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私の読む「紫式部日記」

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 話を元に戻して、いよいよ中宮さまのお産が始まろうとする時に、悪霊達が憑坐達に乗り移って中宮さまの出産を妬み罵る声が凄まじかった。悪霊が取り付く憑坐に命ぜられた女蔵人「源の蔵人」には天台の僧である心誉阿闍梨(しんよあじゃり)を付き添わせた。この阿闍梨は藤原重輔の息子で後に権僧正となり園城寺の首長である長吏となった。殿道長様がとても信頼された方であり、加持祈祷の名人と言われていた。憑坐の「兵衛の内蔵人」には延暦寺の僧妙尊(みょうそん)というお方を付け、同じく「右近の蔵人」には法住寺の律師である尋光様を、この方は太政大臣藤原為光の息子さんであり、律師とは僧都の次に偉い僧侶である。「宮の内侍」の四周を囲った局には、延暦寺の僧千算(ちさん)を付けてあった。ところがこれらの加持の名人達でも悪霊を追い払うどころか、その力に圧倒されて引き倒されてしまった。その様子が余りにも気の毒であったので、天台宗の僧で大納言藤原済時の息子である念覚阿闍梨を急いで召し出して加持の列に加えられた。念覚さんは大声で悪霊退散の経を唱えられた。他の僧達の念力が劣っていたわけではなく、悪霊達の頑固さが凄いものであったからである。「宰相の君」に付いた験者に、天台宗の僧である叡効阿闍梨を当てられたが、この方は夜通し声をからして称名を唱えた。それでその努力を称えられて権律師の資格が与えられた。悪霊は僧侶達の努力でみんな何処かに消え去り、悪霊が乗り移るようにと新たに召し出された憑坐の女達は結局その役を果たさずに終わってしまったので「役に立たない奴よ」とさんざん言われたものだった。

 お昼の時刻になって空が晴れて太陽が輝き朝の日の出のような気持ちがした。無事出産の喜びに加えて若君の誕生という慶び、ひととおりでない。昨日は中宮さまの無事を心配して絞れるだけの涙を流し、今朝は朝の露にびっしょりと濡れてしまった女房達はお産が無事に終わったのでそれぞれの部屋に退散して休息に入った。中宮さまのお前には年輩の女房が捧持して産後のご様子を見守っている。
 殿の北の方倫子さまもご自分の部屋にお戻りになり、数ヵ月このかた真言祈祷の読経に従事した僧侶、昨日今日に急いで召された僧侶、その人達総てにお布施を配られて労を労われ、また医師(くすし)、陰陽(おんよう)師達が無事に事が終えたことに対して禄を与えられた。内の者達には御湯殿(おゆどの)の儀式の準備を前もってさせられた。
 女房達の局のいずれにも里から駆け付けた先輩女房達の衣装の荷物袋や包みを運び込む人たちが出たり入ったりしている。女房達は自分の衣装である、唐衣(からぎぬ)、これは表着(おもて)の上に着るのである、それに施された刺繍、裳の引き結びや螺鈿を縫い取りした裳裾の縁の置き口の飾り、それらを人に見られまいと懸命になって隠そうとする、
「注文した扇がまだ来ませんね」
 などと言いながら化粧に余念ない、そうしておいて衣装を着て身ずくろいをする。

 部屋の前の渡殿の所から見てみると、寝殿の妻戸の前に、中宮の大夫斉信(ただのぶ)様、東宮の大夫懐平(やすひら)様を始めとして多くの偉い役職の方々が大勢伺候しておられる。殿の道長様が皆様方の前にお出になって、雑用をする者達を呼んで、最近の忙しさにかまけて掃除をしていなかった泉水遣り水の溝を掃除させられる。それを見ている皆様方のご様子はとても晴れやかで気分良さそうであった。心の内に心配事や悩み事を抱えている人でも、あたりの雰囲気で忘れ去ってしまうような空気が漂っている。まして中宮の大夫である斉信様は隠そうとしても自然に喜びの笑顔が顔に表れて、そこらの人よりも嬉しいのが他人に分かるのは仕方がないことである。右の宰相中将兼隆様と権中納言隆家様は東対屋の縁側に座ってなにやら賑やかに冗談を言い合っておられる様子。


