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私の読む「紫式部日記」

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 皇后様の事務を司る中宮職の長官、藤原斉信(ただのぶ)大夫、左の宰相の次官である源経房(つねふさ)中将、内裏を守り儀式の時に儀仗を持って立ち並び、天皇行幸の際には供奉して天皇をお守りする武官の役所である兵衛府の長官の源憲定兵衛督(かみ)、右近衛権少将で美濃守を兼ねておられる源済政、(なりまさ)、これらの高官の方々が揃って楽器を演奏される夜もある。正式な演奏会は殿の道長様が、中宮彰子さまのお体のことを考えて中止されていたのである。  
 かってこの屋敷に奉公していて退職してそれぞれの故郷に帰っていた人たちも、帰郷して以来長い期間ご無沙汰していたにもかかわらず、中宮のお産のお手伝いにと再び屋敷に集まって来られる。そんな人たちが大勢で、お互い久しぶりの挨拶を交わす光景がとても賑やかである。そのような訳で、中宮のご出産までは落ちついた静かな時はなかった。


【お産が近づくにつれて道長に関係がある人達男女が集まってくる。囲碁の勝負をしたり楽器を奏でたり、経を読んだり、賑やかで落ち着かない】

八月二十六日

 二十六日に、中宮様が色々な香木を挽いて香りの粉にして混ぜ合わせ、蜜をたらして練り丸める、「香合わせ」の準備作業を、お付きの女房達にさせられた。出来上がった練り香を、周りに働いている女房達に配られるというので、多くの者達が頂戴しようと集まってきた。
 皆さんそれぞれ頂いた後で私は中宮のお前を辞して部屋に戻る途中、仲のいい女房の一人である「弁の宰相」の局を覗くと勤めの疲れからか、彼女は昼寝をしている。彼女は表地は蘇芳(すほう)色、裏地は萌黄色の襲(かさね)を着て、砧で打ち出した光沢のある素晴らしい濃い紅の袿(うちぎ)をその上に着たままで顔を半分隠すようにして硯箱を枕にして寝ている。その姿は本当に愛らしくしっとりとしていて、まるで絵に描いた御姫さまのよう・・・・・。その姿を見ているうちに悪戯をしてやろうと、顔を半分埋めていた袿を引っ張り下ろして、
「物語に登場する姫さまの気分ですか」
 と問いかけると、彼女は私を下から見上げて、
「なんということをなさるの、気でも狂った人みたい、気持ちよく寝ている者を驚かすなんて」
 と言いながら少し体を起こした彼女の顔が赤みを帯びているのが少々おかしく感じた。
 常々美しい人が、何かの折りに更に一段と美しく引き立って見えることがあるということである。

 九月九日

 九月九日は重陽(ちょうよう)の日で菊の節句である。この日の前の日に咲いている菊の花に綿を被せておいて一夜露にうたせる。翌朝、その綿をとり露を含み菊の香りを充分に染みこんだ綿で顔を体を拭くと長命を得られるという。その菊の綿を中宮の許に奉仕する兵部という女房が持参して、私に、
「これは殿の北の方倫子(りんし)さまが特別に貴女にと渡して『特に念入りに顔や手足をお拭きになって老いを拭き取りなさい』とおっしゃいました」
 と倫子さまのお言葉であった。そこで私は、すぐに
 菊の露わかゆばかりに袖ふれて
    花のあるじに千代はゆずらむ
(この菊の露はありがたく受け取って、若い体を何時までもと祈ってそっと袖をしめらし、後は花の持ち主である北の方さまのご長寿を祈って大事な露をお譲りいたします)
 とお礼を込めて作歌したが、
「北の方はお帰りになりました」
 と聞いたので贈ることが出来ずに私の許に置いておくことにした。
 なお、この日は中宮のお産のこともあるので内裏では重陽の儀式は行われなかったと聞く。

