっていた。通りがかった私は木の下で、実を落としてくれへんかなと、指をくわえて見ていたのである。
気持ちが通じたのか、植物辞典代わりにしている私の師匠が、すぐ手が届くところにたくさんの実をつけたヤマモモの木を教えてくれた。
酒が飲めないので、なんでも甘酢漬けにしている。小さな瓶しかないことを思い出して、その分、拳大の量のヤマモモの実を集めた。
それにしても、頻繁に通っている所にあるヤマモモの木、目にも留めていたはずだが、オオルリの巣同様に認識していなかったとは、ヒトの五感は、かくもエエ加減なものなのである。
2017年 7月 4日
作品名:エッセイ集:コオロギの素揚げ 作家名:健忘真実