【平安時代貴族の娘は結婚して子供を産むのが大変であった。無事安産の中宮、周りの人達の安堵。式部は自分も子供を出産した経験がある。記録に紫式部は年の離れた夫、子供を出産した後夫と死に別れて彰子に仕えたという。若宮の出生後の行事が始まる】

 皇子の誕生に宮中よりお刀が下されるが、その御佩刀(はかし)を持参されたのは頭の中将源頼定様。今日は宮中から毎年遣わされる伊勢神宮への奉幣使が出発する日である。頼定様が御佩刀を若宮に送り届けて宮中に帰館天皇に報告なさるとき、お産の穢(けがれ)があるので奉幣使出発の神事を行っている場所には立ち入らないで、庭に立ったまま天皇に中宮と若君はご無事であることを報告された。そのお役について褒美を下されたと聞いているが私はそれを見ていない。
 若宮の臍緒をお切りになる役目は北の方倫子さまである。若宮様に初めて乳を差し上げる役は「橘の三位」の方で、このお方は一条天皇の乳母で、従三位播磨守橘仲遠(なかとお)の娘、徳子様である。この行事は形ばかりのことで実際には以前からお勤めになって気立てが優しく皆さんから親しまれている備中守橘道時の娘さんで、蔵人の弁藤原広業(ひろなり)の妻である「大左衛門(おおさえもん)おもと」がその任に着かれる。私達は同僚の女房を「おもと(御許)と呼んでいる。

 御湯殿の儀式は、酉の刻(午後六時)ということである。中宮識から派遣された下級の役人達が緑色の袍の上から下賜された儀式用の白い衣服をまとい、大事なお湯を運んでくる。その湯を運ぶ桶の置く台も白い布で覆われていた。尾張の守藤原近光(ちかみつ)と今日の日に中宮識から応援に来た下級官吏の長である仲信とが湯の入った桶を担いで若君の前の簾の所まで来る。水の御用を担当する女官「清子の命婦」と「播磨の女房」が受け取って水を差しつつ適温にする、「大木工の女房」、「馬の女房」二人が、お湯を入れる土器である瓫(ほとぎ)という水甕(かめ)一六個に移し替える。この一六個の甕が儀式の定めである。この人達は薄い透けて見える絹織物の袿の上衣をまとい、目をこまかく固く織った絹布の裳を下に付けて、髪は白い元結いで束ねて釵子(さいし)の簪(かんざし)を付けている。頭がきりっと締まってとても美しく感じた。若宮にお湯をつかわせになるのは、藤原道綱の娘の「宰相の君」、その介添え役である「お迎え湯」の役は「大納言の君」である藤原廉子さま、腰の周りに絹の布を巻いた湯巻き姿がいつもの姿とは違って様になっていてとても綺麗に見えた。
 若宮は道長様がお抱きになって、御佩刀 は「小少将の君」。虎の頭を模造したものを、お湯に映すと悪霊払いになるということから、その虎の頭を「宮の内侍」がお持ちになって若君を先導される。二人の唐衣は、松かさ模様。裳裾は大波、海の藻、魚貝などで浜辺の風景を描き出した織物、大海の様子を思わせる染め物である。腰には唐草模様の刺繍がしてある透き通る裳を付けている。「少将の君」は秋の草むら、蝶、鳥などをあしらった銀糸刺繍があり、きらきらと輝いている。織物の趣向をこらすけれども禁じられた色や模様もあり、お二人の好みに合わすということが出来ない、腰にまとった裳の薄物に制限がないので二人の個性を見ることが出来た。