 その夜になって中宮さまの御前に参上したところ、月が美しく輝く頃であるので、縁側近くの御簾の下からこぼれ出ている裳の色から、小少将の君と大納言の君とが御前に奉仕されていることが分かる。中宮さまの前に据えられた小さな香炉に、先日練り合わせ壺に入れて土の中に埋めて置いた香を焚き、香りはどうかなと試しておられる。小少将の君は源時通の娘で中宮彰子さまとは従姉妹に、北の方倫子さまには姪に当たる。私とはきわめて親しい同僚女房である。また大納言の君は源扶義(すけよし)の娘で廉子と言い小少将の君とは従姉妹になるからやはり北の方の姪である。二人はこもごも最近は外に出ることがない中宮さまに庭の様子や伸びた蔦の葉色があまり好いようではないなどと説明をしているが、お聞きになっている中宮さまはいつもより様子がおかしくお苦しそうである。丁度加持祈祷の時間になったので僧達が現れ中宮さまのお体を心配しながら後に従って祈祷の部屋に入った。
 私の局から私を呼びに来る者があり私は中宮さまのお前を下がった。局に下がり少し体を休めようと横になったがそのまま寝入ってしまった。ふと夜中大騒ぎする声で目を覚ます。女房達が大声で騒ぎ立てていた。


【中宮の練り香作り、手伝った女房達が頂いて帰る。式部は自分の部屋に帰る前に、友人の小少将の部屋に寄ると彼女は昼寝。悪戯して起こす。九月重陽の節句、道長の嫁の倫子が式部をからかって、長命に効くという菊の露に濡らした綿を贈ってくる。それに対して式部は歌でお返しするが倫子は帰っていて空振り。その夜月を愛でていた中宮は体調が悪そう、夜中異変が起こる】。 

 九月十日( 寛弘五年)

 夜中の騒ぎのまま十日の明け方に中宮さまのお部屋の調度類を白一色のお産所様式に変更する。中宮さまは白い御帳台の中にお入りになるというので、殿の道長さまをはじめとしてご子息の頼道さま、敦通さま、四位五位の方々手分けして帳台の四隅に垂れ絹をお掛けになったり、床に敷く筵(むしろ)や茵(しとね)を持ち運んだり大変な騒ぎであった。そして、出来上がった白い几帳台に中宮さまは横になられた。
 この日は一日、中宮さまは不安そうなご様子で起きあがったり横になられたりと落ち着かれなかった。祈祷の僧侶達は大声を出して中宮さまのお体に取り付いた悪霊を傍らに座らせた若い女達を憑坐(よりまし)という中宮さまに取り付いた悪霊を招いて乗り移らせる女童に乗り移らせようと必死になる。毎日この屋敷に勤める僧は当然のこと、都近くの山や寺に使いを走らせ修験者という修験者一人残らず呼び集め、前世、現世、来世三世にわたる仏も驚くほどの大祈祷を行う。陰陽師にも声がかからないことはない、少し名が知れたまだ未熟な陰陽師までもが屋敷に呼び出され祈祷に加えさせられる。この様子は八百万(やおよろず)の神も耳をそばだてて祈りの声を聞いて驚いていることだろう。安産祈願のため都中の神仏に供物を配る使いが屋敷から四方に飛び走る、そうして一日が終わりあっという間に翌日の夜明けを迎えた。 
 御帳台の東側には内裏に勤める女房達が集まって座っている。西側には中宮さまの悪霊を乗り移された憑坐の女童が、屏風を四方に回して座り、一人一人に修験者が付いて悪霊が憑坐から離れるのを防ぐため一心に祈りを続けている。南側には有名な僧正、僧都が集まって途切れることなく経を唱える。その勢いは一塊りとなって不動明王が現れ出るような様相である。僧侶達の安産祈願の声は何回も繰り返す声明に嗄れてとても聞くに耐えられるものではないのに、それが私には意味深く有り難く聞こえてきた。